3/5
★
よくよく考えてみれば、私の仕事はどちらかと言えば一人で黙々とパソコンに向かうタイプの仕事だったし、テレワークも許可されているし、そこまで職場環境って重要じゃなかったかもしれない。だからおまえの選択は間違いだったんだよもっと早く気づいとけよそういうとこ……と大河ドラマの序盤で不遇の人生を送る主人公くらいには追い込まれてしまっているのが、合コンで全員がグラスをぶつけ合ってから約五十分間が経過した現在である。
小洒落たイタリアンのお店の片隅、テーブルの一番端で縮こまりながら、私は時間を早送りするボタンを探していた。
ああもう、一刻も早く帰りたい。
もともと運命論なんか信じちゃいないが、たとえ運命が本当に存在したとしても、私のような凡庸が服を着た存在にいちいち話しかけたりはしない。あいつらがそこまで暇じゃないということにどうして気づかなかったのか。職場環境のためとか人付き合いとか、適当な方便という梃子の原理でようやく巨岩を動かしたはいいものの、その重くて硬い岩を一体どこに放り出すつもりだったのか分からないまま、時だけが過ぎていく。所在なさげに大皿の上で昼まで寝た日の寝癖のようにくたくたになっている、乾き始めたミートソースパスタが哀しげだ。
ほんの少し、指先程度はパスタに同情してしまう。男も女もミートソースでなく、相手と自分の唾液で唇を汚さんと、勇んでこの場所へ足を運んでいるのだ。テーブルに並ぶ料理なんか、さほど重要視しちゃいない。永遠に棚から落ちてこないぼた餅を、あんぐりと口を開けて待っているだけの私には、せいぜい棚の上に積もった埃が口の中に落ちてくる程度だろう。
私をこの場に誘った張本人である深苑は、テーブルの一角で話題の中心にいた。見てくれは「綺麗」より「可愛い」に寄っているけれど、反面、声はちょっと大人っぽさのある低いキーの彼女。そういうのに弱い男だったら、ひとたび耳にしただけで中耳炎と同時に緑内障まで完治しそうな万能さがある。
対する私はといえば、見た目も声も地味そのもので、胃薬だけでなくもはや湿布薬まで求められそうなほどには影が薄く、症状が表立って出ることはなくても静かに体力を奪うというタチの悪さを持っている。熱は出ないのに体調がめちゃめちゃ悪い……みたいな、学校も休めないし誰からも心配をされないどころか詐病さえ疑われる、何の得もしない体調不良が私だ。
いっそのこと何らかの呼び出しを食らったふりをして中座したいところだが、私は就業時間後に呼び出されるような重大な仕事を任されるポジションにいない。友人や知人から……というのも信憑性がないし、そもそも先約を優先するのは当然のことだ。深苑は簡単に私の嘘を見抜いてしまうだろうし、そんなことになったら乗り気じゃないのに無理やりこの場へ足を運んだ意味がない。
「楽しくないですか?」
向かいに座る男から急に話しかけられ、我に返る。さっきから対面に座る私でなく、斜め側で繰り広げられる話に首を突っ込んでいたから、私も安心して物思いに耽っていたのだが、そんな浅はかな行いなどとっくに見抜かれていたようだ。
「そういうわけじゃないです」と私は苦笑いをする。無論、能動的に作り上げた笑顔だ。よく分かったな、と席を蹴立てて出ていけない弱さが哀しい。
「こういうところ、慣れてないんで」
「分かりますよ。おれもそうです」
「毎回言ってるんでしょ、そういうこと」
「実は、おれも合コンは初めてなんですよ。みんなになんとか合わせようとしてるだけで」
それでも彼の背伸びのほうが、私よりもずっと上手だ。あれが「初めて」の人間の行動とは思えないが、本当にそうなのだとしたら、彼には順応性がある。
その後の時間は、彼とだけ言葉を交わし続けて過ごした。
内心で驚いたのは、彼がその後、他のグループの話題に首を突っ込んだり、ともに私を引き入れたりすることもなく、ずっと私とだけ会話していた点だ。同類同士ということで親近感がわいたのかどうかは分からないが、とりあえず言えるのは、私のLINEのトークルームがその日、久々にひとつ増えたということである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます