第三話 贄


 ・━・


「亮平! やっと見つけた!」


 村長に連れられて双子がお堂を出ていってから、どれほど経ったのか、分かりません。

 空はすっかり夜の色でした。縄を解かれても、僕は動けず、ひとりで膝を抱えて泣くしかありませんでした。

 夜の闇の中から、葉っぱや土に塗れた格好の父が駆けてきました。僕を見つけた父の安堵の表情は、今でも忘れられません。きっと村中を探してくれていたのでしょう。父はすぐに僕を抱き上げてくれました。


「ごめんな。父ちゃん、忙しくて構ってやれなかったな。知らないところに来て怖かったな。……ようしようし、泣きやめ、どうどう……」


 父の大きな手が、僕の頭を撫でます。そのぬくもりに、張り詰めていた心がほどけていきました。

 泣きやまない僕を抱いたまま、父はゆっくり村を歩きました。設営が進む祭りの様子を見せながら、木で組まれた大きな櫓を指して言いました。


「見ろ、亮平。あれ、父ちゃんが作ったんだ。すごいだろ?」

「……うん。すごい高さ」

「だろ? 昔からこの村では〝火祭り〟ってのがあるんだと。俺が作った櫓が、中心になるんだってよ。母さんも喜んでくれるかもな。母さん、この村に所縁があったそうだし……」

「……そうなの?」

「ああ。もし生きてたら、懐かしく思ったかもしれねえな。……なあ亮平、父ちゃんの仕事、すごいって思ってくれたか?」

「うん……すごい。……でも、あれ、何に使うの?」


 僕が櫓のてっぺんを指すと、父は少し首を傾げ、苦笑しました。


「さあな。『価値の高いものを載せて清めて捧げる』とか言ってた。……まあ、風習ってのは、よそ者には分からねえもんだな」


 その呑気な言葉が、なぜか胸に重く残りました。優しく、穏やかで、どこまでも〝外の人間〟である父。そして、〝内側〟の世界にいた夏夜子と麻夜子。僕はまだ、その断絶に気づいていなかったのです。

 頼もしい父の腕の中で、僕は安心して眠りました。

 ――あの櫓の上に、誰が載せられるかも知らぬまま。


 ・━・


 目覚めると、村から提供された宿の布団に寝かされていました。そばの布団では、父が大きないびきをかいて眠っています。酒瓶が転がり、ほのかにアルコールの匂いが漂っていました。

 普段は全く酒を飲まない父だったので驚きました。仕事の疲れか、気を紛らわせたかったのかもしれません。


 古い掛け時計と外の様子を照らし合わせて、もう夜だと知り驚きました。どうやら僕は、あの「鞭打ち」を見てからほとんど丸一日眠っていたようです。

 けれど、頭はすっきりしていました。そして何よりも、夏夜子と麻夜子のことが、心配でなりませんでした。

 僕は父を起こさぬようそっと身を起こし、引き戸を開けて外へ出ました。砂利が音を立て、夜風が頬を撫でます。


 外は別世界でした。

 村全体が提灯の灯りと祭囃子に彩られ、屋台が並び、子供の歓声や大人たちの笑い声が響いています。……でも、そのどれもが現実とは思えませんでした。僕の心は、夏夜子のことでいっぱいでした。


 そのときです。突然、警笛のような音が鳴り、喧騒がすっと静まりました。視線が一斉に櫓へと向かいます。

 その足元に立つ村長の息子が、神官のような服を着て、大声で叫びました。


「巫女が祝詞を唱えるぞ! さあ、皆、お立会い!」


 息を呑んで顔を上げました。

 櫓の上には、夏夜子と麻夜子。彼女達は、白い巫女装束に身を包み、鏡写しのように動きを合わせて一礼し、祝詞を唱え始めました。


 ひらきませ ひらきませ

 蛇神の御目よ

 穢れしこの世を たゆたう波を 知り給え

 我が身を裂き 魂を砕き ふたつはひとつ

 焼き尽くせ 櫓の火 浄罪の火

 願わくば この村安らけしことを

 願わくば 神の憤り静まることを

 

 いま 我らは 生贄たらんとす

 いま 我らは 捧物たらんとす


 ・・━━・・


「櫓には神官以外、近づいてはならぬ! 災いが大きくなるぞ!」


 村長が一喝しました。その声に、村人たちは異様なほど沸き立ちました。神の奇跡が起こるとでもいうように。「私達の最も尊きものを捧げます、だからこれ以上、私達を食べないで……」

 

 祈りにも似た声や啜り泣きが、あちこちから漏れていました。後で知ったことですが、白蛇村では原因不明の死が相次ぎ、体調不良者も多くおり、それらが蛇神様の祟りとされていたそうです。警察は、不調が偶然に連鎖しただけだと推定していましたが、真相は分かりません。

 目に見えぬ恐怖と混乱が、人々を蛇神に縋らせていたのでしょう。


 あの年は、特別に暑い夏でした。村全体が奇妙な熱気に包まれていたのを、僕は覚えています。

 そして、僕は見てしまったのです。櫓の周囲に神官が灯油を撒きはじめる光景を。むせるような臭い。冬のストーブで嗅いだ、あの匂い。

 すぐに悟りました。これから何が起きるのか。

  

 心臓が冷たくなり、吐き気がこみ上げました。暗がりへ駆け込み、しゃがみこんで胃の中のものを吐き出します。もう何も出ず、酸っぱい胃酸だけが喉を焼きました。

 ふらふらと立ち上がり、僕は呟きます。


「……助けなくちゃ……」


 けれど、思うのです。 

 あのまま、夏夜子と麻夜子を一緒に死なせていた方が……彼女たちの魂は、まだ幸せだったのではないかと。


 僕はそう、思ってしまうのです。 


 ・━・

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