第一章 隣国から来た王女の記者会見②

 薄曇りの初春の陽射しが玄関扉のガラス戸の向こうに見えたところで。

「ミレニエ。そんなに急いでどこに行くんだ?」

 二階に通じる玄関脇の階段から降ってきた声に、ミレニエは自分の眉がきつく寄るのを感じた。が、表情を消し、極めて事務的な態度で階段を下りてくる人物を振り返る。

「もちろん取材です。私は記者ですから。申し訳ありませんが、急いでいるので失礼してよろしいですか?」

 悠然とした足取りで階段を下りてくるのは、ひと目見て上質だとわかる仕立ての紳士服に身を包んだ茶色の髪とひとみの青年だった。

 身体にみなぎる野心を体現したかのような野性的な顔立ちは好もしいと思う女性もいるだろうが、ミレニエの目には欲でぎらついているようにしか見えない。

 二十代後半の若さながら、小さいとはいえ新聞社の社長にまで成り上がったダニエルが、ミレニエの態度に唇をゆがめる。

「待てよ。そんなに急ぐことはないだろう? もしおれの行き先と近いのなら、一緒に馬車に乗せてやる。ミレニエはどこまで取材に行くんだ?」

「けっこうです。自分で乗合馬車をつかまえますから。それと、社内で名前を呼ぶのはやめていただけますか、ゴーディン社長」

 ダニエルと一緒の馬車に乗るなんてお断りだ。あえて堅苦しい口調で呼ぶと、ダニエルが薄い唇をり上げた。

「つれない態度だな。社内とはいえ、ここには他の社員はいない。ダニエルと呼んでくれていいんだぞ。おれ達は婚約する仲じゃないか」

「社長自らが規律を乱しては、社員に示しがつかないでしょう?」

 階段を下りて正面に立ったダニエルがなれなれしく伸ばしてきた手を、ミレニエは一歩下がって避ける。

「それに、まだ婚約を結ぶと決まったわけではありません。聞いた人が誤解するような物言いはやめてください」

 きっぱりと告げたミレニエに、ダニエルがあざけるように唇を吊り上げる。

「半年も経って、これといった記事をまだ一本も書けていないのにか? もう婚約は決まったようなものだろう?」

「まだ半年あります!」

 反射的に言い返し、唇を嚙みしめる。

 ミレニエがゴーディン新聞社の記者として雇われたのは、ミレニエ自身の力ではない。



 半年前、記者を目指して王都中の新聞社を回ったものの、どこの新聞社でも、『女なんかが新聞記者になれるわけがないだろう?』と門前払いされたミレニエが最後に訪れたのが、ゴーディン新聞社だった。

 乳母姉妹のケリーが事務員として勤めながら記者を目指していた新聞社だということもあり、ゴーディン新聞社のことは何年も前から知っていた。

 だが同時に、『売るためなら多少事実と違うことでも誇張して記事にする』という話も聞いていたため、最後まで訪れる気にならなかったのだ。

 しかし、背に腹は代えられず、記者として雇ってほしいと直談判しにきたミレニエが通されたのは、ダニエルがいる社長室だった。

 てっきり他の新聞社と同じように門前払いされるものだと思っていたミレニエは、社長室の机の向こうで腕を組んで椅子に座るダニエルに、言葉を尽くして必死に自分を売り込んだ。

 女性だからといって特別扱いしてもらう必要はない。どんな取材先にだって行ってみせる。文章力だって男性に負けないくらいあると自負している、と。

 その証拠にミレニエは二年以上前から、『レノルド・マーティン』という男性の偽名を使って、ゴーディン新聞社の書評を担当していた。前任の書評担当者が辞めて新しい担当者を募集することになった際に、たまたまケリーが勧めてくれたのがきっかけだったが、他の応募者を抑えて選ばれたのは、ミレニエ自身の実力だと思っている。

 女性の名前では、応募しても原稿すら読んでもらえないかもしれないと偽名を使ったことに後ろめたさはあるが、雇ってもらうためなら明かしてもかまわない。

 ダニエルにレノルド・マーティンのことを打ち明けようとしたところで、ミレニエの言葉を遮ったダニエルは告げたのだ。

『うちで記者として雇ってやってもいい』

 と。だが、次いでダニエルが口にした言葉は、喜びにうち震えるミレニエに冷や水を浴びせるものだった。

『その代わり、交換条件がある。一年の間に一面を飾る記事が書けなかった時には、おれと婚約をして結婚するんだ。悪い話じゃないだろう? ルーフェル伯爵令嬢』

 凍りついたミレニエを品定めするように見つめ、ダニエルが唇を吊り上げる。

『社交界から姿を消したと思ったら、まさか、新聞記者を目指していたとはな。記者になりたいなどという妙な口実を使わずとも、おれと婚約を結びたいのなら、最初からそう言えばいいものを』

『ふ、ふざけないでください……! そんな条件、吞めるわけがないでしょう!? 記者として雇う代わりに婚約しろだなんて……! 私は記者になるために来たのであって、婚約者になる気なんてまったくありません! ましてや実家の名前を使うなんて真っ平です! 失礼します!』

 ルーフェル伯爵家は、ミレニエが三年前に捨てた実家だ。いまのミレニエは、単なるミレニエ・ルーフェルでしかない。

 門前払いされるよりたちが悪いときびすを返そうとしたミレニエを、素早く立ち上がり机を回り込んだダニエルが、手をつかんで引き止める。

『ここを出てどこに行くつもりだ? もう他に行く新聞社の当てなんてないんだろう? それにきみは誤解している。おれは機会をやろうと言っているんだ。記者として雇うから婚約しろと言っているわけじゃない。一年間、記者として働いて、それでも力が及ばなかった時に婚約しようと言っているんだ。それとも、記者を目指しているくせに、一面を飾る記事を書く自信がないと最初から逃げる気なのか?』

『そんなこと……!』

 目を怒らせてダニエルの手を振り払ったミレニエは、ダニエルの言葉を心の中で検討し直す。

 ダニエルの言うとおり、雇われたからといって、即座に婚約しなければいけないわけではない。一年の間に誰もが認めるよい記事を書けばいいだけだ。

 捨てたはずの身分を利用し、真っ当ではない手段で雇われることにじくたる思いがないと言えば、噓になる。

 だが、その気持ちをねじ伏せてでも、記者になることをあきらめられなかった。

『……社長のあなたが、私の記事を一面に載せないように手を回す可能性はないと、保証してもらえるのですか?』

 探るように尋ねたミレニエの言葉に、受けてもよいと考えていることを察したのだろう。ダニエルがさらに笑みを深くする。

『もちろんだ。我が社の社訓は、「売れる記事を書いた者が正義」だからな。書いた者が誰であろうとも、売れる記事ならば一面に載せると誓おう。それとも、どうせ無理だと挑みもせずに諦めるか?』

『そんなこと、するはずがないでしょう!?』

 反射的に言い返し──。

 結果的に、ミレニエはダニエルと書面を交わして、ゴーディン新聞社に入社することとなった。一年の間に、一面に載せられる記事を書けなかった時には、ダニエルと婚約するという条件で。

 そうしてミレニエが記者として働くようになってから、すでに半年が経っている。

 だが、一面に載る記事を書くどころか、前からレノルド名義で続けている書評を除けば、小さな記事くらいしか載せてもらえない状況だ。

 大丈夫、まだ半年『も』ある。今回の取材をもとに、なんとしても一面に載る記事を書くのだ。

 ミレニエの決意をあざわらうように、ダニエルが小馬鹿にした笑みを浮かべる。

「まあいい。おれは寛大だからな。約束どおり、あと半年待ってやる。一年間努力してどうにもならなければ、お前も諦めがつくだろう?」

「私の意志はその程度でくじけたりしません!」

 ろくな記事など書けないと決めつけ、いつもミレニエを嘲るダニエルの婚約者になどなりたくはない。

 半年間、勤める中で、ミレニエはダニエルの人となりをかなり理解した。

 かねもうけが第一の、父の代からの成り上がり者。ダニエルがミレニエに契約をもちかけたのも、本来なら妻にすることはおろか、婚約を結ぶことさえかなわない伯爵家の令嬢を手に入れるまたとない機会だからだ。

 ダニエルの思惑がわかった以上、ミレニエが記者を続けながら穏当に契約を破棄するためには、一面に載る記事を書くしかない。

「とにかく! 一社員にすぎない私が社長の馬車に同乗するなんてとんでもないことです! 急ぎますので失礼します!」

 一方的に会話を打ち切ると、ミレニエはダニエルの視線を振り切るように身を翻した。



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