第7話

その前に掃除を済ませようと、教室後方のロッカーに入っている箒を取りに向かうと、嘉根さんが話しかけてくる。


「私たちも手伝うよ、掃除しながら川中くんに話を聞こう。」


これからクラスメイトの冤罪を晴らすために行動するからだろうか、心なしか普段よりも元気に見える。対照的に、川中くんは嘉根さんと二人きりではない事が判明すると露骨に残念そうな顔をした。

クラスの高嶺の花的存在の嘉根さんに至近距離で耳打ちまでされ、期待に胸を膨らませていただろうに、川中くんの心中察するにあまりある。そんな彼のことを気にするはずもなく、僕ら以外いなくなった教室で箒でゴミを集めながら嘉根さんは話を始める。


「川中くん。先月にあった井戸の蓋の件、違ってたら申し訳ないんだけど川中くんはやってないよね?」


井戸の蓋、というワードに川中くんの長身がビクッとしたかと思えば、やってないという一言で緊張した顔が綻んだ。分かりやすい人だ。


「そう、そうなんだよ。俺、一年生が蹴り飛ばしたボール取りに中庭まで行っただけなんだよ。それなのにセンコー、俺の話も聞かずに俺が壊したって決めつけたんだよ。」


てっきり、川中くんのことだから壊しはしたけど元から古かっただろ、みたいなことを言うのかと思っていた。印象で決めつけるのは良くないな。かなり部活ファーストな人だと思っていたから、この話し合いにも来てくれるとは思わなかった。

僕は心の中で勝手に、掃除の手は進んでいない川中くんに謝罪して、詳しい話を聞く。


「なるほど、サッカーボールを取りに行った時、もう既に井戸の蓋は壊れていたってことかな。」


川中くんはこちらをしばらく見て


「そう、だけど、なんで芽島が嘉根さんと一緒にこんなこと聞いてくるんだよ。」


口をとがらせながら言う。確かに、たいして仲も良くなかった僕ら二人が突然一緒に行動し、交際を始めたわけでもないと言うのだから、かなり不自然だ。

交際している体にしたって井戸の蓋の件を聞くのは気味が悪い。

しかし、夏休みが補習で潰れてしまうことを彼に伝えると、間違いなく次の日には学校中に広まってしまう。そうなると、情報を盗み見た嘉根さんやそれを漏らした大人にまで被害が渡り、かなりの大ごとになってしまう。

何かいい言い訳はないかと僕が頭を悩ませていると、横から嘉根さんが


「実は私、生徒会の会計係なんだけど、そろそろ各クラスの備品の予算を考える時期なのよ。井戸の蓋は学校のものだけど、壊したのが川中くんだった場合、わざとの行為と見なされてこのクラスの予算が減る可能性があったの。芽島くんにはクラスの委員長として協力してもらっているの。ね、芽島くん。」


彼女は余計なことを言わずに従いなさい、と目で制してきた。僕は数回頷いて、肯定する。川中くんは納得した後、少し静止して勢いよくこちらをみて


「そんなことも生徒会と委員長がやんの!大変じゃん!」


と、眩しい顔で僕らの心配をしてきた。真夏の太陽の様に真っ直ぐな表情で僕のことを見られては困ってしまう。僕は目を合わすのが酷になり、集めたゴミを取るためにちりとりを持って下を向く。

それにしても、失礼ながら川中くんのことは気遣いの出来ない人だと思っていたけど、部活に遅れてもいい状況ならそうでもないらしい。

僕と嘉根さんが箒とちりとりでゴミを集めていると、箒に顎を乗せた川中くんがポツリ、ポツリと当時の詳しい状況を話し始めた。


「俺、いつもは一年の相手なんてしないんだよ。一年は一年同士でパスしあって基礎を固めるから。でも、その日は顧問が俺にだけ一年の相手しろって言ってきて。俺は二年の練習メニューをする気だったのに。顧問が言うならなんか理由があるんだと思って、

…例えば俺が弛んだとか。だから一年生の相手を全力でやったんだよ。そしたらパス練だって言ってるのに全力で蹴った奴がいて、顧問にバレたら俺が怒られるじゃん。その前にボールを走って取りに行ってたんだよ、そうしたら井戸の近くまで転がってて。井戸に近づいていったら蓋が壊れてんの見えて、先生に言った方がいいかなって悩んでたら、喫煙所から乙訓先生がタバコ吸いながら出て来てさ、見てたぞ!って怒鳴られちゃって。何回否定しても俺は壊したところを見てたっていうからその時は早く練習に戻りたかったし、もしかしたらって思っちゃって謝っちゃったんだよ。」

なるほど。多少脅迫のような認めさせ方だな。

僕はあまりの気の毒さに顔を顰めて同情する。

ふと、嘉根さんを見ると、奇妙なことに嘉根さんは微笑んでいた。

あまりに不相応な表情に混乱し、その不気味さに思わず反射的に顔を背けてしまった。

案外、川中くんに恨みでもあるのかもしれない。そういった事はこうやって周りにバレると気まずいので、できれば隠し通して欲しいが。彼女は軽く咳払いをして、話を続ける。


「つまり、乙訓先生に半ば脅されて認めざるを得なかったってことよね。あの井戸の蓋は元々壊れかけていたものだし、言いがかりも甚だしいわね。」


そう言いながら、真剣な眼差しで彼を見つめる。

彼女も井戸の蓋が壊れかけだったことを知っていたんだな。井戸の近くにはゴミ焼却場があるくらいだから、あの辺りに用がない人間は見る機会がないと思っていた。彼女の言葉に視野のひろさを感じながら、箒を片付け机を元に戻す。掃除も終わり、川中くんからも話を聞くことができ、かなり有意義な掃除時間だった。



掃除を終え、川中くんに手伝ってくれたお礼を伝えて、部活へ向かう彼を教室から見届ける。

嘉根さんは優雅に手を振り、川中くんは見えなくなるまで彼女を見つめ続けている。

ああやって彼女はファンを増やしているんだな。

そう思いながら、僕は帰る支度をして担任に渡す日誌を手に持つ。嘉根さんは、帰ろうとせずに窓からグラウンドの方を眺めている。

もしかして、川中くんに気があるのだろうか。何故だか、少しだけ胸がチリと痛む。


「日誌を渡しに行くけど、嘉根さんはまだ教室に残るかい。もし残るなら、鍵をお願いしたいんだけど。」


すると彼女は、勢いよく振り返り、


「いや、ついて行くよ!今回分かったことも整理したいから、あの喫茶店で話そう!」


僕は整理するような事も無いと感じていたので、そのまま帰ろうと思っていたが、そういえば気になることがあったので、その話に乗ることにした。


「分かった。じゃあそうしよう」


僕たちは教室の鍵を締め、職員室へと向かう。

ふと、後ろを歩く彼女の足音が聞こえなくなったので振り返って確認してみると、道中の渡り廊下で嘉根さんが歩を緩め部活棟を見ている。

やはり、川中くんに好意を寄せているのだろう。こんな茶番をさっさと終わらせて、夏休みになんとか引っ付いてもらいたいものだ。


「失礼します、2年A組の芽島です。クラスの鍵を返却しにきました。」

 僕ら二人の関係は勘違いされたまま教職員に広まっているようで、声掛けの後に職員室の扉を開くと、一番手前に座っていた先生が驚いた顔をした。そして、わざわざ鍵を取りに来てくれた。

日誌を渡すついでに、なぜか落ち込んでいた乙訓先生の様子を確認するために会いたかったのだが、どうやら珍しい事に既に帰宅したらしく何があったのかは聞けず仕舞いだった。

日誌はその先生が机に置いてくれるそうなので、職員室を後にする。

嘉根さんはやり取りの間、何も言わずにニコニコとしながら僕の横から離れなかったので、少し気味が悪かった。

普段ならば、どの先生と出会っても世間話をしているのに、なぜか今日は喋りにいかず、乙訓先生のデスクを眺めながら笑みを絶やさない。

父親経由で事情を知っているのだろうか、後で聞いてみよう。


昇降口で靴を履き替え、喫茶店に向かうべく外へ出ると雨が降っていた。大雨ではないが、傘が無いと身体は冷えてしまうだろうという強さだ。幸い、僕は折り畳み傘を持っているが、嘉根さんは傘を持っているのだろうか。同級生の女性の間では日傘を差すのが流行っている印象があるが、彼女はどうなんだろう。気になって聞いてみる。


「天気予報は晴れだったけれど、傘は持っているかい。」


彼女はチラリと僕のカバンに目をやった気がするが、そのあと自分のカバンを探って


「折り畳み傘を入れていたはずなんだけど、今日は忘れてしまったみたい。もし、よかったら芽島君の傘に入れてくれないかな。」


彼女は小首をかしげて僕に頼んでくる。以前まで意識したことは全くなかったのだが、彼女は本当に整った顔立ちをしている。整えられた眉に大きな瞳が上目遣いで頼みごとをしてきたら、正直断れる人間はいないと思う。


「構わないけれど…折り畳み傘だから二人で入るには小さいよ。」


荷物を増やしたくなかったため、折り畳み傘の中でも小さいものを選んでいたから、傘を一人で使っても肩幅があると肩が濡れそうな程だった。広げて見せても彼女は首を振って

「芽島君が良ければ、お願い」

と言ってくるものだから、小雨の中、恋人の様に体を寄せながら、小さな折り畳み傘を差して喫茶店に歩みを進めた。

何故だか、雨の音がやけにうるさく感じた。

目的地に着くころには、僕の体の右半分はびしょ濡れで、中のインナーが透けてしまっていた。このまま喫茶店に入るのは気が引けるので、彼女に先に入ってもらって、僕は店前の天幕の下で濡れた服を何とかしよう。


「ごめん、傘たたむから先入っといてくれるかな」


彼女はこうなることがわかっていたかのようにカバンから大きなタオルを出してきた。


「これ、使って。授業で使うかと思ったけど、使ってないから。」


彼女は雨にあまり濡れていないことを目で確認してから、気遣いをありがたく受け取って身体を服の上から拭く。


「ありがとう。服、買わないといけないかと思った、本当に助かったよ。明日洗って返すね。」


傘を畳み、タオルを肩から下げて二人で喫茶店に入る。今日はアルバイトの人がホールにいるみたいで、奥から歩いて案内に来る。


「いらっしゃいませー。お二人ですね、お好きな席へどうぞー。」


髪の毛を一つにまとめ、わざと出しているのであろう後れ毛をいじりながら気だるそうに接客をして、お冷を取りに厨房へ戻る。

嘉根さんは前回とは違う窓際の席を選んだ。相変わらずお客はそんなにおらず、ヘッドフォンをした他校の学生が勉強をしているだけだった。

席に着き、濡れたカバンを床に置いて息を整えると同時に、先ほどの店員さんがメニュー表を小脇に挟み、お冷とおしぼりをお盆に乗せてやってくる。

僕らの前にそれらを置いて、真ん中にメニュー表を置き


「ご注文お決まりになりましたらベル押してお呼びくださーい」


と、また気だるそうに目を伏せたまま去っていく。

いいな、今の工場の仕分けのアルバイトを辞めてアルバイト先をここに変えたいな。ミックスジュースも気軽に飲めるし。

そう思いながら、人肌より少し温かくしてあるお手拭きを広げて手を温める。

メニュー表に軽く目を通して、ミックスジュースと、小腹がすいていたのでサンドイッチのバスケットを頼むことにした。

彼女も注文が決まったようなので、ベルを鳴らす。リーンと静かな店内に綺麗な高音が鳴り響く。


「ご注文お伺いしゃーす。」

「ええと、私はチーズケーキとホットのブラックコーヒーを。」

「僕はミックスジュースとサンドイッチセットで」

「あいー。ご用意いたしゃすので少々お待ちくださーい」


あくびでもしそうな勢いで注文をメモに書き留めて厨房へ帰っていく。僕は気にならないが、彼女は育ちがいいから気に障るんじゃないだろうか。チラリと彼女の様子を確認してみると、こちらを見ていたようでバッチリと目が合う。


「どうかした?」

「あ、あぁいや。服とか濡れてないかなと思って。平気かい?」

「ふふ、悠君があれだけ傘を傾けてくれてたんだから、濡れるわけないよ。ありがとう。」

「あぁ…」


なんだか急に距離が縮まった気がする、前までは名字で呼ばれていたのに。やけに僕の顔を見つめてくるし。僕は気まずくなって水を飲む。コップについた結露がズボンに垂れるが、気にしていられない。

水を飲む間も視線を感じている。僕は耐えられなくなって、井戸の話をすることにした。


「そういえば、結局、井戸が壊れたのは川中君の仕業ではなかったね。」

「えぇ、そうね。思っていた通りだわ。」

「…でも、こんなことを言うのは良くないんだろうけど、普段は見ない一年生の練習を見ていたり、職員室でもお構いなしにタバコを吸う乙訓先生が喫煙所にいたり、偶然が重なりすぎて、これじゃあまるで、」


僕が彼女の鋭い視線に刺されながら、疑問に思っていたことをそれとなく伝えようとすると、タイミングよく現れた気だるげな声にかき消された。


「お待たせしゃしたー。ご注文のお品でーす。伝票、失礼しゃーす。」


ものすごい勢いで机の上に料理を並べていき、そそくさと立ち去っていった。


「わぁ、美味しそう。冷めないうちにいただきましょ。」


そういい、彼女はコーヒーに口を付ける。

僕は話を蒸し返す気にもなれなくてサンドイッチに手を伸ばす。

喫茶店を退店するまで、彼女の視線は騒がしかった。

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