第6話

 隣のクラスのドアは開きっぱなしになっていた。僕はスライドドアに手を当てながら、目当ての佐藤さんを探す。

教室前方で固まって喋っている女の子グループの中には居ない。

後ろのロッカー前でジェスチャーをしながら喋っている男女複数名の中にも居ない。

ちらほら机に向かって勉強や本を読んでいる人達の中にも居ない。

つまり、教室内に居ない。

しまった誤算だ。佐藤さんと話したことはあるが友好関係までは知らない。

仕方ないので帰りのホームルームまでに出会えることを願って今は大人しく教室に帰ろうとした時、


「誰かお探しですか?」


後ろから凛々しい声で呼び掛けられた。この声は。聞き覚えのある声に希望を抱いて振り返ると、予想通りB組の生徒会の書記係で同じ学級委員長の高橋さんだった。


「助かった!佐藤さんを探してるんだけど、何処にいるか分かるかい。」


高橋さんは手に持っていた生徒会の資料を小脇に抱えるように持ち直した後、少し考えて


「私はいつも生徒会メンバーとお昼を食べているから詳しくは分からないけれど、佐藤さんはいつもお昼休みが終わるギリギリの時間に樹里ちゃんと教室に帰ってくるわね。食堂か、もしくは樹里ちゃんが図書委員で二人とも本が好きだから、図書室の係員室で食べているのかもしれないわ。」


食堂は嘉根さんを呼びに行った際に軽く見回したがそれらしき人は居なかった。なるほど、図書室は思いつきもしなかった。本が好きな事も、もちろん初耳だ。


「ありがとう、きっと図書室だ。見に行ってみるよ、助かった。」

そういうと彼女は

「大したことはしてないわ。急いでるようだけど、廊下は走らないようにね。」


そう言い軽く手を振った。僕も微笑みながら手を振りかえした。

早歩きで同じ階の、隣の棟にある図書室へ向かう。高橋さんはしっかりとクラスメイトの事を見ており、仲も良いため本当に尊敬できる。内申点の評価と仕事量が釣り合わない生徒会の仕事も卒なくこなし、それでいて身体能力も高く成績も優秀だ。僕も高橋さんのように要領よく生きたいものだ。

図書室に着くと、部屋内は静まり返っていたが微かに女の子の声が聞こえる。きっと佐藤さん達だろう、歓談中の樹里さんには申し訳ないが係員室の扉を叩く。


「はーい、返却ですかー。」


と佐藤さんではない声がする。恥ずかしながら樹里さんのことをさっき知ったので、僕は彼女の名字すら知らない。

言葉から察するに、貸し借りの応対があるため、お昼休みに図書室で昼食を取っているのだろう。そしてその付き合いで佐藤さんが一緒に来ているのだろう。

係員室の扉の壁は、病院のカウンターのようになっており、壁の真ん中にガラスの窓がついている。窓の下には本を置けるだけの浅いカウンターがある。カウンターに手をついて、窓から中を覗き込む。


「いや、すまない。図書の事ではないんだ。佐藤さんはいるかな。」


そう伝えるとこちらへ向かって来ていた樹里さんの歩みがピタリと止まり、


「優香ちゃん、芽島くんだよ!!!」


と大きな声で奥の方へ走っていくのが窓から見えた。奥には、窓辺の机で本を読んでいる佐藤さんがいた。逆光でよく見えないが、樹里さんと僕には聞こえないような小声で何かを話している。朝の件といい、もしかして僕は佐藤さんに嫌われているのだろうか。

確かに、僕のような人間と友達で居てくれるのは福田相澤の二人くらいだが、ほとんど喋ったことのない隣のクラスの女の子に嫌われる程、僕は変わっている人間なのだろうか。今度二人に相談してみよう。

一人で勝手に辛くなっていると、佐藤さんがドアから出てきてくれた。


「あ、あの、用っていうのは。」


不信感から言葉が詰まっているのだろうか、だとしたら申し訳ない。なぜ図書室に居ることが分かったのかも向こうからは分からないからきっと気味が悪いよな。


「いきなり申し訳ない。本が好きだからここにいるかもしれないと思って来てしまった。今時間は大丈夫かな。すぐ済むから。」


そう伝えると、重い前髪で隠れた目が少しだけ開いた。


「う、うん。」


やはり僕を警戒していそうな様子だ。図書室では静かにしなければならないので、廊下へ移動しようとすると、係員室の奥から樹里さんが佐藤さんにファイトポーズのジェスチャーを送っている。僕に何かされたら殴ってでも逃げろ、という意思を伝えているのだろうか。

僕の印象があまりにも悪すぎる。過去の自分の評価を優先した立ち振る舞いを後悔しながら、端的に用件を伝えて立ち去ろうと決めた。


「時間は取らないから安心してくれ、佐藤さんはサッカー部のマネージャーをしているよね。A組の川中くんと放課後話をしたいから、部長か副部長か顧問に話を通しておいてほしいんだ。」


そういうと長い前髪の隙間から見えていた瞳が揺れた気がするが、下を向かれて髪で見えなくなってしまった。佐藤さんは下を向いて小さな声で何か言った気がするが、聞き取れなかった。悪口だろうか、不安になっていると彼女は下を向いたまま話し始める。


「うん、いいよ。次数学だからその時に伝えとく。」


僕が頼んだことがそんなに重荷なのだろうか、どんどんと肩を落として彼女は答える。


「その、本当にごめん。迷惑だろうけど、僕に何かできることがあればなんでも力になるからね。」


これは佐藤さんに、貸し一つと考えてもいいだろう。ここまで嫌われてる人間にお願いをされて承諾してくれたのだから、掃除でも課題でも代われることは代わってあげたい。僕が放った言葉が予想外だったのか、また彼女のキラキラと輝く瞳が黒い前髪から覗いた。


「なんでも力になってくれるの、?」


そう彼女は言って一歩僕に近づいてくる。解けない課題でもあるのだろうか。学校の学習範囲内であれば、僕に解けない問題は今のところない。


「あぁ。犯罪に抵触しない内容でモラルに反さない範囲であれば。何をして欲しいんだい。」


彼女は固唾を飲んで、また一歩近づいて彼女の手が僕の胸に触れそうになった時、


キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン


お昼休みが終了し、授業5分前であることを告げるチャイムが辺りに響く。もうこんな時間か。チャイムに驚いたのか、固まった彼女の目を見つめながら


「そろそろ行かなきゃ。いつでも頼ってくれて構わないから、これからも仲良くしよう。川中くんの件、頼んだよ。」


と伝える。彼女はハッとした様子で二歩下がり、また下を向いてしまった。


「う、うん。まかせて、またね。」


彼女は小走りで図書室に戻ってしまった。図書室からは樹里さんとの話し声が聞こえるが、女の子同士の会話は声が高くてよく聞き取れない。悪口ではない事を祈りながら、僕は教室へと急いで戻ろうと階段を降りようとするが、誰かに見られている気がする。

後ろを振り返るが、もちろん誰もいない。睡眠不足の弊害だろうか、今日は早く床につければ良いなと思いながら、今度こそ教室へ向かう。



 本日の授業は全て終わり、残すはホームルームのみとなった。

クラスメイトは皆、部活の用意をしていたり、帰りの用意をしていたり様々だ。

嘉根さんは川中くんに伝えてくれたのだろうか、椅子に座ったまま身体を捻り、嘉根さんを探していると、まさに今、川中くんと喋っていた。

よかった、ちゃんと伝えてくれているなと思い、前を向くと女子の黄色い悲鳴と男子の歓声が聞こえてきた。気になってもう一度振り返ると、嘉根さんが川中くんに至近距離で耳打ちをしている。中腰で彼女の背に合わせていた川中くんは耳まで真っ赤になっている。

確かに周りには聞かれたく無い事だから耳打ちをしているんだな、そう思い前を向くと後ろから恨みがありそうな力で叩かれた。誰だと思い振り返れば、ストレスを感じると下唇を噛む癖で唇がボロボロになった相澤くんだ。


「おい、あんなん見せつけられて黙ってんのかよ」


彼の唇を見ていると背中の痛さが気にならなくなってしまう。僕は彼に未開封の薬用リップクリームを手渡しつつ、誤解だと弁明した。


「何度でも言うけれど、誤解なんだって。僕と嘉根さんは相澤くんが思っているような仲じゃない。」


そう伝えても相澤くんは、やはり不服そうな目をしている。


「じゃあなんなんだよ、お前はアイツに遊ばれてるってのかよ。俺たち、その方が許せねぇよ。」


小声で悪態をつくように呟く。いつのまにか横にいた福田くんも頷いている。

僕はなんていい友人たちに恵まれたんだ。調査をする上ではそういうことにした方が楽なのだろうが、嘉根さんのクラス内評価を下げることに繋がってしまうので彼女のせいにはできない。

「いや、そういうわけでもなくて、」


僕が訳を話してもいいか悩んで言い淀んでいると、勢いよく教室の扉が開いた。

乙訓先生だ。

嘉根さんと川中くんのやり取りで緩んでいた空気が一気に冷える。駄弁りあっていた友人は黙って席へ戻り、川中くんをからかっていた人たちも、それぞれ蜘蛛の子を散らしたように席へ着き、椅子を引きずった際の嫌な音が教室中に鳴り響く。乙訓先生が教壇に立ち、騒音の中で黙って僕に目を配る。

号令だ。

椅子の音に負けないくらいの大きな声で号令をかける。


「起立!礼!着席!」


乙訓先生は、日頃から椅子は手で持って動かせと言っている。機嫌が悪ければこのまま怒号が飛んできてもおかしくない。防げなかった事態に僕は身構えて先生の言葉を待つ。

先生は手元の資料を見つめながら、しばらく無言のまま顔を上げない。

いったい何の時間なんだろう、と困惑していると次に大きなため息をついた。まさかそういうタイプの説教でも始めるのだろうか。いつもは大声で怒鳴り散らすパターンだったからこういう怒り方もするのか。

先生は手元の紙を大げさに音を立てて折りたたみ、前を向き話し始めた。


「朝のプリントをまだ提出していない生徒は、この後出すように。以上。号令」


予想外ですぐに反応できなかった。


「き、起立、礼、着席。ありがとうございました。」


他の生徒も困惑している様子で、挨拶がまばらだ。これに対しても、怒鳴り散らすことも説教も無い。

朝プリントを提出していなかった数名が提出に向かうが、無言で受け取って今朝の嫌がらせもない。こういう時は相当機嫌がいいことが多いが、先生の様子を見る限りあり得ない。きっとプライベートなことで心配事でも起こったのだろう。無駄な詮索はせず、川中くんに話を聞こうと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る