第5話応援だけで、誰かを守れるなら
昼休みの校舎に、悲鳴が響いた。
「やだ、何あれ!」
「逃げろ!」
廊下を走る生徒たち。その向こうから、ゆらゆらと歩いてくるのは──3年生の男子生徒だった。
ただし、その瞳は虚ろで、体から黒い靄のようなものが立ち上っている。
「アンチ魔力の暴走だ……」
誰かがつぶやいた。
アンチ魔力。それは、応援を受けられなくなった生徒に蓄積される負の感情が生み出す、制御不能な力だった。
天音そらは、図書室から飛び出してきたところで、その光景を目にした。
暴走した先輩が、逃げ遅れた1年生の女子に手を伸ばしている。
「だめ!」
そらは思わず叫んだ。でも、足がすくんで動けない。
その時、ふと隣の教室──1-Bの扉が見えた。
(光くん……!)
彼なら、かつてのヒーロー候補なら──
「光くん! お願い、助けて!」
そらの声が、静かな教室に響き渡った。
一瞬の沈黙。
そして──
バン!
教室の扉が勢いよく開いた。
白河光が、信じられないスピードで廊下に飛び出してくる。
「っ……!」
光の体が、薄く光を帯びていた。
それは間違いなく、魔力の発動だった。
暴走生徒の手が、女子生徒に触れる寸前──
光がその間に割り込んだ。
「下がってろ」
低い声。でも、そこには確かな力があった。
光の手から、淡い青白い光が放たれる。それは暴走生徒を包み込み、黒い靄を中和していく。
数秒後、暴走生徒はその場に崩れ落ちた。
正気を取り戻したようで、呆然としている。
「大丈夫か?」
光が女子生徒に声をかける。彼女は涙目でこくこくと頷いた。
廊下に集まってきた生徒たちから、小さなざわめきが起こる。
「今の、白河が……?」
「魔力、使えたんだ」
「でも、なんで急に」
そらは、胸が熱くなるのを感じていた。
やっぱり、光くんは──
「光くん!」
そらが駆け寄ろうとした瞬間、光が振り返った。
その表情は、苦痛に歪んでいた。
「……近寄るな」
冷たい声だった。
そらの足が止まる。
「でも、今──」
「応援なんて、いらないって言ってるだろ」
光は壁に手をついて、荒い息をついていた。
魔力の使用が、彼の体に負担をかけているのは明らかだった。
「勝手に……勝手に体が動いただけだ」
そう言い残して、光はふらつきながら保健室の方へ歩いていく。
その背中は、拒絶の壁を作っているようだった。
そらは、その場に立ち尽くした。
(どうして……)
助けてくれたのに。
守ってくれたのに。
それなのに、なぜあんなに苦しそうなの?
「天音さん」
声をかけられて振り返ると、クラスメイトの姫野ルナが立っていた。
学園のアイドル的存在で、いつも完璧な笑顔を浮かべている彼女が、今は真剣な表情をしていた。
「あなた、今『光くん』って呼んだよね」
「え、あ、はい……」
「なんで白河のこと、下の名前で呼ぶの?」
ルナの瞳に、警戒の色が浮かんでいた。
「それは……」
そらは言葉に詰まった。
推しだから、なんて言えるわけがない。
「まさか、あなたが白河を応援してるの?」
ルナの声が、少し震えていた。
「知らないの? 白河光は、応援で人を殺しかけた男よ」
その言葉が、そらの胸に突き刺さる。
「でも、今日は……」
「たまたまよ。あんな危険な力、また暴走したらどうするの?」
ルナは一歩前に出た。
「いい? この学園では、応援は命に関わることなの。軽い気持ちで誰かを推すなんて、許されないの」
そう言い残して、ルナは踵を返して去っていく。
廊下には、そらだけが残された。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、静寂が広がっている。
(応援が、命に関わる……?)
そらは震える手を見つめた。
自分の声が、光くんを動かした。
でもそれは、彼を苦しめることでもあったのかもしれない。
放課後、そらは屋上への階段を上っていた。
考えをまとめたくて、一人になりたかった。
屋上の扉を開けると、そこには──
「……なんでここに」
光がいた。
フェンスにもたれかかって、空を見上げている。
「あ、ごめんなさい。邪魔なら──」
「別に。好きにしろ」
光は視線を空に向けたままだった。
そらは少し離れた場所に座った。
二人の間に、沈黙が流れる。
やがて、光が口を開いた。
「さっきの、忘れろ」
「え?」
「俺が動いたこと。魔力を使ったこと。全部だ」
光の声は、諦めに満ちていた。
「でも、助けてくれたじゃない」
「……違う」
光が、初めてそらの方を見た。
その瞳には、深い苦悩が宿っていた。
「お前の声が、勝手に俺を動かしただけだ」
そらの心臓が、どくんと跳ねた。
「私の、声?」
「応援ってのは、そういうもんだ。相手の意思なんて関係ない。勝手に期待して、勝手に力を押し付けて、勝手に結果を求める」
光の拳が、震えていた。
「俺は、もう二度と……誰の期待にも応えたくない」
その言葉には、深い傷が隠されていた。
そらには、それが痛いほど伝わってきた。
「でも……」
そらは、言葉を探した。
何か、伝えたいことがあるのに、うまく形にならない。
「私は、ただ……」
「やめろ」
光が立ち上がった。
「お前の優しさも、応援も、全部いらない。俺に関わるな」
そう言って、光は屋上を去っていく。
一人残されたそらは、膝を抱えた。
(どうすればいいの……)
助けたいのに、拒絶される。
応援したいのに、それが相手を苦しめる。
夕陽が、校舎を赤く染めていく。
そらの頬を、一筋の涙が伝った。
(それでも──)
そらは、小さく呟いた。
「私は、あなたを信じてる」
その言葉は、誰にも届かない。
でも、そらの中で小さな決意が芽生えていた。
応援することが、誰かを傷つけるかもしれない。
でも、応援しないことで、もっと大切なものを失うかもしれない。
正解なんて、きっとない。
それでも──
(私は、私の気持ちに嘘はつけない)
そらは立ち上がった。
明日も、きっと光くんは私を拒絶するだろう。
でも、それでいい。
今はまだ、見守ることしかできないけど。
いつか必ず、この想いが届く日が来ると信じて。
そらは、夕焼けの中を歩き始めた。
──その夜、学園の掲示板に匿名の書き込みがあった。
『今日、3年生の暴走を止めてくれた人がいました。
名前は出せないけど、ありがとうございました。
あなたは、ちゃんとヒーローでした』
その投稿には、たくさんの「いいね」がついた。
そして、少しずつ「白河光」の名前が、違う文脈で語られ始めることになる。
まだ、ほんの小さな変化だったけれど。
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