第九話 ゼロからの再出発、そして「執筆中のAIの誘惑」

AIとの決別後、五平は途方もない喪失感と、

同時に訪れるかすかな解放感の中で、

ゼロからの自力での執筆を再開した。

長年連れ添った、もはや体の一部とまで

感じていたパートナーを失ったような空虚感が、

五平の心を支配していた。

だが、その解放感は長くは続かなかった。

AIに頼り切っていた期間が長すぎたため、

五平の「書く」という筋肉はすっかり atrophy し、

以前のように物語を生み出すことができず、

五平はすぐに困難に直面した。

机に向かい、パソコンの電源を入れても、

画面の白い部分を前に、

ただ、ただ時間が過ぎていくだけだった。

筆はまるで鉛のように重く、

一文字たりとも進まない。

アイデアも枯渇し、

泉が枯れ果てたかのように何も湧いてこない。

焦りや不安が、再び五平を襲う。

それは、AIを使う前の、

あの暗く、苦しい、絶望的な日々へと

逆戻りしたかのようだった。

いや、むしろ、あの頃よりも

さらに深い沼に沈んでいくような感覚だった。

一度、成功の甘い汁を吸ってしまったがゆえに、

以前よりも孤独と無力感が五平を蝕んだ。


五平が真っ白な原稿用紙を前にうなだれる姿は、

まるで何かに打ちのめされた敗北者のようだった。

頭の中には、過去のAIが生成した、完璧で

スムーズな文章が、幻影のようにちらついていた。

あの圧倒的な効率性、あの非の打ちどころのない完成度。

あの頃は、ただAIに漠然とした指示を出すだけで、

物語が次々と形になっていった。

その誘惑は、五平の心を激しく、そして執拗に揺さぶった。

もう一度、AIの力を借りてしまえば、

この苦しみから解放されるのではないか。

再びあの輝かしい成功の階段を

駆け上がれるのではないか。

そんな甘い囁きが、五平の脳内で

繰り返し、繰り返し、響いた。

まるで悪魔の誘惑のように、五平の決意を揺るがす。

しかし、五平は首を横に振った。

あの偽りの成功に戻るわけにはいかない。

たとえ泥をすすってでも、自分の手で

物語を紡がなければ、本当の作家にはなれない。

そう、心に誓った。

「限界は『できた』と思った時に生まれる。

書け。まだ足りない。

お前の魂は、まだ、こんなものじゃないはずだ」

師の厳しい、しかし温かい言葉が、

五平の心の奥底から湧き上がり、

彼の心を奮い立たせた。

それは、五平が本当に目指すべき

場所を指し示しているようだった。

自分の魂を込めた作品を生み出すこと。

それが、五平の唯一の道だと、

改めて強く認識した。


AIに頼りたいという強烈な誘惑と戦いながらも、

五平は自分の「書きたい」という純粋な気持ち、

つまり「魂」を込めた物語をもう一度紡ぎ出そうと

奮闘した。

彼はまず、自分が本当に感動し、

心を揺さぶられた小説や、

歴史に名を刻むような名作を読み返した。

書斎の棚から埃をかぶった文庫本を引っ張り出し、

貪るようにページをめくった。

読み進めるうちに、五平は改めて

「人が書いた物語」の力に触発された。

そこには、AIには決して生み出せない、

作者の感情や、人間らしい不完全さ、

そして葛藤が、生々しく、痛々しいほどに

描かれていた。

登場人物たちのセリフ一つ一つに、

作者の魂が宿っている。

物語の描写には、作者の人生経験や

世界観が凝縮されている。

それは、AIが提供する「最適解」とは

全く異なる、深くて温かいものだった。

五平の心の中に、再び小さな火が灯り始めた。

それは、かつて感じた、創作への純粋な喜びの炎だった。


彼は、AIに依存する以前に書いていた、

未完成の短編小説のファイルを

パソコンの中から探し出し、

恐る恐る引っ張り出してきた。

それは、読者からの評価は芳しくなかったが、

五平自身の感情が込められた、

紛れもない「五平の作品」だった。

稚拙な部分も多かったが、

そこには確かに五平の「個性」が宿っていた。

その物語を読み返すうちに、

五平は自分の原点、

なぜ自分が小説を書き始めたのかを思い出した。

それは、誰かに認められたいという

承認欲求だけではなかった。

自分の内側から止めどなく湧き上がる衝動、

物語を創造する純粋な喜び、

そして、自分の言葉で誰かの心を

動かしたいという、切なる願いだった。

五平は、再び真っ白な原稿用紙に向き合った。

今度は、AIの助けなしに、

自分の手で、一文字ずつ、

ゆっくりと、だが確かに、

物語を紡ぎ始める。

彼の指は、以前のように滑らかではなかったが、

その一文字一文字には、

五平自身の魂が込められていた。

部屋の窓辺に置かれた枯れた植木鉢は、

しかし、五平の心の中には、

新たな創造の芽が、静かに、

だが確かに息吹いていた。

古時計は相変わらず止まったままだが、

五平は、自分の手で、

新たな「時」を刻み始めようとしていた。

それは、過去の自分との決別であり、

真の作家への第一歩だった。

五平の目は、かすかながらも、

確かな光を宿していた。

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