第1章 影の猫 - 6

 カゲトラに引きずられるままに、サンは山の中へ連れてこられた。人間の気配はなく、それどころか生き物全般の気配もない。日が沈み始めたせいだろう。うすら寒い風が、深く生い茂った木々のあいだを抜けてゆく。耳鳴りがするほど静かな場所だ。

 「ま、ここでええやろ」

 カゲトラが言った。サンは、すかさず——。

 「な、なんなんですか? 手伝えることなんてありませんよ。その、凄く強い流れ者も、猿の軍団も、僕じゃどうにもなりません。一緒にいても、むしろカゲトラさんの足手まといになるだけですって!」

 早口で、思いのたけをブチまける。するとカゲトラは何も答えず、ゆっくりと腕を組み、サンの足もとから頭頂部までをじっくりと見た。その視線に気が付き、サンが訊く。

 「えっと……ごめんなさい。なんでしょうか? なんか変なところがありますか? でしたら、謝りますし、直しますけど……」

 おずおずと尋ねると、カゲトラが言った。

 「お前なんやろ?」

 サンの脳内を巨大な「?」が浮き上がる。あまりに唐突な言葉だった。その言葉が、これまでの会話の何処に掛かっているのか分からない。サンは考える。カゲトラが腰を痛めて倒れている時まで記憶を遡る。必死に考えるが——やっぱり、意味が分からない。

 カゲトラが続けた。

 「例の流れ者っちゅうのは、お前やろ?」

 またしても意味が分からなかった。サンはきょとんとしたまま、意味を考える。そう言われてから、1秒、2秒と時間が経ち、5秒ほどの沈黙を挟んだのち、

 「はいぃ!?」

 サンは驚愕した。

 ——何を言っているんですか、この人!? どういう理屈!?

 慌てふためくサン。一方のカゲトラは、目をつぶり、話す順番を整理するように何度か頷いた。そして「注目!」と言わばかりに、右人差し指をピンと立てて語り始めた。

 「流れ者は標準語を喋っていたらしい。北九州は猫の街や。九州はもちろん、大陸や東南アジアの方からも食い扶持が欲しくて猫が集まる。けどな、関東から来る猫なんざ、そうそうおらんワ」

 カゲトラの顔に、勝ち誇った笑顔が浮かぶ。名探偵が真犯人を追い詰めるような——。

 「しかも、この流れ者が白菊のやつらをブチくらしたんは、まだ1週間も経っちょらん。お前も北九州に入って数日やろ? 時期も被る。つまり——」

 そしてカゲトラが真っ直ぐに立てた指を、サンに突きつけて言い放った。

「お前やん?」

 カゲトラは勝利の笑顔を浮かべる。それは自信満々であると同時に、「もう全部バレとるんちゃ。罪を軽くすために、早く自首しろ」そう言わんばかりの、ある種の憐れみすら感じる笑顔だった。

 しかし、最大の問題があった。

 「えっと……いや、違いますよ」

 違うのである。サンは誓ってそう言えた。そんなこと――ピストルを持った猫とケンカして勝つこと――はしていない。というか出来ない。それだけ強ければと夢見ることはあっても、現実に行うことは不可能だ。だって自分は弱いのだから。マトモに野良猫すら出来ず、マトモなメシにもありつけず、さっきまで餓死寸前だったのだ。

 ところがカゲトラは、

 「隠すなちゃ。全部わかっとる」

 やさしい顔で言った。サンは全力で否定する。とりあえず、深く頭を下げて――。

 「ごめんなさい!」

 力強く謝る。そのうえで、

 「いいえ、あの~~……ごめんなさい。本当に違うんですが……」

 丁重に事実を伝えた。が、

 「ま、いいわ。どういう事情があったか知らんけど、やったもんはしゃーねぇ」

サンが下げていた顔を高速で上げた。カゲトラは「ま、いいわ」と言ったが、何ひとつとして良くなかった。

 「えっ! まっ、待ってください! やった前提で話を進めないでくださいよ!」

 「俺がお前を依頼主の連中のところへ連れて行って、話をつけちゃる。そんで終わりや。話せば分かる連中やから、別に指やら詰めたりすることにはならんやろ。たぶん」

 「“たぶん”って何ですか!?」

 「相手がいることやからな。俺だって絶対とは言えん」

 「指がかかっているのに!? っていうか、そもそもやってません! 人違いです!」

 「うるせぇ。さっさと認めんかい。ここなら誰も聞いちょらんけ、これからどう謝るか、口裏を合わせるんちゃ。で、缶詰を貰って終わりちゃ」

 「だからやってないんですよー!!」

 サンが叫ぶ。すると、

 パァン!

 爆発音がした。カゲトラが、自身の左右の拳をぶつけ合ったのだ。周囲一帯の空気が揺れ、完全な静寂が訪れた。

 「聞けちゃ」

 カゲトラが言った。その目には、今までにない感情があった。真剣にサンを見据えるだけではなく、まるで自分自身の心の奥深くにまで語り聞かせようとするような――。

 「悪いことしてようが、そんなんは大事やねぇ。大事なんは、悪いことをした後や。悪いことしたあとでも、イイやつになろうとすりゃ、イイやつになれるんちゃ。イイやつになろうと決めるのに、早いも遅いもねぇ。取り返しなんてナンボでもつくんちゃ。ま、苦労はするけどな。それでも、ヨゴレの悪党を続けるよりは、ずっとマシに生きれるぞ。どうせ生きんといけんなら、イイやつで生きた方が絶対ええんちゃ」

 サンは黙った。こんな視線と言葉を受けとめるのが初めだったからだ。

 しかし、

 「でも、本当に違うんですよ。僕は……」

 サンは気まずそうに伝える。その言葉の途中で、

 「気を付けろ!」

 今度はカゲトラが叫んだ。サンは「え?」と間の抜けた声を漏らす。

ほぼ同時に、何かがサンの背後を取った。ズチャっと地面を踏む音がして、毛だらけの腕がサンの首に巻き付いたのだ。

 サンの全身から、瞬時に血の気が引く。首の感触は、それが強固で柔軟な筋肉であると告げた。

 次々と地面を踏む音が辺りに響く。

 計8匹の猿たちが、木々の隙間から跳躍し、カゲトラとサンを取り囲んだのだ。

サンを捕らえたサルが言った。

 「カゲトラぁ~~、探したぜぇ」

 サンは耳もとで感じた。猿特有の生臭く凶暴な口臭と、自分が死ぬ数秒後の未来を。

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