【第10話】砂漠の街

 ——吹き荒れる砂の海に、三つの影が舞い降りた。


 「なんとかなったな」

 ギルが静かに砂を払い、何事もなかったように立ち上がっていた。


 「っぶねぇぇぇ!! なんとかなったな。 じゃねぇーよ!もうやってらんねぇ!」

 その隣では、砂を盛大に蹴り上げてシエラが立ち上がる。


 「僕、ちゃんと着地したよ!」

 クウはにこにこと胸を張っている。


 「お前ら……どんだけ修羅場くぐってきたんだよ!」

 シエラが叫ぶ。

 しかし次の瞬間、その声は乾いた風に飲まれた。


 見渡す限りの砂、砂、砂。

 地面はひび割れ、建物は半分砂に埋もれ、街の輪郭すら曖昧だった。

 太陽は白く光り、熱気が空気を揺らしている。


 「おい……嘘だろ。さっきまで草原だったよな? この砂漠、どっから湧いたんだよ」

 シエラの額から汗が流れる。

 「たぶん、魔力による環境変化。……天星士の仕業だね」

 クウが風を手で感じ取りながら呟く。

 その指先に纏う空気が、微かに震えていた。


 「ここが“養蜂の楽園”ヴァルベールってわけか?」

 シエラが苦笑する。

 「これじゃ“養砂の地獄”だね」

 クウもシエラに乗っかって冗談を言った。


 その瞬間——。


 ふら、ふらと。

 砂の向こうから、ひとりの男が現れた。

 体は痩せこけ、歩くたびに砂を掴むようにして前へ進んでいるが、すぐに砂の上に倒れ込む。


 「おいっ! 大丈夫か!?」

 シエラが駆け出した。ギルとクウもすぐに続く。


 「……み、水を……くれ……」

 掠れた声で男が水を懇願した。

 クウがすぐさま腰の水筒を差し出した。

 「はい、どうぞ。ゆっくり飲んで」


 男は震える手で水を受け取り、喉を鳴らして飲み干す。

 数口で息をつき、ようやく言葉を紡いだ。


 「……助かった……ここは……地獄だ……早く……逃げろ……」

 「俺たちはこの街の異変を止めに来た。でもなんでこんな……廃墟みたいに……」

 「突風だ……」男が呟いた。

 「あの女が……全部、風で壊した……」


 「女?」

 「“風の女帝”を……名乗る魔女……あいつが……現れてから……この街は……砂漠になった」


 シエラの顔に怒りが走る。

 「そいつが天星士ってわけか……!」

 「間違いない。……ただの風じゃない、生きてるみたいだった」

 クウの声が風の音に溶けた。


 「そいつが今どこにいるか分かるか?」


 男は指を震わせながら、遠くを指した。

 砂の向こうに、一本の白い塔が見えた。

 どんな嵐にも崩されず、まるで空を貫く槍のように聳えている。


 「あの塔……“風の塔”と……呼ばれてた。……魔女は……あの頂上から……風を操ってる……」

 言い終えると同時に、男の体がぐらりと傾いた。

 「おいっ!」

 シエラが支えたが、男は気を失っていた。


 「大丈夫。気を失っただけみたいだ」

 クウが優しい口調で告げると、ギルが黙って抱き上げ、近くの瓦礫の陰に寝かせる。


 「よし……あとは俺たちの出番だな」

 シエラが立ち上がる。その目はすでに塔の頂を見据えていた。


 「シエラ、突っ込む気?」

 「当たり前だろ! この街の空気、ムカつくくらい止まってんだ。風の主をぶっ飛ばして、元に戻す!」

 「無茶言うな……」

 ギルが短く吐き捨てる。

 「無茶でもやる! それが天星士だろ!」

 シエラはにやりと笑った。


 「ふふっ。そういうとこ、嫌いじゃないけどね」

 クウが軽く肩をすくめる。

 「でも行くなら、風向き読んで進まないと。塔の外壁は気流が暴れてる。無策で行ったら吹き飛ばされるよ」

 「また風に飛ばされるのはゴメンだもんな」

 シエラが笑う。

 「……俺もだ」

 ギルが静かに頷く。


 その瞬間、再び風が鳴いた。

 塔の頂から、淡い光の羽が舞い降りる。

 まるで誰かが“見ている”かのように。


 クウが顔を上げた。

 「……感じる。魔力が、動いてる。あれ、ただの風じゃない。何かが呼んでる……」

 「呼んでる?」

 「うん、僕たちを……試すみたいに」


 砂がざわりと揺れた。遠くの塔の上、誰かの笑い声が風に混じって届く。


 シエラが拳を握った。

 「上等だ……行くぞ、風の魔女」


 ギルとクウが無言で頷いた。

 三人は砂を蹴り、風の塔を目指して歩き出した。


 吹きすさぶ砂嵐の中、彼らの足跡だけが確かに残っていく。


 ——風が、また彼らを試すように、笑った。


  砂を踏みしめ、三人は塔に向かって歩き出した。

 シエラは先頭で胸を張り、砂嵐の中でも動じない様子を見せていた。だが、体は幾度となく突風に揺さぶられ、足取りは軽くも、決して安定してはいなかった。


 ギルは黙って二人の間に入り、手で顔を覆うようにして砂を払いながら歩く。言葉は少ないが、その瞳は絶えず周囲を警戒し、わずかな異変も見逃さない。


 瓦礫の間を縫うように進むたび、突風が止んではまた吹き荒れた。三人はわずかな静寂を狙って、半壊した建物の陰に身を潜め、次の一歩を踏み出す。


 「くっ……風が……止まったと思ったら、また来やがる!」

 シエラが歯を食いしばる。

 「風の強さが不規則すぎる。魔力の干渉で、自然の流れが完全に狂わされてるね」

 クウは手を伸ばし、空気の震えを確かめるように目を細めた。


 しばらく進むと、砂に埋もれた街の廃墟が姿を現した。かつては活気に満ちた商店街だったのだろう。今では屋根の一部が砂丘に呑まれ、風が通り抜けるたびに古びた鐘の音がわずかに響いた。


 「……ここまで徹底的にやられてるのか」

 ギルが低く呟く。

 「ふざけんなよ……! 俺たちの手で元に戻してやる! 絶対にな!」

 シエラは拳を握り、怒気を滲ませた。


 「落ち着いて。怒りで突っ込んだら、風に呑まれるだけだよ」

 クウはやわらかい声でたしなめる。

 「わかってる。でも、腹が立つんだよ。こんな無茶苦茶……!」

 シエラは吐き出すように言い、再び前を睨んだ。


 ギルはそんな二人を横目で見ながら、短く息を吐く。

 「……行くぞ。時間がねぇ」


 塔のシルエットが次第に近づくにつれ、風の唸りは獣の咆哮のように荒れ狂った。砂の地面がうねり、光の残滓がいくつも浮かび上がる。


 「……あれ、魔力の塊がいくつもある」

 クウが警戒の声を上げた。

 「魔力の塊?」

 シエラが眉をひそめる。

 「うん。……風で作られた“形”だ。たぶん、誰かが塔を守るために生み出してる」


 風の中、影がゆらめいた。輪郭は人の形をしているが、全身が砂と風で構成されており、目の位置に淡い光が宿っている。


 「おいおい……冗談だろ。風の兵士ってか?」

 シエラが苦笑しながらも、背中に熱を帯びる。

 「たぶん、塔の主——“風の女帝”が作った使い魔。様子を見てるんだと思う」

 クウが冷静に分析した。


 ギルは無言で武器に手をかけるが、シエラがそれを制した。

 「いや、まだいい。あいつら、塔を守ってるだけだ。……なぁ、クウ」

 「うん。たぶん、今の段階じゃ戦う気はないと思う。攻撃したら、一斉に来るだろうけど」


 「なら、乗ってやるよ。試されるのは嫌いじゃねぇ」

 シエラは砂を蹴り上げ、風の中を真っすぐ見据えた。


 ギルが小さくため息をつく。

 「……ったく」


 やがて、塔の麓に辿り着く。

 目の前に立ちはだかる“風の塔”は、近づけば近づくほど異様な存在感を放っていた。白い石でできた外壁には、絶えず流れる風の紋が刻まれており、まるで塔そのものが呼吸しているかのようだ。


 突風が一際強く吹き荒れ、砂が渦を巻く。その中心から、透き通るような声が響いた。


 《……ようこそ、愚かなる来訪者たち。塔の頂でお待ちしています——》


 それは女の声だった。

 柔らかくも威圧的で、風そのものが喋っているような感覚が三人を包む。


 「……みんな聞こえたな?」

 ギルがぼそりと呟く。

 「上で待ってるってか。上等だ、行ってやろうじゃねぇか!」

 シエラの口元に笑みが浮かぶ。


 クウは空を仰ぎ、目を細めた。

 「風の流れが……変わってる。塔の中は、たぶんもっと不安定だよ」

 「望むところだ。風が相手なら、真正面から吹き抜けてやる!」


 三人は視線を交わし、同時に頷いた。

 砂嵐の向こう、塔の入り口へと足を踏み出す。


 ——風が彼らを嘲笑うように、再び唸り声を上げた。

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