第4話‐3
この世のものとは思えなかった。
発生区域を仕切る、高い金網状の障壁の前で、息を呑む音が揃う。
高さ十メートル、直径五百メートルにも及ぶ緩衝結界(バリア)に囲まれた発生区域の中は、竜秋たちのいる外側とはまったくの別世界。一言で形容するなら――核に焼かれた街。
強靭な理力伝導素材で編まれた金網を越えて間もなく、巨大なスコップでえぐられたみたいに一気に標高が落ちる。外周を瓦礫の山に取り囲まれた、辺り一面の黒い砂漠を、竜秋たちは金網越しに見下ろす格好だ。ほんの四十年前まで、青砥駅を中心に商店街や飲食店で賑わっていた下町が、変わり果てた姿で眼下に横たわっている。
大量の瓦礫が縁取るようにエリアを囲んでいたり、クレーターじみた凹地が重ね合わさったような地形になっているのは、この中で塔が発生するたびに、核爆発じみた衝撃波が一帯を吹き飛ばすから。四十年もそれが続けば、どこのエリアも似たような光景になる。
草の根一つ生えないような侘しい焼け野原に――華を添えるような、三条の巨塔。
一直線に天まで伸びるその尖塔たちは、白い蒸気を上げるエメラルド色の鮮やかな塔が【塔一号】、それより少し背の低い六〇メートル級の青いのが【塔六号】、そして群を抜いて巨大な、白色の煉瓦を精密に組み上げたような、蒼天を突く全高二五〇メートルの摩天楼が【雪月塔(セレヌス)】と名づけられている。
塔の名前は、エリアを所有している各都道府県がそれぞれ独立して、年明けから新しく発生した順に台風のように命名していく。東京はこの青戸を含む五ヶ所のエリアを持っていて、塔の発生を検知するたび、そのとき一番空いているエリアに発生を誘導する。他の発生区域ではいずれも四基の塔が建っているため、今朝の塔予報にもあったとおり、次の塔はここに誘導される手筈となっている。
例外として。ほとんどが半年以下で自壊する塔において、何年も涼しい貌で地表に佇む長寿の塔――ほぼ例外なく、平均から逸脱して巨大、あるいは異形の塔――には、畏敬を込めて固有名が与えられる。【雪月塔(セレヌス)】はもう五年近く、時が止まったように青戸の町を見渡す発生区域Ⅲの象徴的存在。今や観光名所化に留まらず「せれぬん」という訳の分からないゆるキャラまで誕生する始末である。
『見えますか、皆さん。あれが《避塔針(コンダクター)》ですよ』
内耳に直接響く女性的な機械音声が、竜秋たちにアナウンスした。学園版ウラヌスに内蔵された機能の一つ――コーチングAI『コウチ』の声であった。本日の実習は教官に代わってコウチが案内を担当する。普段から授業で分からないところや園内の施設などについて気楽に質問できたり、一人ひとりの成績やデータに基づいて的確なフィードバックをくれたりと、二十四時間学生のサポートをしてくれる存在だ。エンを注ぎ込めばより高性能なものにアップグレードしたり、ボイスをプロ声優の美声を忠実に模倣した生成音声に変更したりできるらしい。
コウチの指示通り、へこんだ黒い大地の一点を見下ろすと、灰色の砂煙で霞むその先に、遠方、黒い"針"のようなものがかすかに見えた。実際には、竜秋の背丈を優に上回る巨大な三角錐の物体だったが、この距離で隣の塔と見比べれば針にしか見えない。
『コンダクターには特殊な理力が凝縮されており、塔の発生を精密に限定することができます。頑強な緩衝結界で囲まれた発生区域内にのみ塔の発生を限定することで、発生の瞬間に生じる凄まじい衝撃から街を守っているのです』
「すげー! こんな近くで塔見れるなんて! そのこんだくたー? ってやつも、今日のタイミングじゃないと見れなかったもんな! ラッキー!」
はしゃぐ爽司の言うとおり、竜秋たちは校外学習中の候補生という権限で、今、一般人の立入禁止区画から数百メートルも発生区域の中に踏み込んでいる。ここは竜秋を含め、全員にとってまさしく未知の領域だった。
「さっさと俺らも、塔に挑めるようにならねえとな」
「うん。絶対に……」
手のひらに食い込むほど金網を強く握りしめる誠の横顔は、やけに焦っているように見えた。
『滅多に見られるものではありませんが、いよいよ塔の発生が近づくと、コンダクターが呼応して輝き始めます』
「ほえー。あんな風にっすか?」
爽司がそう指をさすので、竜秋たちは一斉に視線をエリアの中央部に戻した。
光っている。
冷たく無機質な黒色だったコンダクターが、淡く、発光している。それも段々と強く、まばゆく、激しく明滅をしていく。際限なく加速していく心臓の鼓動のように。
目を見張ると同時、竜秋たちは一目散に金網に張り付いた。これから起ころうとしている希少な出来事のすべてを記憶に、心に焼き付けるために。
肌が切れそうなほどに、空気が張り詰めていく。光の点滅が目で追えないほどに加速していく。なにか途方もないエネルギーの塊が、あの黒い三角錐から生まれようとしている。
閃光の刹那、竜秋たちを大爆風が襲った。
正確には、金網の隙間を埋めるように展開した青い理力の光壁が、爆風と衝撃と砂礫を全て受け止め、余波が一同の髪を激しくかき乱す程度に留まったが。それでも半透明の光壁越しに、黒い砂漠が放射状に吹き飛ぶ凄惨な光景を目の当たりにして、全員言葉を失う。
最初に口を利けるようになったのは、竜秋であった。
「――すげぇ」
総毛立つ。黒い砂塵を巻き上げて、今、エリア東京Ⅲに新たな塔が"生えていた"。
通常塔の二基を僅かに上回る、全長八〇メートル級の巨塔。深い紅色の外壁には白く発光する幾何学模様が浮かび上がり、脈打っている。塔の息遣いが竜秋には聞こえた。産声をあげて、塔は今、ここに生まれたのだ。
『【塔一一号】発生、【塔一一号】発生。四月二六日、〇九四七、【塔一一号】発生。想定より早く発生したため、事前の警戒アナウンスができませんでした。近隣にお住まいの皆様にお詫び申し上げます』
大音響のサウンドニュースが駆け抜けていく。凄まじい音と爆風だったが、人が住んでいるのはここから更に一キロ程度離れた範囲からだ。発生区域近辺は"これ"があるからこそ土地や家賃が格安になっているので、納得して住んでいる近隣住民からすればとっくに日常の一部に違いない。
「すっげえええええ! 塔発生の瞬間見ちまった!!」「でか……」「音もすごいね……耳がまだキーンってなってるよ」――興奮冷めやらぬ生徒たちに、コウチもどこか満足げに応答する。
『いいものが見れましたね。新しい塔――【一一号】は八〇メートル級といったところでしょうか。皆さんが二年に上がる頃には、アレに挑める階級になっていてほしいものです』
塔の攻略難易度は、塔の規格(サイズ)に比例する――その学説は、これまでの統計から高い信ぴょう性が認められている。故に、塔と塔伐者には危険度と実力に応じて査定された階級(レベル)が付与される決まりができた。その基準は実に分かりやすく、例えば今回の【一一号】は八〇メートル級だから、要求レベルは「八〇」。目安として、塔伐科高校の新入生が一年目のカリキュラムを終えるとき、達しているべきレベルの最低基準が「五〇」。二年生の最後には全員が「一〇〇」を超えるのが学園の目標に設定されている。
ふと何か、言葉にしがたい気配を察し、竜秋が視線を塔へ戻した、次の瞬間。
ピシリ――と、空間の割れるような、凄絶な破砕音が響いた。
さきほど生まれたばかりの真紅の塔に、"亀裂が走った"のである。
目を剥き絶句する竜秋たちの鼓膜を、けたたましいサイレンが貫く。
『緊急警報、緊急警報、【塔一一号】がステージ三に移行。"自壊"寸前の兆候を確認。近隣の住民に避難指示を発令。対象区域は――』
それは、竜秋も、コウチですら、数秒の思考停止に陥るほどの非常事態だった。
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