第十幕 二人は舞台の上
30
舞台の公演初日がやってきた。
未だ批判の声は上がってきている。
公演をすることでその声がさらに増える可能性はあるのかもしれない。
実際、スタッフの一部からはそういう意見もあったらしい。
けれど、結局舞台は中止にならなかった。
綾瀬さんは今回の当事者であるボクにちゃんと確認をしてきて、ボクがそれに対して問題はないと答えたからだ。
何があろうとも役者を続けていくと決めた。
こんなところで怖気付いてなんかいられないんだ。
だからボクは舞台に立つことを選んだ。
そうして公演当日を迎えたんだ。
ボクは予定よりも早く会場入りをしいた。
そして控え室でリハや準備が始まるのを待っている。
控え室にはボク以外にまだ誰もいない。
……さすがに早すぎたかな。
今朝は早く目が覚めてしまった。
けれどそのままじっとしてはいられなかった。
だからボクは身支度を整えて家を出た。
ゆっくり向かえばちょうどいい時間にたどり着くと思っていた。
思っていたんだけれど……。
想定より早く着いてしまった。
幸い、もう会場に入れるようになっていたからよかった。
こんなにも早く着いてしまうなんて……。
ボクはどうも緊張しているらしい。
まあ初めてのちゃんとした舞台なわけだし、こればっかりは仕方ないのかも。
けれどそんな緊張は舞台で役立たない。
急ぎすぎて諸々のタイミングがズレてしまったら目も当てられない。
ここで気持ちを切りかえておくべきだ。
ボクは頬を両手で叩いて気合いを入れる。
「……よしっ」
気合いを入れたところで、ボクは台本を見直しておこうと思った。
ちょうどその時だった。
ガチャリと、控え室の扉が開かれた。
目線を向けると、そこには麗寧がいた。
「誰かと思えば……。もう来ていたんだね、晴希」
麗寧はそう言って、ボクの隣に腰をおろした。
「ちょっと早く起きちゃったから、ついでだから早めに来たんだ。……遅れるよりはいいだろ」
「そうだね」
「……そういう麗寧は、なんで早く来たんだよ」
「君と立つ舞台が楽しみでね、早く来てしまったんだ」
「楽しみって……」
ボクは思わずため息をついてしまった。
遠足が楽しみで寝られなかった小学生かよ。
「あのさ、遊びじゃないんだよ? わかってる?」
「わかっているさ」
「……それならいいけど」
麗寧はどう見ても余裕そうで……。
こういうところにも経験の違いが出ているようで、なんかちょっと面白くない。
だからといって経験は今すぐどうにかできるものじゃない。
積み重ねないと手に入らないものだ。
これから先、麗寧のような余裕を手に入れればいい。
ボクは麗寧の楽しそうな横顔を見上げる。
麗寧の瞳は相変わらず輝きに満ちている。
経験を積んで、ボクはこの輝きに勝たないといけない。
いや、必ず超えてみせる。
そのためにも、麗寧にはボクの気持ちをちゃんと伝えておかないとな。
「あのさ、麗寧」
「どうしたのかな、晴希」
「この舞台の公演が終わったら、話したいことがあるんだ」
「……話したいこと?」
ボクは静かに頷いた。
麗寧は不思議そうな顔でボクを見ている。
ボクはその瞳を見つめ返す。
「それは、今話すわけにはいかないのかな」
「それじゃあダメなんだ。……たぶん、気持ちに影響することだから」
「なるほど……。わかった、公演が終わるまで待つとしよう」
麗寧はそれ以上、詮索してはこなかった。
無理やり聞いてきたらどうしようかと思っていた。
けれど、そういうことにはならずに済んでよかった。
これで安心して舞台に集中できる。
ふと思いついて、ボクは麗寧に拳を突き出した。
「……これは?」
「やってやろうぜってこと」
「なるほど。そういう意味でも使えるんだね」
そして、麗寧は拳を出す。
「……舞台、成功させような」
「もちろん」
ボクと麗寧は、いつかのように拳をつけ合わした。
そうしてボクたちは、舞台の幕が上がるのを待つのだった。
○
舞台は滞りなく進んでいた。
物語は中盤地点を過ぎたあたりまで来ている。
そしてボクは今、次の出番のために舞台袖に立っていた。
舞台袖から見える舞台は薄暗い。
舞台と客席の間には薄く、透けている幕が下りていた。
そこには山頂付近の荒れる風を表現したエフェクトと、その中に時折混じる礫の様子が映し出されていた。
風の吹く効果音が響いている。
険しい山道の様子が舞台の上にあった。
もしもこれが現実であったのなら、登山装備なしでは危ない。
下手をすれば怪我を負い、最悪転げ落ちて死に至るかもしれない。
礫だって飛び交っている。
傷を覚悟しなければ進むことができない。
……これは今のボクを取り巻く世界に似ている。
言葉の礫が飛び交っている。
ボクの王子様なんて認めないという声が渦巻いているんだ。
それでもボクは踏み出すと決めた。
だから、ボクは舞台へと足を踏み出した。
同時に薄い幕が上がっていく。
舞台にはもう麗寧がいた。
ボクと麗寧に、それぞれスポットライトが当たる。
ボクと麗寧の視線が交わる。
麗寧の瞳にはいつもの輝きがあった。
……やっぱり、麗寧はそうでなくちゃいけない。
この輝きこそが、ボクの好きな麗寧なんだ。
彼女に曇った瞳は似合わない。
《白銀の龍の住まう山の頂で王子と姫は再会をする。
その時、王子の身体には無数の傷が走っていた。
それはここに来るまでについた傷。
道中は険しく、荒々しい風が吹き荒れていた。
だから王子の身体は傷だらけだったのだ》
『……どうして、そんなに傷だらけになってまで、ここまで来てしまったのですか?』
《姫は静かに問う。
王子は何も言わず、ただ姫の方へと歩み寄った。
そんな王子に、姫は距離を取って顔を背けてしまう。
そこでようやく王子は口を開く》
『僕は、君を迎えに来たんだ』
『そんなことをしてはダメ。……みんなに石を投げられてしまいます。私はあなたに傷ついてほしくないのです』
《王子は静かに首を横へと振った》
ボクは気がついていた。
自分の麗寧に対する感情がどういうものなのか。
その答えはもうボクの中にある。
『僕は石を投げ続けられるかもしれない。なぜ君を龍のもとへと行かせなかったんだと、そっちのほうが幸せになれたのにと。……そうやって叱責を受け続けるかもしれない。それでも、僕は君のそばにいたいんだ』
《王子は姫にそっと近づく。
そして彼女の手を優しくとった》
どうしてボクは麗寧のそばにいたいのか。
どうして麗寧がそばにいて欲しいと願うのか。
どうしてボクは麗寧の憧れになりたいのか。
どうして麗寧にキスをされてドキドキしたのか。
どうして演技も舞台も関係がないキスを受け入れたのか。
『……どうして? 傷つくかもしれないのに、……どうしてあなたは私のそばにいてくれるなんて……、そんなことを言ってくれるのですか?』
『そんなこと、決まっているじゃないか』
《姫の問いかけに、王子はそっと彼女の頬に触れる》
そんなものは全部わかりきったことだ。
ボクは一人舞台で恋愛感情を知った。
だから本当はわかっているんだ。
『僕は君を愛している』
ボクは麗寧のことが……。
――好きなんだ。
ずっと否定していた。
けれどあのキスを受け入れた時に、ボクはもうそれを否定することができなくなった。
麗寧が好き。
それがすべての答えだったんだ。
『だから、君がそばにいてくれるだけで……、それだけで僕は痛みに堪えられる』
この先、ボクはまた麗寧の瞳に宿る輝きに負けそうになるかもしれない。
それでもまたその瞳の輝きで立ち上がるだろう。
麗寧がそばにいてくれれば、ボクは前に進んでいける。
……だからこそ、ボクは麗寧に気持ちを伝えるんだ。
この関係を続けていくために。
そうして、ボクたちの舞台は続いていく。
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