第九幕 隣にいてほしい人へ
28
ボクは麗寧に電話をかけたけれど、彼女は電源を切っているようだった。
できることなら今すぐに麗寧に会いたかったけれど、連絡がつかないのなら仕方ない。
麗寧の家だって実は知らないから行くことはできないし……。
けれど、休みが開ければ学校で会える。
そう思っていた時だった。
朋絵から電話があった。
さっきの今で少し気恥ずかしいと思いながらも電話に出る。
けれど、……そんなことはすぐにどうでもよくなった。
『……どうしよう』
そう言った朋絵の声は聞いたこともないくらい弱々しいものだった。
麗寧の活動休止の情報が出た時だって騒いでいたのに、今はその元気すらないのか。
ただ呆然としながら言葉を口にした時のように頼りなくて、感情がこもっていない。
それだけのことがあったんだとすぐに察した。
「何があったの?」
『……麗寧、様が』
「え? 麗寧に何かあったのか?」
『麗寧様が……、麗寧様が、引退……するって……』
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
理解が追いついた瞬間、思わず両手でスマホを握って耳に押し当てていた。
「それ、どういうことだよ!?」
朋絵曰く。
さっきがた、加賀美麗寧の公式SNSアカウントに投稿があった。
《私、加賀美麗寧は芸能活動を引退します》
という内容の投稿は瞬く間に拡散された。
事務所はそれに関与していなかったようで、すぐに事実確認中というお知らせを出した。
つまりその投稿は麗寧の独断によるものだった。
そうやって説明されても、ボクは納得なんてできるわけがなかった。
麗寧が引退……?
なんでそんなことになっているんだよ。
だってそんな素振り……。
……。
…………いや、違う。
予兆はあった。
ボクと麗寧が喧嘩をした時、ボクの邪魔をしていたのかと、麗寧はそう言っていた。
だから引退する。
それは辻褄が合うことなんじゃないか?
だとしたらそれは……、ボクのせい……?
それしか考えられない。
ボクが麗寧にこの決断を――。
いや、ショックを受けている場合じゃない!
とにかく止めないと。
そうしないと本当にこのまま麗寧が舞台からいなくなってしまう。
それじゃあダメなんだ。
その思いがボクに冷静さを取り戻させてくれた。
『……どうしよう、ハル』
「ボクがなんとかする」
『どうにかって……』
「いいから任せて。麗寧は……、ボクが止めてみせる」
そう言ってボクは通話を終えた。
◯
……どうにかするなんて言ったけれど、方法を思いついているわけじゃない。
どうにかできる確証はどこにもないんだ。
それでもボクがやるしかないんだ。
麗寧がボクのせいで引退するというのなら、ボクがどうにかするべきだ。
ボクがやらないといけないんだ。
「……まずは麗寧の居場所を見つけないと」
麗寧に電話をかけてみるけれどやっぱり出なかった。
今思えば麗寧がスマホの電源を切っている理由がわかる。
事務所と連絡を断つためだ。
だから事務所に電話したところでわからないんじゃないだろうか。
たとえわかっていたとしても教えてくれるわけはない。
かと言って他に伝手があるかというとない。
詰んだかと思った時、ふと思いつく。
綾瀬さんなら何か知っているかもしれない。
綾瀬さんはボクたちが出る舞台の演出家だ。
出演する役者の情報はある程度持っているはず……。
かと言って今の麗寧の居場所を知っている可能性は低い。
けれど、ボクは藁にも縋る思いで電話をかけてみた。
『どうかしたのかな、晴希君』
電話に出た綾瀬さんは相変わらずふわふわしたような軽い口調で言った。
まるで麗寧の引退騒動なんて知らないかのようで……。
あまりにもいつも通りなのんびりさだった。
……もしかして、本当に知らない?
自分の舞台に出るはずの役者が、直前になっていきなり引退するなんて言い出したんだ。
知っていたらさすがに慌てるはずだ。
慌てないにしてもいつも通りではいられないと思う。
そうなると綾瀬さんの態度は自然だった。
けれど、そんなことがありえるだろうか。
たとえ一悶着あった相手だとしても、事務所から何かしらの連絡をもらうものな気がする。
「あの、綾瀬さん。麗寧のことで電話したんですけど。……ニュース知ってます?」
『知ってるよ。いやぁ、びっくりだよね』
「いやなんでそんなのんびりしてるんですか」
『大人の余裕ってやつかな?』
……なんでこんな時に冗談みたいなことを言えるんだ。
やっぱりこの人は雲のようによくわからない。
けれど今は気にしている場合じゃない。
「麗寧の居場所、心当たりありませんか?」
『あるよ。っていうか知ってる』
「そうですよね……、知りませんよね」
『いや、だから知ってるって』
……え?
麗寧の居場所を知っているのか?
『麗寧君がいる場所は入るのに許可がいるからね。それでわたしに連絡してきたんだ』
「……じゃあ、そのことを麗寧の事務所には伝えてあるんですね」
ということは、麗寧は行方知れずじゃないんだ。
だから綾瀬さんはこんなにも普段通りだったんだ。
それならひとまずは安心だ。
そう思ったのに、……綾瀬さんは軽い口調でこう言った。
『伝えてないよ? ……事務所もなりふりかまっていられないんだろうね。わたしにも知らないかって聞いてきたよ。でも、伝えてない』
「なんでですか!?」
『本人に何があっても言うなって言われてるからね』
「だからって! このままじゃ舞台だって――」
『わたしはね、晴希君。今回のことを解決できるんだよ』
綾瀬さんがボクの言葉を遮って言った。
「……え」
『わたしが麗寧君に黙って事務所に居場所を伝えたとしよう。当然、事務所は人を寄越して麗寧君を連れて行く。きっとなんとかして引退を撤回させるよ。舞台にだって出演させる』
考えてみればそうだ。
そうなる可能性は高い。
麗寧が俳優を辞めれば事務所にとっては痛手となる。
だからなんとか説得するはずだ。
無理矢理にでも続けさせるかもしれない。
それでも今回の騒動は収まる。
麗寧の気持ちは無視されるけれど、一旦の解決はできるんだ。
そうすれば舞台は予定通りに上演できる。
舞台スタッフにとってもその方がいい。
それなのに……。
『でも、わたしはそれをしたくない』
綾瀬さんはそう言った。
「……なんで、ですか?」
『それじゃあ本当の意味では解決しない。……晴希君もわかってるよね?』
綾瀬さんは麗寧がどうして今の状況に陥っているのかなんて知らないはずだ。
それなのにすべてを見通しているようだった。
綾瀬さんは元役者で、現役時代は本当にすごい人だったという。
麗寧もそういう面があるけれど、一流の役者というのはみんな他人の心を覗けるんだろうか。
それは人間の感情を知り尽くしているから?
自分とは違う、他人を演じることができるから?
それはわからなかった。
『わたしはね、晴希君。君なら、……いや、君にしか解決できないと思ってるよ』
「……なんで、そう思うんですか?」
『うーん……。元役者の……、演出家の勘?』
「よく、わからないですね」
けれど、ボクが解決するべきなのは確かだった。
「でも、ボクがやります。……他の誰にもやらせたくない」
『うん。そう言うと思ってたよ』
綾瀬さんは最初からわかっていたとでも言いたげな口調で言った。
実際にわかっていたんだろうな。
なんとなく、綾瀬さんにはそれができる気がする。
『麗寧君は、君たちが立つべき舞台にいるよ』
「ありがとうございます。……ボク、行ってきます」
『うん、いってらっしゃい。いい報告を期待してるよ』
「はい、必ず」
ボクは電話を終えて、すぐに準備を始める。
……どうして、麗寧はそんな所にいるんだろうか。
本気で役者を辞めるつもりなんだろうか。
そんな疑問を抱きながら、ボクは麗寧の元へと急いだ。
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