第五幕 オーディションに向けて

16

 一人芝居の翌日、昼休みの時だった。

 ボクはいつものように購買で惣菜パンと飲み物を買っていた。

 いつもと違うのはただの牛乳じゃなくてミルクコーヒーであることと、それともう一つ。


 缶コーヒーも一緒に買ったこと。

 この缶コーヒーはボクが飲むためのものじゃない。

 とにかくそれを持って校内の階段を上っていく。


 いつもの場所、屋上に向かうためだった。

 やがて屋上前の踊り場にたどり着く。

 屋上の鉄扉を開けると、その先に麗寧がいた。


 麗寧の頭上には青空が広がっていて、シルバーアッシュの髪が風で揺れている。

 その横顔も当然のことに綺麗に整っていて、コンクリート床の屋上も華やかに見える。

 まるで映画やCMのワンシーンのようだった。


 そういえば、麗寧はCMにも出ていたっけ。

 さすが人気舞台俳優といったところか。


「麗寧」


 振り返った麗寧に、ボクは持っていた缶コーヒーを投げ渡した。

 麗寧は難なくキャッチしてみせる。


「これは……?」

「ボクの奢り」

「どうして急にそんなことをしてくれるのかな」

「お礼だよ。一人芝居が成功したのは麗寧のおかげだから。……ありがとう」

「……ちょっと失礼」


 急に距離を詰めてきたと思ったら、麗寧はボクのおでこに彼女のおでこをくっつけてきた。

 ……え、なに? どういうこと?

 て、ていうか何どういうことなんだこれは!


 ボクは麗寧とのキスを思い出してしまって……。

 とにかく焦って麗寧を押しのける。


「顔近いって!」


 一人芝居が終わってやっと麗寧の顔をちゃんと見られるようになったのに、こんなことされたらぶり返しちゃうじゃんか! やめろよ! ドキドキさせるな!


「な、なんだよ急に!」

「いや君が素直にお礼なんて言うから熱でもあるのかと……。君はこれまで感謝の言葉を素直に言わなかっただろう?」

「っ、ボクをなんだと思ってるんだよ!?」


 ……いやまあ確かに今まで言えなかったけれど。

 だからってそんな反応しなくてもいいじゃん!


「よかった、いつも通りのようだね。変な疑いをしてまってすまない」

「本当にね!」


 素直にお礼をしようと思ったらこれだよ。

 本当になんなんだよ……。


「……しかし」

「……今度はなんだよ」

「いや……、お礼はまだ早いじゃないのかな」

「なんで?」

「だって君はまだオーディション受けてすらいないんだよ? まだ第一段階が終わっただけだ。それに……、私は手助けをしただけで、舞台を成功させたのは君だ」

「……それでも、だよ。悔しいけど、ボクは麗寧に背中を押してもらったんだ」

「そうか。……それならこれは素直に受け取るよ」


 ボクと麗寧はいつものフェンス前に並んで座る。

 麗寧は缶コーヒーのタブを開けて、ボクはミルクコーヒーのミニパックにストローを刺す。

 それでなんとなく二人で乾杯をして、ふっと笑い合う。


 それからボクたちはしばらくの間、黙って柔らかい風に当たっていた。

 二人とも黙っているのに、その沈黙に気まずさはなかった。

 やがて。


「さて、次はいよいよオーディションだね」


 麗寧が、そう話を切り出してきた。


「次は私も頑張らないといけない」

「麗寧だったら余裕でしょ」

「そんなことはないさ。私はお姫様役をやったことがないからね、油断はできない。……まあ普段からオーディションで油断したことはないけれど」


 そういうところが麗寧を大人気舞台俳優たらしめている要因なのかもしれない。

 そういうところは尊敬できる部分だった。


「だから、次は二人で頑張ろう」


 ボクは力強く頷く。

 そうしてスッと立ち上がった。


「じゃあ、さっそく稽古しよう」

「こういう時でも稽古は休まないのだね。……普通なら休んだりしそうなのに」

「あたりまえだろ。ボクは夢を叶えたいんだ。休んでいたくない」

「そっか……。君は、そういうところがかっこいいと思う」

「何が? 麗寧だって油断しないって言ったじゃん。同じなだけだって」

「そうだね。……君はそれでいい」

「?」

「いや、いいんだ。……それより稽古をするのだろう?」


 缶コーヒーをフェンス際に置いて、麗寧が立ち上がる。


「さあ、一緒に稽古をしよう」


 ボクは疑問を覚えつつも、麗寧の言葉にただ頷くことしかできなかった。




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