14

 唯一、稽古をしている間だけは麗寧とのキスを気にしないでいられた。

 演技に集中できるから余計なことは考えなくて済むし、なにより麗寧の顔を見ないで済む。

 一人芝居の予定日までそんなに時間はない。


 稽古にも集中できないとなればそれこそ目も当てられない。

 それを思えば日常生活で頭を抱えるだけでよかった。

 別にその現状が嬉しいわけじゃない。


 あくまでもその方がマシというだけだ。

 今日もそうやって稽古に集中することができていた。


 舞台本番が迫っている今日は通し稽古をしていた。

 そうやって最後のシーンを終えた時だった。


「……よくなったね」

「そうかな」

「うん。……以前とは全然違う」


 麗寧に褒められたことは素直に嬉しい。

 けれどまだ気を抜く時じゃない。

 そうわかっているのに、頬が緩みそうになってしまう。


 ダメだダメだ!

 まだ本番を終えたわけじゃないんだ。

 両手で頬を叩いて緩みそうな頬を引き締める。


 麗寧が、そんなボクを見て微笑んでいることに気がつく。

 ボクは麗寧から視線をそらす。


「な、なんだよ」

「いいや、何でもないよ」


 なんで嬉しそうに言うんだよ。

 やっぱり、麗寧は変な奴だ。

 こっちはまともに顔が見られないっていうのに、そんな顔でボクを見ないでほしい。


「しかしここまでよくなったということは……、デートで何か掴めたかい?」

「……さあ、どうだろ」


 正直に言って、すごく役にたっていた。

 とくに感情面で、王子様の理解が高まったと感じる。

 最初は半信半疑だったけれど、今は麗寧とデートをしてよかったと思っている。


 ……まあ、やっぱりキスは余計だった気がするけれど。

 デートをしてよかったなんて、麗寧に言うのはなんか嫌だ。

 負けた気分になるし、あと……気恥ずかしい。


 だから麗寧の質問に素直に頷くことはできなかった。

 けれど麗寧はそんなボクの心を見透かしたように、微笑み続けていた。


「本番まであと少し、より良くなるように稽古を頑張っていこうか」


 麗寧の言葉に、ボクは小さく頷いた。

 けれど……、本番まであと少しだと改めて言われた時、心の中に不安が滲み出してきた。

 その不安は遅効性の毒のように、ゆっくりと心を蝕んでいく。


 ……ボクは舞台を成功させられるのだろうか。

 そんなふうに、思ってしまった。

 そのまま、その日の稽古は終わった。





  ◯



 本番当日の天気は晴れで、一人芝居は中止にならずにすんだ。

 それはすごく嬉しいことのはずなのに、ボクの心はどんよりしていた。

 ボクは舞台を成功させられるのか。その不安がまだ心に残っていた。


 むしろ増しているようにさえ感じられる。

 そのどんよりした心で、ボクは給水塔の影で本番までの待機をしている。

 日陰の中、体育座りで膝を抱えていると、そこに麗寧がやってきた。


 そして麗寧はボクの隣に腰を下ろす。

 ボクはキスとか関係なく彼女の顔を見ることができずにいた。

 ボクが抱える不安。自信のなさを彼女に知られることは、なんだか後ろ暗く感じる。


 麗寧はボクを褒めてくれた。それはつまり期待してくれているということだと思う。

 それなのに自信がないなんてそんなこと、知られたら失望されてしまうかもしれない。

 麗寧の期待を裏切っているみたいで、彼女の顔を見ることができなかった。


「何か不安でもあるのかな」


 ボクの心を見透かすように、麗寧はそんなことを言った。


「……なんで?」

「気分が沈んでいるように見えたから」

「それは……」

「聞くよ。不安や悩みは誰かに話した方が楽になれると思うから。……私がそうだった」

「麗寧が……?」

「何を他人事みたいな反応をしているのかな。私は君に悩みを聞いてもらい、解決方法までも示してくれた。それが、……どれだけ私の救いになったか。だから今度は私が、君の力になりたいんだ」


 麗寧は優しくボクにそう言った。

 麗寧は救われたなんて大袈裟に言うけれど、ボクは大したことをしていない。

 ただでさえ稽古をつけてくれているのに、それ以上に頼ってもいいんだろうか。


 そもそもどうしてそこまで言ってくれるんだろう。

 それもボクのことが好きだから?

 そうか、これは好意からくる行動なんだ。


 ただそれを素直に伝えてくれているだけなんだ。

 ボクは意地を張って素直に感謝の言葉すら言えていないのに……。

 ボクだって少しくらい素直になった方がいいのかもしれない。


 ……麗寧の恋愛感情を受け入れることはできない。

 けれどせめてその好意に報いることくらいはしたい。

 だからボクはボクの弱さを麗寧に明かそう。


「……ボクはずっとオーディションを受け続けてきた。ほとんど王子様役のオーディションだよ。でも知っての通り、……受かったことは一度もない」


 いつも不合格。

 どうして合格できないのか。

 ボクは自分自身にすらわからないフリをしていたけれど、本当は理由なんてわかっている。


 もちろん演技力も足りていなかったんだろう。

 登場人物が持つ感情の理解力も足りなかったのかもしれない。

 けれど、一番の理由はきっと……。


「ボク自身が王子様に向いてないんだ。身長も雰囲気も王子様に似つかわしくない。麗寧みたいな高身長や華やかさがないから。……だから誰もボクの王子様を認めてくれないんだ」


 ずっと目を逸らしてきた。

 ボクが王子様に向いていないなんて、誰もボクの王子様を認めてくれないなんて……。

 そんなこと、考えたくもなかった。


 それを受け入れることが、自分自身でも認めてしまうことが怖かったんだ。

 だから目をそらし続けていた。


 ……けれど。

 いざ王子様役をやることになった今、目をそらし続けることができなくなった。

 自分の弱さと、向き合わざるをえなくなった。


「ボクの王子様なんて誰も好きになってくれないかもしれない。舞台に立ったらその答えが出る。……それが怖い」


 そう弱音を吐いたボクに、麗寧は――。



「……私は君の王子様、好きだよ」



 ――確かにそう言ったんだ。


 ボクは、思わず顔を上げていた。

 麗寧の顔が視界に映る。その輝く瞳がボクを見つめていた。

 引き寄せられるように、ボクはその瞳から目を離せなくなる。


「稽古で私は君の王子様を見てきた。確かに最初は足りないものがあった。けれど、君はずっと折れずに努力をし続けていた。……そういう君がかっこいい。だから誰がなんと言おうが――」


 麗寧が持つ瞳の輝きは本当に眩しくて、それなのに目が離せない。

 それどころか。



「――君はずっとかっこいい王子様だったよ」



 闇を照らしてくれる、道しるべのようだった。

 ……また、だ。

 また麗寧の輝きはボクに勇気をくれる。


 麗寧がその瞳の輝きでもって、ボクの王子様が好きだと言ってくれる。

 それだけで弱気になってちゃいけないと思わされる。

 ……悔しいけれど、麗寧はすごいのかもしれない。


 そう、素直に思った。

 ボクはその場で立ち上がる。


「……見ててよ、麗寧」


 そうして一歩、日陰から踏み出した。



「麗寧が好きな、ボクのかっこいい王子様を見せるから」



 もうすぐ、舞台の幕は上がる。



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