第二幕 人を好きになるということ

 ……好きってなんだろう。



 麗寧に好きだと言われてから数日が経っていた。

 あれからずっと、ボクはそんなことを考えている。

 やっぱり納得ができないところがある。


 本当にそんな簡単に人を好きになるものなんだろうか。

 恋ってそういうものなんだろうか。


 ボクは恋をしたことがない。

 だからどういうものなのかわからない。

 ……その感情も、わからない。


「はぁ……」


 教室の自分の席で、ボクは思わずため息をついてしまった。


「またため息ついてる」


 いつの間にか寄ってきていた朋絵が呆れたように言ってきた。


「またなんかあったわけ?」


 ボクの机に寄りかかり、スマホをいじりながら聞いてくる。

 聞いといて興味がなさそうな態度が彼女らしい。

 なんかあったといえば間違いなくあった。

 けれど……。


 ボクはチラリと朋絵の横顔を見上げる。

 加賀美麗寧に好きだと言われた、なんて朋絵には言えない。

 彼女は麗寧のガチ恋勢。


 こんなことを知られたらどうなるか。

 その怒りの矛先は間違いなくボクへと向けられる。

 そうなれば何をされるか。


 朋絵の一個か二個前の彼氏とのことだ。

 麗寧のことでいざこざがあって、朋絵はその彼をボコボコにして捨てたらしい。

 それを知っているボクからしたら、半殺しにされてもおかしくないと思ってしまう。


 言わない方が平和だ。

 だから別のことを話すことにした。


「……実はさ」





  ◯



「は? 麗寧様に稽古をつけてもらうことになった? なんで?」


 ボクの話を聞き終えた朋絵は、どうしてかキレ気味に言ってきた。

 どうして怒ってんだよ、こわいよ。


「だから、向こうから言ってきたんだよ」

「……あんたが麗寧様のファンだったらガチギレしてた」

「こわ……。なんでだよ」

「そんなのあたりまえでしょ。麗寧様と二人きりで手取り足取り演技指導されるのよ! キレるに決まってるでしょ!」

「別に手取り足取りかは知らないけど……」

「とにかく! 舞台役者としての関係だから今回は許してあげるって言ってるの」


 どこから目線? 朋絵に許してもらう必要ないでしょ。

 それを言ったら面倒な事になりそうだから言わないけど。

 麗寧に関することには本当、めんどくさいんだから。


「ただし!」


 朋絵の麗寧に関する言動に辟易していると、当の本人がズビシッと指をさしてきた。


「麗寧様と演劇の繋がりができたからって、百合営業みたいなのはやめてよ?」

「……ないよ、そんなこと」


 朋絵が一個か二個前の彼氏と別れた理由はここにある。

 どうもその元彼が百合好きで、麗寧のナマモノ二次創作をしていたらしい。

 それで朋絵がブチギレしてボコボコにしたというわけだ。


 それくらい麗寧に関する百合については厳しい。

 そんな朋絵に、麗寧から好きと言われたなんて言えるわけがなかった。





  ○



 麗寧に稽古をつけてもらえることになった。

 きっとこれからオーディションのための指導をしてくれるはずだ。

 かと言って台本がないことに変わりはない。


 だから今まで通り同ジャンルであるラブロマンスの別作品を使って、ボクと麗寧は稽古をしていくことになると思う。

 ただ今までと違うのは、麗寧がいるということ。

 今までは素人なりにできることをやってきたけれど、今度は経験豊富なプロの指導のもと稽古することができる。この違いは大きい。


 今までよりもいい稽古になるはずだ。

 相手が麗寧ということにまだ少し悔しさがあるのは否定できない。

 それでもプロの指導という響きにワクワクしているボクがいるのもまた、事実だった。


 ということで、ボクは今日も稽古をするために、昼休みの屋上に来ていた。

 ……来ていたのだけれど。



「とりあえず人前で舞台に立つことを目標にしよう」



 一緒に来ていた麗寧がそんなことを言い出した。


「……とりあえずの目標なら、オーディションでいいんじゃないの?」


 もちろん、最終目標は違う。

 オーディションに合格することが最終目標なら役者を目指す必要はない。

 けれどオーディションに合格しないと舞台には立てない。


 つまり麗寧が言った目標、人前で舞台に立つということを成し遂げるためにもオーディションに合格しなければならなくて……。

 そうなるとやっぱり最初の目標はオーディションのほうがいいと思う。

 けれど麗寧は首を横へと振った。


「君は舞台に立った経験がない。舞台に立つ経験は大切だよ。経験値になるだけじゃなくて、観客の反応を見ながらやることで得られるものがある」

「それは、確かにそうかもしれないけど……。でもその舞台に立つにもオーディションが――」

「その必要はない」

「は?」

「オーディションを受ける必要はないと言ったんだ。……自分で舞台をやればいい」

「自分で……」

「そうだな……。たとえばこの屋上でやるとか。ここに観客を招待して、その前で君が舞台を演る」

「ちょっと待って。他のキャストはどうするんだよ」


 ボクの質問に麗寧は平然とこう答えた。



「もちろん、君一人だよ」



「……は?」

「つまり一人芝居をやるんだ」

「一人芝居……?」


 一人芝居、というものはわかる。

 ボクだって演劇界隈にいるのだから、もちろん知ってはいる。

 けれど演ったことも観たこともない。


 稽古では常に一人だから一人芝居をしていると言えばそうなるかもしれない。

 けれどあくまでも複数人で演る芝居を想定して稽古をしている。

 だから正直、未知数ではあった。


 ……大丈夫かな?


「そう。一人芝居には一人で何人かの役を演じる場合と、たった一人の役を演じる場合とがある。今回はオーディションまでの日数的に後者のほうが役作りし易いだろう」


 ボクの不安に気づくような素振りも見せず、麗寧はどんどん話を進めていってしまう。

 けれど不安だなんて言ってそれを止めることはできなかった。

 ボクの中でもやらないよりかはやったほうが絶対いいとわかっていたから。


 舞台に立った経験がない。

 だから経験するべき。

 麗寧のそんな言葉はあまりにも正しかった。


 不安に負けている場合じゃないんだ。


「次のオーディションのジャンルはラブロマンス。それも王子様が出てくる。……もちろん、君は王子様志望でいいんだろう?」

「……当然」


 ボクの答えに、麗寧が満足げに頷く。

 彼女はやっぱりどこか嬉しそうで……。

 何がそんなに嬉しいんだろう。

 ボクにはやっぱりわからなかった。


「じゃあ演目は恋する王子の話にしようか」


 麗寧の言葉に、ボクは小さく頷いた。



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