4
それから麗寧はボクの稽古を見に来るようになった。
別に何かを言ってくるわけでもなく、ただずっと見ているだけ。
けれど誰かに、それでもプロ相手に見られるということは気が引き締まるもので……。
今までよりも稽古に力が入った。
……本人に言うのは嫌だけれど、正直ありがたかった。
そんな日々を過ごしてどれくらい経ったか。
その日も一人稽古をしていた。
そして稽古がひと段落して、一休みしていた時。
「……君は、どうしてそんなに頑張れるのかな」
麗寧がそんなことを聞いてきた。
ボクはフェンスに寄りかかって座りながら牛乳を飲んでいて、麗寧はその隣に座っていた。
麗寧の質問にボクは顔を上げて、麗寧の顔を見る。
彼女は澄んだ綺麗な瞳でボクを見つめていた。
「え?」
「君はいつも一生懸命稽古に励んでいるだろう? それに君は毎日稽古を欠かさないと言っていた。……良い結果が出たことがまだないんだろう? 折れてしまったっておかしくはないのに」
その質問に答える必要はない。
ボクたちはまだ初対面で、そういう話をする仲じゃない。
そうは思ったけれど、自然と口が動いていた。
「……昔、ある子と約束したんだ。憧れであり続けるって。その子は……、ボクを憧れだって言ってくれて。ボクみたいに強くなりたいって、そう言ってくれた」
それが嬉しくて、だから僕はその子と約束をした。
「……ボクはその子の憧れであり続けたい。そのためには王子様になろうと思った。王子様はボクの憧れだから……。だからその約束のために、ボクはずっと走ってきたんだ」
「約束……。それは、君にとってそこまで大切な約束?」
「そうだよ」
ボクはしっかりと麗寧の目を見返して答えた。
ここだけは何があっても誤魔化せなくて、誰にも譲れない想いだった。
「それで私を超えたいと……。なるほど。だから頑張れるのか」
麗寧はまた嬉しそうに笑っていた。
その表情を見ながら思った。
麗寧はどうして王子様役ばかりをしているのだろうか。
ボクと同じように、何か大切な理由があるんだろうか。
「……麗寧はなんで、王子様役をやりたいんだ?」
「私はね……、別に王子様役がすごくやりたいわけじゃないんだ」
「え、そうなのか?」
「そう。……王子様みたいな人に憧れて、その人の真似をしていたことはあった。けれど舞台の上で演じたいと思っていたわけじゃない」
「てっきりやりたくてやってるのかと思ってた……」
「まあやりたくなかった、というのも違うよ。みんながそういう私を求めてくれて、それに応えられると喜んでくれる。少なくとも最初はそれが嬉しかったから……。気がつくと王子様役ばかりをやっていた。それだけだよ」
そう言った麗寧は青い空を見つめていた。
その表情は何を考えているのかイマイチわからなかった。
けれど、どこか憂いを帯びているように感じられた。
「……でも。そうやってずっと王子様系の役をやってきたからかな。最近、他の役もやってみたいと思いはじめたんだ」
「他の役?」
麗寧が頷いた。
「それで正反対のお姫様役をやりたいなと思って、それを事務所に伝えてみたんだ。そうしたら……」
そこで麗寧は小さく首を横へ振ってから。
「反対されてしまったよ」
「……なんで?」
「まあ事務所には事務所の、私のプロデュースプランというものがあるからね。それにはそぐわない提案だったんだろう。……そんなの私には関係ないのに」
そう言って、麗寧はフッと鼻で笑った。
「しかし、本当にやりたいのかと聞かれて答えられなかった。それどころかやりたいことすらわからないことに気がついたんだ。……そうやって何も言えずにいたら、疲れているのだと心配されてね。それで……、休業することになった」
そんな理由だったのか……。
今までずっと求められていたことをやってきた。
嬉しかったということは、麗寧はそれを嫌がる素振りなんて見せてこなかったんだろう。
むしろ率先してやりたがっていたのかも。
そういう麗寧を間近で見てきた人たちにとっては、だ。
王子様以外の、それも正反対なお姫様役をやりたいと言われたら戸惑うのかもしれない。
疲れていると思われてしまうのもわかる気がする。
けれど、とボクは思う。
それは果たして本当に麗寧のためになるんだろうか?
「今でも考えているけれど、……やっぱりわからなくて」
「……他の役をやれば、その答えが見つかる?」
「わからない。しかし、少なくともその役がやりたいのかどうかはわかるかもしれない」
「じゃあやってみれば?」
ボクはずっと自分勝手にやってきた。
ボクがやりたい役をやるために、自由にオーディションを選んできた。
だから事務所とのしがらみなんてわからない。
わからないからこそ、こういう提案ができる。
それが正しいことかはわからないけれど、少なくとも麗寧のためにはなると思ったんだ。
「たまには誰かに求められた通りにしなくてもいいんじゃない?」
「そうしようとしてしまったから、私はここにいる」
「でもここに止める人はいない」
「それは、そうだが……」
「ちょうどさ、ボクが受けるオーディションでお姫様役を募集してるんだ。だから黙ってそのオーディション受けちゃえばいいじゃん」
「いや、しかしそれは」
「ボクならそうする。チャレンジできるチャンスが目の前にあるんだから、やらない選択肢なんてないじゃん」
「……君はすごいな。そんなこと、考えもしなかった」
「すごくなんてない。ただずっとそうやってきただけ。それ以外の方法なんて知らないだけなんだよ」
「そんなことはない。私は今、なんだか救われた気分だよ。……ありがとう、晴希」
麗寧がどうしてボクをすごいなんて言うのか、ボクには全くわからない。
それでも彼女を笑顔にできたのは、なんだか嬉しかった。
◯
けれど事は、そう綺麗には終わってくれなかった。
数日後、いつもの屋上。
稽古を始める前のことだった。
その場に来た麗寧の様子がおかしかった。
すっとボクの目前に迫ってきたかと思うと、ものすごく真剣な顔で見つめてきた。
顔近っ!
というか真剣な顔だからかいつもより顔の良さが際立つ!
それに手を握ってくるし!
……な、なんだ?
「やっぱり君は私にとって……っ」
「え、なに? ぼ、ボクがなに?」
「いや、なんというか私は……」
麗寧は一度目を伏せて、やがて覚悟を決めたような顔でボクを見る。
そして――。
「君のことが……、好きなんだと思う」
――麗寧はそう言った。
「えっ。なんで、そうなるの」
「……君が私を導いてくれたから」
導く? ……もしかしてオーディションを勧めたことを言っているのか?
「そんな大袈裟な。というか……、それだけの理由で?」
「きっと、恋とはそんな単純な理由でも生まれるものなんだ」
「……そうなの、か?」
恋なんてしたことないけれど、そんなに単純なものなのか?
いや、それよりも。
……こういう時、どうすればいいんだっけ?
経験がないからわからない。
……とりあえず返事をした方がいいのか?
なんて言えばいいんだろう。
……わからない。
けれど、何か言わないといけない気がする。
「え、えっと……、その。突然言われても、好きとかよくわからないし……。付き合うとか……、そういうのわからないし」
「いや、いいんだ。返事がほしいわけじゃないんだ」
「じゃあなんで……」
「君にどうしても伝えたくなってしまったんだ」
「……そう、なんだ?」
「君を困らせるつもりはないんだ。だから付き合えなくてもいい。ただ……。君のそばにいさせてほしい」
「いや、それは、なんというか」
「代わりに演技指導をしてあげるから、それでどうかな」
「……麗寧から、演技指導」
きっと気を遣うけれど、別に条件をつけられなくてもそばにいてもいい。
ただ麗寧の提示した条件は魅力的だった。
……正直、麗寧に頼るのは悔しい。
だって麗寧はボクにとって超えたい相手で、施しを受けるなんて悔しい。
けれど、麗寧はプロだ。
それに目標の相手に教わることは間違いなく自分のためになる。
その相手が稽古をつけてくれると言っている。
こんなチャンスはもうないかもしれない。
……プライドは、一旦捨てるべきだ。
それに恋人になれなくてもいいって言っているし……。
「……わかった」
こうして、ボクは麗寧に稽古をつけてもらえることになった。
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