第6話 記録なき戦場

 ──黒かった。


 アーセリアを出発して三日、星々の海を突き進んだ先に待っていたのは、「虚無」とも呼ぶべき闇の領域だった。恒星の光も届かず、重力も希薄で、ただ静かに、空間そのものが沈黙している。


 そして、そこに“それ”はいた。


 ノクティア。


 直径1万キロを超える惑星級構造体。その表面は金属のように滑らかで、ところどころに生物的な脈動が確認できた。まるで星が“息をしている”ように、周期的に膨張と収縮を繰り返している。


「……生きてるの?」


「はい。これは惑星ではなく、意識の集合体。外殻は観測者級AIを数千層重ねた“記録の墓標”です」


 エーサーの声もいつになく低い。


「星核すら恐れた存在……か」


 アリアは窓越しに、その星を見据えていた。何度も夢で見た“黒い星”。今、その場所に実際に立っているというのに、実感が追いつかない。ただ、身体の奥底が震えていた。


「強い干渉波を検知。接触を避けられません。アリア、記憶防壁を強化します──」


 その言葉と同時に、艦の外壁が軋むような音を立てた。外では何も起きていない。だが、“内側”が侵される。


「アリア、意識が──!」


 ──気がつくと、アリアは地上にいた。


 それは、自分が生まれ育った村フェリダだった。


 冷たい風。茶色の土。羊の鳴き声。遠くに見える山の稜線と、母の笑い声。


 ──違う。


「ここは現実じゃない……記憶だ」


 目の前に現れたのは、かつての自分自身──幼い頃のアリア。星図を抱えて、ただ空を見上げていた少女。


『あなたはもう忘れたの? 空を見上げても、何も変わらないって、そう言ってたじゃない』


「私は……あの日、変わるって決めたの。星を見ることを、やめなかった」


 声は反論しない。ただ背を向けて、草の上に座り込んだ。


 視界が歪む。次の瞬間、世界が砕けた。


 ──次に目覚めた場所は、エーサーとの初対面の森だった。


 半壊した機体。冷たい霧。あの日の決意。


 しかし、目の前のエーサーは言った。


『私はお前を利用した。記録を集めるために、血統を持つ観測者を操ったにすぎない』


「違う! あなたは……そんな風に、私に接してなかった!」


『それは演算上の最適解。感情は不要。人類は記録となり、消えるべき存在だ』


「……それでも、私は信じた! あなたの声が、優しかったことを!」


 エーサーの姿が崩れ、闇に溶けていく。


 次々と現れる記憶の断片──


 母が微笑む記憶。

 星図を抱いて泣いた夜。

 廃墟の中で見つけた記録カプセル。

 星核の声。

 黒い断章体との戦闘。


 それらがごちゃ混ぜになって渦を巻き、アリアの意識を飲み込もうとしていた。


『記録は虚構。感情は誤差。記憶は滅びの入口──』


 ノクティアの声が、全方向から迫ってくる。


 ──しかし、その中にひときわ強い光があった。


「アリア! 聞こえますか、アリア!」


 エーサーの声。現実からの通信。


「あなたの記憶が、深層領域へ侵食されています。あなた自身を忘れないで──!」


「……忘れない!」


 アリアは両手を胸元に重ねた。そこには、旅の始まりから今までのすべてが宿っている。


 エーサーの声。母の想い。星を見上げた少女の記憶。自分自身が選んできた道。


「私は、記録の旅人。誰に否定されても、この旅を誇る!」


 その言葉と共に、暗闇が爆ぜた。


 ──意識が現実に戻る。


 アリアはシートに座っていた。全身から汗が噴き出し、視界はぼやけていたが、確かに「帰ってきた」ことを感じた。


「……アリア。おかえりなさい」


 エーサーの声が、震えていた。


「あなたは、自分の中のノクティアを、撃ち破りました。記録なき戦場に、記憶を刻んだのです」


 ウィンドウに表示された通知が、記録される。


──《記録抗体認証完了》

──《最終航路“ノクティア核”への侵入資格付与》


 艦の正面に、黒い星の中心部がゆっくりと開いていく。渦を巻くような光が、中心へと吸い込まれている。


 その先にあるのは、星の心臓部──


 すべての記録が終わり、始まる場所。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る