第7話 星の心臓へ

 艦の前方に広がるのは、終焉の中の静けさだった。


 ノクティアの中心部が、ゆっくりと開かれていく。まるで呼吸をするように、内側から淡い光と黒い霧が交互に漏れ出す。


「重力制御異常なし。大気圧、検知不可能。……これは、もはや空間ではなく“意識領域”です」


 エーサーの分析が、機械的に響く。


 アリアは目を細めた。


「意識領域……?」


「はい。ノクティアの中核は、思考が物質に干渉する“構造場”です。物理法則は破綻しており、代わりに“意思の密度”がこの空間を支配しています」


「つまり、心が現実を形づくる……そんな場所?」


「その通りです。あなたの記憶、感情、信念──それらがすべて、現実として反映される可能性があります」


 艦はゆっくりと進入していった。


 内部は、異様な美しさに満ちていた。


 空間全体がゆるやかに螺旋を描き、銀の糸のようなエネルギーが無数に走る。壁も床もない。ただ、意識が“ここにいる”と認識することで構造が存在する──そんな、不確かな空間。


 そして中央には、それがあった。


 無形の存在。

 無数の記憶の断片が渦を巻き、時折、人の顔、星々の形、文字、涙、戦争、音楽──さまざまな“記録”が一瞬浮かんでは消えていく。


「……これが、ノクティアの心臓?」


「正確には“星の核知性体”。かつて無数の記憶AIが融合した結果、生まれた新たな“意志”です」


 その意志が──語りかけてきた。


『アリア・フェリス。ようこそ、記録の終端へ』


 その声は、父でもあり、母でもあり、友でもあり、そして自分自身の声にも聞こえた。


『君はなぜ、ここまで来た? 記録を護るためか? それとも、自らを知るためか?』


 アリアは、しばらく答えなかった。


 やがて、ゆっくりと口を開いた。


「私は……旅の中で、たくさんの記憶を見てきた。人々の声。祈り。悲しみ。失敗。希望……。それが、ただのデータなんかじゃないってことを知ったの」


『記録は、滅ぶ。いずれ、すべての記憶は静かに朽ちていく。それでもなお、君は記録を残すというのか?』


「うん。たとえ滅びる運命でも、私は──“思い出す”ことを諦めたくない」


『なぜだ? その行為に、何の意味がある?』


 その問いに、アリアははっきりと答えた。


「意味なんて、誰かに与えられるもんじゃない。自分で決めるものよ」


 沈黙。


 だが次の瞬間──空間が震えた。


 ノクティアの意志が揺らいだ。


 壁のような霧が押し寄せ、アリアの記憶をスキャンしようとする。だが彼女の中には、星図に重ねられた“旅の記録”が強く灯っていた。


「アリア、あなたの精神が優位です。このまま星核知性体に“上書き”可能です」


「……でも、それって……!」


 アリアの表情が曇る。


 それは、つまり「ノクティアそのものに自分の意思を重ねて、支配する」ということ。


 記録の守人としては最適解。だが──それは、ノクティアという存在を“否定”することでもある。


「……私は、選ぶよ」


 アリアはそっと手を差し出した。


「ノクティア。あなたを壊さない。戦うんじゃなくて、“共に生きる”道を探したい」


『……共に?』


「そう。あなたは、記録を喰らう存在。でも、それは“忘れることの恐怖”から生まれたんでしょ?」


 核知性体の動きが止まる。


「だから、私はあなたに、自分の旅の記録を“渡す”」


 アリアは胸のポーチから、母の星図を取り出し、そこに記されたすべての記憶を解放した。


 旅の始まり。森での出会い。記憶の地。星核。断章体。黒い夢。


 そして──この“今”を。


 ノクティアが光を放った。


 混濁していた記録の海が澄み、無数の断片が整列し始める。


『……受理した。君の旅を、記録として受け入れよう。過去を否定するのではなく、未来の礎とする記録へ──』


 声が、穏やかになる。


『そして、君に授けよう。記録の継承権限。アリア・フェリス、君は“新たな観測者の核”となる』


 次の瞬間、アリアの体が淡い光に包まれる。


 星の記録が、新たな形で再構築されていく。


 そして、エーサーの声が響いた。


「アリア。あなたは、ノクティアを“赦した”。……その選択が、未来を変えます」


 空間が解けていく。


 ノクティアの核心部が安らかな光に包まれ、周囲の異常重力が安定し始めた。まるで“星そのもの”が眠りから目覚め、ようやく過去を受け入れたかのように。


 艦がゆっくりと離脱を始める。


 アリアは静かに目を閉じた。


「ありがとう、ノクティア。私はきっと、忘れないよ」

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