第2話 記憶の地への航路

 艦内の空気は、静かだった。


 アリアは座席に固定された安全帯を外すと、ゆっくりと立ち上がった。初めて体験する“無重力”に戸惑いながらも、エーサーの案内に従って、艦内を移動する。


「わ……すごい……!」


 窓の外に広がるのは、深い宇宙。星々が明滅し、いくつもの銀河が帯のように流れている。アリアの目には、これまで絵本や星図でしか知らなかった「現実の宇宙」が、圧倒的なスケールで映っていた。


「現在、低軌道を離脱。航路を確保しました。目的地“記憶の地”まで、約137標準時間」


「記憶の地って、どういう場所なの?」


 アリアが窓に顔を近づけながら問う。


「そこは、かつて人類が最後に築いた“記録保管星”。数千年前の崩壊戦争によって、地球圏の文明はほぼ失われたけれど、一部の記録・遺産は銀河各所に散らされ保存された。そのひとつが、この航路の先に存在します」


「……お母さんが言ってた。『星のどこかに、すべての始まりが眠ってる』って。きっと、そのことなんだね」


「あなたの母がこの星図を持っていたのは、偶然ではありません。彼女は“観測者”の末裔だったのかもしれません」


「観測者?」


「星々の動きを記録し、未来に伝える役割を担った古代技術者たちです。エーサーシリーズの私たちも、かつて彼らと共に航海しました」


 エーサーの声は、どこか懐かしげだった。アリアにはまだ信じられなかった。自分が、あの寒村の生活を捨てて、今こうして星々の間を旅しているなど──。


 それから数時間、アリアは艦内を歩き回った。エーサーは彼女に専用の寝室と観測デッキを案内し、簡易的な操作パネルの使用法を教えてくれた。


「でも、本当にここには誰もいないの? あなた以外に話せる人はいないの?」


「……申し訳ありません。乗員はかつて存在していましたが……」


 沈黙。


 アリアはそれ以上問い詰めなかった。話したくない記憶なのかもしれない。


 代わりに彼女は、艦内のデータバンクにアクセスし、かつての人類の歴史記録を読み始めた。そこには「銀河連盟」「惑星間戦争」「自律型AIの反乱」など、村では語られることのない歴史が詰め込まれていた。


「ねぇ、エーサー。なんでこんな大事なこと、誰も知らないの?」


「情報は失われたのです。争いと忘却により……。今この宇宙に、人類の末裔がどれほど生き残っているかも不明です」


「……じゃあ、私は──ただの残骸の中を旅してるの?」


「……いいえ」


 エーサーの声が一瞬、硬くなった。


「アリア。外部からの干渉を確認。未知の重力波がこの船を追っています」


「追ってる?」


 その言葉にアリアの背筋が凍りつく。


「発信源、断定不能。回避運動を開始します──」


 その瞬間、船体が大きく揺れた。


 緊急照明が艦内を赤く染めた。エーサーの声が冷静に響く。


「重力干渉兵器による索敵と判断。これは旧銀河帝国の無人追尾装置と推定されます。目的:記録回収、もしくは破壊」


「なんで!? どうしてそんなものが──」


「記憶の地へ向かう全航路は、かつて敵対勢力に封鎖されていました。あなたの星図には“封印された航路”が含まれていた可能性があります」


 急旋回が続く中、アリアは窓の外に、巨大な金属の影が映るのを見た。


 それは戦艦のような無人機。数千年の時を越え、機械だけが生き延び、今も命令を実行し続けている狂った遺産──。


「対応策は?」


「全力で加速しますが、通常航路では振り切れません。……非常手段を使います」


「非常手段……?」


「“時空跳躍航行”です。成功率は36パーセント。失敗時は、次元の断裂に巻き込まれます」


 沈黙が落ちた。


 アリアは拳を握りしめ、震える声で言った。


「行って。ここで終わるなら……それでも、後悔はしない」


 ほんの数日前まで、村の羊を追っていた少女が、今や銀河の運命を握る選択をしている──そんなことが信じられなかった。


 だが、エーサーの声は柔らかかった。


「了解。アリア。……あなたの選択を尊重します。ジャンプカウントを開始──」


 強烈な光が艦内を包み、すべての音が消えた。視覚も聴覚も消失し、ただ無の感覚に飲み込まれる。


 そして──世界が反転した。


 目を開けると、そこは──海だった。


 正確には、星の海。青と金の霧が空を覆い、下方には結晶のような浮遊島がいくつも並んでいた。


「ここは……?」


「記憶の地、周辺空域……跳躍、成功しました」


 アリアは息をのんだ。風景は幻想的で、夢の中のようだった。だが、確かに生きていた。たどり着いた。


 その先にあるものが、どんな過去であっても──彼女は知りたいと思った。

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