第23話: 選ばれし者は、ただの人間(ひと)だった

図書館に着いた瞬間、視界の隅に見覚えのあるシルエットが飛び込んできた。

一人の少女が、部屋の隅で本に没頭していた。


「アリス!?」


思わず声が出た。――しまった、デカすぎた。

顔が熱い。なんで口が勝手に……!


彼女はゆっくりとこちらを向き、――くそ、目が合った。


「やあ」と、短く挨拶。


動けなかった。固まったままの俺を見て、トニーが空気を読んで動いた。

ハルカとフェイを連れて、別方向へ――まるでコミックを探してるフリ。


「俺たちが探すよ。あれ、何だっけ? ワンピス? ワンピースの服?」


「……ワンピースだよ」と俺は小声で返す。


「ま、それ。お前は彼女と話せ」


その声は穏やかだけど、刺さる。こいつ、ほんと絶妙なタイミングでグサッとくる。


でも、俺は……話したくなかった。逃げたかった。けど、足が動かない。


アリスは髪を直しながら訊いてきた。


「読書は好き?」


「あ、俺? いや、まあ……時々? ていうか、その……何読んでるの?」


「ここは図書館よ。読むしかないでしょ? 他に何するの?」


……うぐ。ですよね。なんで俺こんなアホに?


「い、いや、その……なんて本?」


彼女は本を少し持ち上げた。


「《選ばれし者(エイジス)》についてよ。タイトルは『ジ・エイジス』。本を探しに来たの?」


「うん、これ……『ワンピース』」

俺は持っていたコミックを見せた。


彼女は小さく笑った。


「変わってないね。高校の頃からその漫画が好きだった」


……え。覚えてるのか、俺のこと?


――いや、落ち着け。もっと大事なことを訊かないと。


「さっきの本……選ばれし者って?」


「うん。この本は《終焉(おわり)》を迎える世界の話よ。死、絶望、そして“ヴェルトラ”という災厄(さいやく)。でも、世界が限界を迎えたとき、たった一人、《目覚めし者(エイジス)》が現れるの」


ヴェルトラ。エイジス。最近、耳にしすぎてる単語。偶然なんかじゃない。


「……その人について、どう思う?」


アリスは少し考えてから、逆に訊いてきた。


「あなたは?」


「……可哀そうだと思う。全部の《重荷(おもに)》を背負わされて……きっと、耐えきれない」

俺の声は小さかった。まるで、自分自身に言ってるみたいだった。


「私は……羨ましいと思う」


「え?」


「数十億の中から《選ばれた(えらばれた)》んだよ? たとえ弱くても、何か“価値”があるから選ばれた。もしバンドゥンがその本みたいな世界になっても――私はその人を信じる」


「……ただの人間でも?」


「うん。《ただの人間(ひと)》だからこそ、誰よりも強くあがけるんだよ」


胸の奥が――

しん、と静まり返った。


《冷たき朝露(あさつゆ)》が、

《焦げた心(こころ)》に落ちたようだった。


「ありがとう……」


「え?」


アリスは少し照れくさそうに微笑んだ。


「なぜお礼?」


「……なんでもないよ」


危なかった。あと sedikit lagi aku menangis.

でも、彼女と話したあと、心が少しだけ軽くなった気がした。


「その漫画……借りていい?」


「どうぞ」


その直後、フェイが現れた。


バサッ――!

『ワンピース』の山を机にドンと置く。


「こいつがフェイ。フェイ、彼女はアリス。昔の友達」


「知ってるわ」

冷たく言い放つ。


アリスは笑顔で返す。

やがてハルカとトニーも戻ってきて、俺たちは皆、同じテーブルに座った。


ほんのひととき、

《昔日(せきじつ)》が

戻ってきたような錯覚を覚えた。


だがその束の間を――


「アリス、お母さんが呼んでる」


一人の男が、図書館の入口に現れた。


……あいつだ。あの日、アリスと《抱擁(だきあ)っていた》男。


アリスは黙って立ち上がり、彼と共に去っていった。


「ぷっ……」

トニーが吹き出す。


「……アイツ、恋人だと思ってた?」


……何も答えたくない。沈黙は身を守る。


「安心しな。弟だってさ」

トニーがささやく。


「出発前に確認済みだ」


俺の目が丸くなる。


「……マジで?」


「うん。お前、知ってたのか?」


「も、もちろん」


嘘だった。

だがトニーは、にやにや笑うだけだった。


その顔が……今はなんか、嫌いじゃなかった。



朝が来た。


俺たちは準備を整え、最後の点検を終える。


心のどこかで、逃げ出したいと願った。

でもこの旅は――もう始まってしまった。


後戻りはできない。


八人で、ロビー特製の《馬車(ばしゃ)》に乗り込む。


見送る人々の手が振られる中、俺たちは市役所をあとにした。


市長は、群衆の中でじっと立っていた。


「任務、ご無事を。必ず――生きて帰ってください」


その言葉はまっすぐだった。だが、その瞳には《深き悔恨(くいこん)》が浮かんでいた。

馬車が動き始めたとき、彼の唇が動くのが見えた。


「……すまない……この無力を……」


警官たちが敬礼を送る。

俺たちは、やっとたどり着いたこの町を――

また、後にした。


皮肉なものだ。ここは希望だったはずなのに。


――けれど、狂気は西へと続く。


群衆の中に、アリスの姿があった。


彼女は手を振っていた。


その隣には――

彼の弟。

俺はただ、苦い笑みを返すしかなかった。


「安心しろって」

トニーが肩を叩く。


「その顔、ゾンビみたいだぞ」


「俺の顔はもともとこうだ」


車内に皆が座る。


トニーとゲアが話している。

フェイは俺の肩に頭を乗せて寝ていた。

反対側にはハルカ。

レビィは後ろ向きで座り、煙草を吸いながら空を眺めていた。

前ではロビーが手綱を握り、隣ではフアンが黙々と《鎧(よろい)》を拭いていた。


そして――

その《匂い(におい)》がやって来た。


ツン……

と鼻を刺す。


《死(し)》の匂いだ。


西の区画――それはバンドゥンの《腐った傷口(きずぐち)》。


道路脇には、野犬が屍をあさり、

カラスが腐肉をつつき、

やせ細った猫が瓦礫の間をすり抜けていく。


もう、見ていられなかった。


目が……重い。


頭が……傾く。


そして――


《闇(やみ)》が、すべてを飲み込んだ。


俺は……眠りに落ちた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る