第16話『藍田萌香のプライド』

(はあ……。どうしてあんなこと言ったんだろ)


 バスの中。

 透明なガラスに身を預け、夕日を眺めながら私は胸の中で呟く。

 陽気な女の子に連れられそうになった時、私の心の中では『怖い』という言葉……その言葉だけが浮かんだ。


 一緒にお喋りするだけで、別に暴力を振るわれたり罵倒されたりするわけでもないのに、私はあの女の子たちに恐怖心を抱いた。

 手を掴まれた瞬間背筋が凍り、あの子たちの言うことに首を縦に振ることしか出来なかった。

 そして息が荒くなりそうなぐらい鼓動が速まり、体温も急激に上昇した。

 

『どこに行くんだろう』

『なにを話さないといけないんだろう』

『無事に帰れるのかな?』

『怖い怖い怖い!』

『誰か……助けて……』


 そんな叶わぬ願いを抱きながら、私は足を一歩進めた──。


『バシッ!』


 その時、

 力強く私の腕を掴んで来た人がいた。

 それは席と家が隣の水城君。

 普段から何考えているか分からない、冴えない男子生徒。そして、唯一私が嫌悪感を抱かない男の子……。


 彼はなぜか、嘘をついてまで陽気な女の子から私を強引に引き離し、私を連れて急ぎ足でその場を離れた。

 後でどうして私の腕を掴んだのか訊くと、「俺がそうしたかったから」と返された。


 意味が分からなかったので、もう少し問い詰めてみると彼は、「怯えている顔をしてたから」と言った。

 本当に私の心が表情に出ていたか分からないけど、その言葉を聞いた時、内心嬉しかった。届かぬ声が、届いたんだって。


 でも私は、彼の善意を蔑ろにしてしまった。勇気を出して私の腕を掴んでくれたはずなのに。

 それなのに私は「ありがた迷惑よ!!!」と言ってしまった。プライドが、自分の意思を越えて表に出てしまった。


『助けなんかいらない』

『独りでなんとかする』


 くだらないプライドのせいで、私は彼を傷つけた。感謝してるはずなのに。


(最低な人間ね、私……)


 いつも赤く染まる空も、今日はどこか黒く濁っていた。



    ☆☆☆



「それじゃあ順番に降りてねー」


 学校に到着し、先生に降りるよう促される。

 指示通り皆前から順番に降りていく。

 少し待っていると、前の人が進んだので俺は立ち上がり、忘れものがないかチェックしてから通路側に出る。


『……』


 チラッと横を見ると、藍田萌香はまだ窓の外を見ていた。

 うっすらだが、顔がガラスに反射している。

 黄昏てる?

 具体的な心境は分からないが、感傷的で、哀愁を帯びた表情をしている。

 俺の行動は、完全に間違いだったな。

 

「おい……もう学校着いたぞ」


 後ろも待っているので、一応声を掛ける。


『スッ…』


 すると藍田萌香はリュックを持ち、無言で立ち上がる。無視されてるわけではないみたいだな。


「運転ありがとうございました」


 運転手さんに礼を言い、バスを降りる。

 全員が降りると先生は皆に明日の予定と「お家に帰るまでが遠足です!」と伝え、本日の授業は終了する。

 

「凌空、一緒に帰らねえか?」

「あー悪い聡仁。今日ミーティンがあるから先に帰っててくれ」

「了解」


 今日ぐらいは部活がオフだと思っていたが、どうやらミーティングがあるらしい。

 久しぶりに凌空と帰りたかったが、今後にお預けだな。

 

「……いつも通り帰るか」


 皆が余韻に浸り、寄り道や思い出話をする中、俺は1人で家路に就いた。

 


    ☆☆☆



 時刻は午後5時。

 夕方ということもあり駅には人が多く、そして暑い。

 

『まもなく、電車が参ります」


 駅アナウンスと接近メロディが流れ、その数十秒後に電車が来る。

 リュックを身体の前で持ち、乗車する。



「ふう……やっと着いた」


 電車に揺られること30分。最寄り駅に着いた俺は一息つく。

 満員電車だったので席が全て埋まっており、いつもより体力を消費した。

 それから改札を抜けて、夕日が沈んでいくのを眺めながら家に帰る。

 その道中……


『カタン…コトン…』


 後ろから足音が聞こえる。

 音を聞く限り、後ろの人は恐らくローファーなどの革靴を履いている。

 まあ、なんとなく誰だか分かるが。

 

(……やっぱりか)


 曲がり角を曲がる時にチラッと後方を確認したが、やはり俺の予想通りだった。

 ローファーの音を響かしているのは、俺と同じクラスで席と家が隣の奴──藍田萌香だ。


 最初は文句を言うために俺を追ってきたのかと思っていたが、部活はオフだと神社に向かっている時に言っていたので、コイツも家に帰っているだけだろう。


『じーーーっ……』


 なんだろう。

 帰っているだけのはずなのに、めちゃくちゃ視線を感じるんですけど。やっぱ文句を言うために追ってきたんじゃ……。

 嫌な予感がするので、俺は歩くペースを上げる。


「バタンッ! バタンッ!」

『カタン! コトンッ!』


 スピードを速めると、後ろの人も俺に続いてペースを上げる。

 ……普通に怖いんですけど!

 え、まさか俺殺されるの?腕掴んだだけで殺されるとか、俺の人権なさすぎでしょ!


「ちょっっと良いか姫さん?」


 俺は死の覚悟を決めて後ろを向き、藍田萌香に声を掛ける。


「な、なによ」

「なによじゃなくて、どうして俺の後を追ってくるんだ? 俺を殺したいのか?」

「殺す? なにを言ってるのあなた」


 俺の勘違いなの?

 どう聞いてもあの音は『死の足音』にしか聞こえなかったんですけど。


「なら、どうして後を追ってきたんだよ」

「……あなたに、言いたいことがあるから」


 藍田萌香は目線を下に落とす。


 言いたいことね……。

 確実に俺のメンタルが抉られることだよな。

 悪態をつかれたり、罵詈雑言の嵐を浴びせられたり──。

 想像しただけでメンタルが崩壊しそうだが、あれは俺の失態だ。罪はしっかり償わねえと。


「分かった。しっかり聞いてやるから、お前は言いたいことを全部言え」

「全部はさすがに……」


 白銀の氷姫でも、さすがに全て吐き出すのは良心が痛むか。

 これが『慈悲』というやつか。


「すぅー…ふぅー…」


 胸に手を当て、藍田萌香は深呼吸をする。

 下に逸らしていた視線も上に上げ、俺と目を合わせる。

 そして、俺に告げた──


「ごめんなさい!!!」

「……え?」

「せっかくあなたが助けてくれたのに、それを蔑ろにしてしまって……本当にごめんなさい!!!」


 ん、ん?どうして俺が謝られてるんだ?謝るのは俺の方なのに。


「えっと……と、とりあえず頭を上げてくれ。話はそれからにしよう」


 俺がそう促すと、藍田萌香はゆっくり頭を上げる。

 

「その……どうしてお前は謝ってるんだ?」

「言った通りよ。あなたの善意を蔑ろにしてしまったから」

「それって、俺がお前を陽キャ女子から引き離した時か?」

「そうよ。

 あなたのおかげで私はあの時救われた。それなのに私は、あんな酷いこと言って……」

「なんだ良かった~~~」


 俺は胸を撫で下ろす。


「え?」

「めちゃくちゃ焦ったぜ。てっきり、あの陽キャ女子から引き離したことを根に持ってるのかと思ってた。いやー良かった良かった」

「……?」


 藍田萌香は目を丸くし、ぽかーんと口を開ける。


「ど、どうしてそんなホッとしていられるの? あなたは理不尽に罵倒されたのよ?」

「だって、どんでもねえ失態を犯したかと思ってたからその反動で……」


 ますます意味が分からない。

 藍田萌香はそんな顔をする。


「良かったな。お前が嫌な思いをしなくて」

「何よ、他人事みたいに……もう一度訊くけど、あなたはどうして私の腕を掴んだの?」

「どうしてって……。あの時言っただろ?『俺がそうしたかった』からって」

「だから! どうしてそうしたくなったのよ!」


 藍田萌香は激怒した顔をする。

 答え方がしゃくに障ったのか?正直に話したつもりなんですけど。


「まあ落ち着け。具体的に言うとそうだなあ……あんな顔を目撃して放っておくのが、俺には出来ないからかな。後々後悔しそうだし。だからお前の腕を掴んだ」

「そんな心配されるような顔をしてたかしら私?」

「俺の目にはそう映ってた。まあ、ただの勘だけどな」


 実際、俺以外のメンバーは何も感じていないようだった。なので今回は『勘』ということにしておこう。


「そう……だったのね。ごめんなさい」

「? なぜそんな謝るんだ? お前が謝る必要なんかないんだぜ?」

「どうしてそうなるのよ」

「だってあれは俺の私欲で取った行動だ。お前はただ、それに巻き込まれだけに過ぎない。だからお前に謝る責任なんてない!」


 ここはちゃんとしておかねえとな。

 謝るという行動は、どちらかが相手に対して害を及ばした時に取る行動だ。

 なので、頭を下げる側と下げられる側、どちらも良い気分にはならない。

 それに謝ってばっかじゃコイツの尊厳が失われてしまう。 


「お前は何も気にせず、いつもどお──」

「それじゃダメなの!!!」


 藍田萌香は叫ぶように声を張り上げる。


「それだと……あなたの勇気が報われない」

「だから、俺は別に善意で──」

「それに謝らないと私が私でいられなくなるの!!!」


 俺が今見ている光景は現実だろうか。

 俺の目には、いつも青く輝く宝石が潤んで、滲んでいるように映っている。

 私が私でいられなくなるか……。

 つまりこの言葉は、謝罪をしないと『人』でいられなくなるということ。


 詫びなければ藍田萌香としではなく、人間という生物としての尊厳が失われるわけか。

 なあ、そんな顔しないでくれよ。そんな顔をされたらお前の詫びを受け入れるしかなくなってしまうだろ……。


「一応訊いておきたいんだが、お前はどうして俺の善意とやらを踏みにじったんだ?」

「それは……私の諸刃が、勝手に鞘から抜けたのよ」


 回りくどい言い方をしているが、恐らく諸刃とは『プライド』のことだ。

 プライドは自分の存在意義を失わないため、もしくは自分を高めるために必要だったりするが、却って自分を傷つける武器にもなる。

 そして今回は裏目に出てしまい、結果的に相手も自分も傷つける刃になってしまった。


「そういうことか。なら、お前の謝罪をしっかり聞いてやる。だから簡潔に、スピーディーに言ってくれ」

「ありがとう。あなたの希望通りにするわ」


 そう言うと藍田萌香は頭を下げながら、


『あの時は、本当にごめんなさい』


 俺に謝罪した。


「頭を上げてくれ。お前の気持ちはしっかり伝わった。……てことで、さっさと家に帰ろうぜ! お前今日部活ないんだろ?」

「え、ええ。ないわ」

「ならパッパと帰って犬とでも戯れとけ。そうすれば、そのおセンチな気分も晴れるだろ」

「別にセンチメンタルになんかなっていないわよ!」

「強がるなって。俺は知ってるぜ、お前の目がさっき潤んでたこと」

「!? 覚えておきなさい! あなたが第2の人生を歩んだとしても、私はあなたを一生呪うから!」


 ようやく、俺が知っている藍田萌香に戻ったな。

 そのあと俺達はくだらない言い争いをしながら家へ帰った。


 






 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 



 

 


 

 





 


 

 

 


 

 

 

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