第20話 ミツメの誕生
当主の子は双子となり、一人は強力な霊力を持ち、一人は霊力を持たずに生まれる。
三叉導師との契約によるものと言われているが、いつから始まったかは定かではない。
澪杙家は除霊師の名家として、強力な霊力を持った子を当主に据えることで、家門を守ってきた。
七大霊家として名を馳せたのも、秘蔵とされたこの呪いによる恩恵があったからである。
同時に生まれた双子の姉
聖は幼い頃から当主になるべく期待をかけて育てられ、それに応えるように才能を開花させていった。
廟は聖のその姿を間近で見ていたが、霊力を持たない自分の境遇を恨むことはなく、いつも笑顔を絶やさず、みんなから愛されていた。
この時の澪杙家は温かく慈愛に満ちた雰囲気であり、廟は自分の異常さに気づくことはなかった。
廟の心の中には、一つの思い出がずっと残っていた。
温かな家族に囲まれていた時期に、両親から爪が綺麗だと褒められた思い出である。
両親にとっては廟を喜ばせるために言った何気ない一言であり、廟とっても嬉しい言葉として記憶に残ったが、廟という人間は、ほかの人間とは性質が違った。
褒められた爪という部位に、強い執着を示すようになったのである。
廟は一度だけその執着を表に出したことがあったが、そこで、それは人から避けられることだということを学び、以降表に出すことはなく、表面上、廟は魅力的な人物として周囲から認知されることとなった。
そして、彼女には共感性や良心が欠如していたが、彼女が内に秘めた冷酷さは、持ち前の洞察力を用いた欺瞞により、人前では隠し通され、生きていくうえで、何も問題はなかった。
聖が
廟のその明るい性格から船守としての評判は良く、何度も三叉湖を訪れる人も多かった。
三叉導師の巡礼者が最も増えた時期である。
廟は一人で過ごす時間が増えたことと、船守としての活動を記憶しておく必要があることから、手記を記し始めた。
しけし、その日その日に起きた出来事を思い返しながら、手記を記す内に、廟は仔細に見ていた巡礼者たちの爪を頭の中で反芻するようになった。
あの人の爪は白い爪半月が綺麗だった、あの人の爪は細長い流線型が綺麗だった。
いつしか手記の一つは、人の爪の絵で埋め尽くされた。
廟は思った。絵などでは爪の美しさをとても表すことができないと。
良心が欠落していた廟の行動は早く、医学や心理学の本を買い読み漁った。
すべては巡礼者を殺害して爪を奪い取るため。
最初の被害者は廟の熱烈な信者で、毎週のように三叉導師の巡礼に訪れていた中年の男性である。
話をする中で、彼に親族がおらず、天涯孤独の身であることはすぐに分かった。
信頼関係があったため、廟が男性を人気のないところに誘い出すのは簡単で、男性は廟から目を離した隙に、あっという間に殺された。
廟は初めて人を殺したが、罪悪感を感じることはなかった。
彼女は心理学の本も読み漁ったため、そういう人種がいることは知っていた。
生まれもっての殺人鬼としての素養。
廟はそこで、自分がほかの人とは違う存在だと知った。
そして、それと同時に普通の人の感情を知りたいと思った。だからこそ、家族は絶対に必要な存在だとも感じていた。
そこから廟は嬉々として巡礼者を殺害していった。
一人、また一人と。
廟は被害者の爪だけを保管し、遺体は洞窟の一番奥の地底湖に沈めた。
廟は集めた爪を眺めながら、これまで隠していた自分の本性を解放して生活することに喜びを覚えていた。
自分は抑圧されていた、こうして生活することが本当の幸せであったのだ、澪杙家の門下生との会話や船守としての仕事では感じることができなかった、もっと早くこうしていればよかった、廟はそう考え愉悦に浸った。
数年間、廟は巡礼者と交流しながら、犯行に及んだ。身寄りがない人、あるいは同行者と共にいる人を一人ずつ……
三叉湖で人が失踪するという噂が流れたのは、新聞記者だった一人の男が、一度話して興味が湧いて追っていたほかの巡礼者の足取りを追えなくなったためだった。
被害者の男も一度会っただけの相手に覚えられているとは知らず、廟もまた予想していなかった。
廟は新聞記者が、なぜか男の足取りが追えなくなったと疑問を口にしたのを聞き、すぐさま言葉巧みに地底湖に誘い出し口を封じたものの、その新聞記者はほかの巡礼者にも、男の足取りが追えなくなったことを話していた。
新聞記者の口封じをしたのは、廟にとっては失態だった。
人が消えたと吹聴していた新聞記者が、三叉湖での巡礼後に失踪したと噂が広まったのである。
廟はこのまま姿をくらますべきか思案した。
だが、失踪はあくまでも噂の域を出ないため、地底湖さえ見つからなければ、現時点で自分をどうこうすることはできないはず、また、こちらから澪杙家に連絡をしなければ、自分も失踪者として扱われる。
いずれ来るであろう澪杙家の調査隊が油断している内に迎え撃てばよい、除霊師は対人戦においては素人同然なのだから。
そして、聖が来たらその爪も貰い受けよう、運が悪かったが、こうなった以上はもう取り繕う必要はない。
それから、どこかへ行けばいい。聖の爪は欲しかったから。
廟はそう考え、来る聖との邂逅に備えた。
それから、しばらくして、聖が一人で三叉湖を訪れた。
廟はこの時、聖に手を出せなかった。これはチャンスなのか、どうして一人で来たのかと迷い警戒したからであり、家族である聖を殺すことに躊躇いを覚えたからであった。
廟は姿を隠していたが、聖は小屋も洞窟の中もすべてを確認するように移動し、遺体が沈められた地底湖も覗き込んだ。
そこで、聖はしばらく目を瞑った後に部屋の中央に向かって「また来るわ」と言った。
この時、聖がどこまで悟ったのか、誰に向かって言ったのかは定かではなかったが、廟はこの時も動かず、そのまま姿を隠して、ただ聖を見送った。
次に聖が三叉湖に来た時は、三人の護衛がついていた。
聖らは真っ直ぐに洞窟に入り、そのまま地底湖まで辿り着いた。
廟はそこで薄暗い中で一人、聖らを待ち構えていた。
「廟……」
聖は悲しそうな顔で廟の名前を呼んだ。
なぜ姉は悲しそうな顔をしてるのか。何がそんなに悲しいのか。……なぜ今、自分は笑顔なのか。
いや、分かりきっている。聖は普通の人で、愛する妹が人を殺したから悲しいのだ。
そして、私は、聖にはやはり自分のことを理解できないのだと悟ったから、理解されることを諦めたのだ。
聖は生まれ持った力で人を救い、強い意志で生きる。
自分は生まれ持った力で人を欺き、欲望に忠実に生きる。
理解し合えるはずがないのだ。聖と廟という存在は対極にあるのだから。
双子なのにどうしてこんなにも違うのだろう。
なぜ、自分を理解できる人がいないのだろう。
自分自身のこの感情はおそらく普通の人と同じものだが、おそらく決定的に違う。
気がつけば廟の表情は冷え切ったものに変わっていた。
「自分らしく生きるの。聖、あなたが言ってくれたんじゃない。自分らしく生きてって。私は好きなものを好きなだけ集める。自分の気持ちを抑えるなんて、後悔するでしょ?」
「それは、人を殺していい理由にはならない」
聖の言葉に、護衛たちは緊張した面持ちになる。言ってなかったのか? 聖は、地底湖に沈んでいる者たちのことを。
廟は冷静にそれぞれの表情を観察しながら、会話を続ける。
「やっぱり分かってたか。私をどうするの? 殺す?」
廟は一定の距離を保ちながら歩く。
「殺さないわ。あなたは幽閉する。これ以上被害者は出させない」
「それで? 澪杙家はどうするの?」
「どんな糾弾でも受け入れる。あなたを一人にはさせない。澪杙家は共に罪を背負う」
「偽善者。何も分かってない」
「確かに分からない。だけど、私はあなたを理解することを諦めない。どうしてこうなってしまったのか、絶対に理解する。あなたは私の家族だから」
「至極個人的で当主とは思えない発言ね。そして、現実的じゃない。あなたに私は理解できない」
「双子よ。いつか分かる」
「双子でも違うわ。あなたと、私は」
廟は話しながら壁際まで移動すると、身体で隠すように岩陰からボウガンを取り出し、滑らかで無駄のない所作で、護衛二人を狙い撃つ。
一人は不意を突かれたためそのまま頭を撃ち抜かれ倒れ、一人は次の矢の装填までの時間に状況を理解し回避しようとしたが、肩を撃ち抜かれ膝をつく。
「聖。あなたの爪も欲しかったの。私を捕えるならもっと人を連れてくるべきだったわね」
廟はそう言うと今度は聖にボウガンの矢を放つ。
矢は聖の顔の横を通り過ぎて岩壁に当たり落ちる。
無傷の護衛は長い槍を携え、廟に向かって走り出す。
廟は向かってくるその護衛にボウガンの矢を放つが、護衛はそれを避けて廟に迫り槍を突き出す。
廟は冷静にその槍を紙一重で避け、柄を掴み護衛を引き寄せると、腰から短刀を出して護衛の首を掻き切る。
しかし、護衛は血を吐きつつ絶命する前に廟に覆い被さるようにして巻き込みながら地面に倒れる。
「ぐぅっ……!」
廟は絶命した護衛の血にまみれながら動けなくなる。
その間に聖と肩を撃ち抜かれた護衛は廟に近づく。
「聖様! 殺害の許可を!」
生き残った護衛は血走った目で聖に言う。
「……」
聖は答えを出せずに固まる。
「こいつは危険です! 独断でもやります!」
護衛は聖の回答を待たずに、絶命した護衛ごと廟に剣を突き刺そうとする。
しかし、そこで廟は死体を横に押し除け、護衛に向かい口から血を吹きかける。絶命した護衛の流す血を口に含んでいたのだ。
剣は廟の脇腹を切り裂いたが、護衛は目に血が入り「ぎゃあ」と悲鳴を上げて剣から手を離す。
廟は息を切らしながら覆い被さる死体からするりと抜け出すと、最後の護衛の鳩尾に短刀を突き立てる。
そして、絶命したのを確認すると、その護衛の指を切り落とし拾い上げ、聖に見せる。
「はぁ……はぁ……こうして、私は人の爪を集めてきた。どう? あなたに理解できる?」
廟は脇腹から血を流しながら聖に向き直る。
「……これがあなたの本性?」
聖は憔悴しきった顔で廟に聞き返す。
「上手く隠せてたかしら?」
「ええ。分からなかった。ずっと隠してたのね。……苦しかったよね。私は……見てみぬふりをしてた」
聖は廟を真っ直ぐに見ながら涙を流す。
なんだ? 苦しかった? 私が? 苦しかったのか?
廟は自分の過去を振り返る。将来を約束された姉と霊力を持たない自分、理解されない爪への執着、三叉湖の船守として終える人生。
それでも、人からの愛情に包まれていたのだから、幸せといえたのでは?
……本当に愛情に包まれていたのか?
薄々気づいていたはずだ、聖と比べた哀れみや蔑みが混ざっていたことに。
欠落した感情はあったが、すべてが欠けていた訳ではない。
――私の心はとうに砕けていたのか。
廟はこれまで整理のつかなかった感情が、胸の内にストンと落ちたような気がした。
「私たちは理解し合える。双子なんだから。あなたが隠してたものをもっと教えて」
聖は泣きながらも笑顔を見せて廟に歩み寄る。
廟はその姿を見て頭が冷え切ったような感覚がする。
もしかすると、聖は本当にいつか私のことを理解するのかもしれない。
だけど、私は?
私は聖のことを理解できないだろう。
どうしてこの期に及んで殺人鬼に歩み寄ろうとしているのか。
彼女は何を欲しているのか。
廟の頭の中にドロドロとした感情が渦巻く。
やはり聖は私よりも優れているのか。
――廟は短刀で聖の胸を貫いた。
廟は聖の胸から短刀を抜く。
聖は目を見開きながら血を流し、よろめき後ろに数歩下がり、地底湖に倒れ込み沈んでいく。
廟はまた、自分の感情を整理できずに、それをただ茫然と見る。
地底湖に近寄り覗き込むと、沈んでいく聖と目が合った気がした。
取り返しがつかないことだった。
廟はもう聖を理解する術を失った。
廟は静かになった空間で、自分の荒い息遣いを聞きながら、三叉導師の本尊である石碑に近づき、地面に座り込む。
血を流し続ける彼女にも最後が迫っていた。
「三叉導師様。あなたにはこの結末が見えていたんですか?」
廟は石碑に問いかける。
「どちらでもいいことだろう? 君は選んだんだ」
石碑から三叉導師の声が響く。廟は昔、三叉導師に道を示してもらったことがあった。
聖と共に生きる道、聖とそれぞれの役割を果たす道、澪杙家から離れて生きる道の三つの道。廟は二つ目の未来を選んだ。
「この後のことは見えてますか?」
「……君の可能性には期待してたんだがね」
「神様も意外と無力なんですね。ふふふ。私は神様を悪霊にする。聖にだってこんなことはできないでしょう」
聖が三叉導師の本尊の空間にある地底湖に遺体を沈めてきたことで、三叉導師は怨念を取り込み続けており、その力は邪悪で禍々しいものへと変貌しつつあった。
「元々は私の霊力なんだから、利子をつけて返してもらうね聖……」
気がつけば廟は聖の霊力を纏っていた。双子の呪いには、一方が死ぬともう一方に霊力が譲渡される性質があった。
本来、双子が意思を継ぎ、強大な存在に立ち向かうための呪縛。三叉導師はそれを知っているが、廟はそれを知らない。
霊力が戻ることを悟ったのは、ただの彼女の直感だった。
「三叉導師様……私のこと……忘れないでくださいね……」
「馬鹿なことを。お前に取り込まれる私の運命を呪うよ」
「……ほかの道を選んでいたら……私は聖を理解できたの……? 私は家族を……知ることができたの……? そんな訳……ないね……こんな風に……私を生んだ……世を恨むわ……あぁ、もっと……もっと爪を集めたかった……」
廟はあり得なかった未来を想像しながら、家族を理解できなかった絶望と、さらなる人の爪への渇望を携えながら、静かに息を引き取った。
そして、廟は邪悪な霊力渦巻く悪霊となり、三叉導師を取り込みながら、ミツメとなったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます