第9話 三叉湖に向かう前夜

「俺が十二歳の頃の話だ」


 晴北はれきた道雲どううんは和室の上座にある座布団に腰かけ話し始める。


「当時、泰山たいざん兼光かねみつという除霊師の筆頭家の当主が、各地の除霊師を集め、霊祓いの修行の場を設けることとなった。


 俺も晴北家としてその場に参加したが、そこには、ほかにも八人、まぁ七大霊家の跡取りに兼光さんの子だな、錚々たる面々が集まり、三年ほど、霊祓いについて研鑽し合った。


 そして、兼光さんはいつも朗らかで教えるのも上手くてな、皆どんどん技術を伸ばしていった。


 その中に居たのが澪杙みくい家の跡取りだったひじりさんだった。情に厚く、誰にでも分け隔てなく慈悲を与える人だったよ」


 道雲は優しい笑みを浮かべながら話し続ける。


「そこでの生活の中で、聖さんからは双子の妹のひょうさんの話をよく聞いていた。愛嬌があって、周囲の人を明るくしてくれる太陽のような自慢の妹だってな。


 廟さんは三叉湖に祀られている三叉導師への巡礼に来る人を案内する船守をしていた。


 兼光さんの集まりが解散となった後、俺は全国を旅していたが、たまに聖さんと会った時には、廟さんの案内する明るい巡礼の話をよく聞かされていたよ」


 そこで道雲の表情が少し陰る。


「十年ほど経った頃だった。聖さんに会うと、いつもと様子が違ったんだ。表情に余裕はなく、何かを案じた雰囲気だった。


 話を聞くと、三叉湖に行った人が帰らないという噂が流れ、廟さんに真偽を確認するために、聖さんは三叉湖に行ったが、廟さんは見つからなかった。


 日を改めてまた調査に行くことになり、俺も誘われたが、生憎その日は除霊の依頼が入っていたから行けなかった。


 まぁ、護衛も同行することになっていたし、万一悪霊に襲われたとしても聖さんの力なら除霊できると思っていた。


 だが、その調査の日以降、聖さんと護衛が帰って来ることはなく、三叉湖の方面から悍ましい霊力が流れて来るようになった」


 一同は静かに道雲の話を聞き続ける。


「澪杙家は、三叉湖に強力な悪霊が発生した可能性が高いと判断し、除霊師の主力を集めて三叉湖の調査を行うことにした。俺もそこに加わって聖さんを探しに行った。


 だが驚いたよ。いや、薄々勘付いていたのかもしれない。三叉湖で待ち構えていたのは、聖さんと同じ霊力を持ったミツメだった。


 聖さんの霊力は強大だったから、勝てる見込みはないとその場にいた全員が悟った。


 聖さんの夫は調査隊のリーダーを務めていたが、除霊は無理だと判断し撤退することを決めた。


 彼自身が殿を務め調査隊は撤退、澪杙家まで命からがら戻った。だが、その時には澪杙家の主力はミツメと縁を結ばれてしまっていた。


 無事に戻れたと安心した雰囲気の中、縁を手繰られミツメが顕現し、凶悪な攻撃で澪杙家の主力は壊滅。数分前までと打って変わった凄惨な現場になったが、それ以上は何もせずミツメは姿を消した。


 力が弱まった澪杙家はすぐに体勢を立て直せないと判断し、ミツメ本体の除霊を諦め、ミツメが使役する悪霊を祓い続け、力を弱めてから除霊をすることとした。


 しかし、その後、他の除霊師の大家でも同じように当主が怪奇となってしまう事案が発生し、ミツメの除霊をすることができる状況ではなくなり、そのまま現在に至るってわけだ」


 道雲の話に誰かがゴクリと喉を鳴らす音がする。


「当時調査隊を組んでも除霊できなかったミツメを、祓うことができるんでしょうか」


 碓氷うすい瑞月みつきが静かだが通る声で道雲に尋ねる。


「安心しろ。霊に対する防護法は怪奇七談を祓うために国が策定した法律だ。施行されてから除霊師は確実に力を付けてきた。


 今の澪杙家の門下生たちも粒揃いだと聞いてるし、俺もミツメを祓えるように修行してきた。


 それに澪杙家がミツメの使役する悪霊を祓い続けてきたから、以前よりもミツメの霊力は減っている。負けねぇよ」


 道雲が明るく言うと、澪杙みくい洸人ひろとが反応する。


「俺だって姉ちゃんの修行を受けてたんだ。ミツメにだって負けないよ」


 それを聞いた澪杙しずかが慌てて洸人を制止する。


「洸人! 何言ってんのよ、もう……」


「グァッハハハ! いいぞ! それくらいの気概がないと強くなれねぇからな。


 だが間違えるなよ洸人。無謀なことをすればお前の周りの人が苦しむ。情熱は冷静さの中に隠しておけ。お前は将来、澪杙家を背負って立つ男だ。できるだろ?」


 道雲の言葉に洸人は熱を帯びた様に「うん」と頷いた。


「道雲様、ありがとうございます」


 呆れたように洸人を見ていた淵が感謝を述べる。


「お前もだ淵。お前ら二人は澪杙家には欠くことができない存在だ。絶対にミツメを祓うぞ」


「はい、微力ながら頑張ります」


 淵の返事に道雲が笑みを浮かべる。


「さて、それじゃあ善司ぜんじ、夕飯にしようか。お前が作るんだ」


「げ、全員分ですか?」


「当たり前だろう。成道も手伝え」


「了解! 味付けは甘めでいいよね?」


「馬鹿野郎。お前は味覚がおかしいんだ、味付けはするんじゃねぇ」


「はっはっは! 実の孫になんて言い草!」


「……ふぅ、とりあえず一服してきます」


 善司が遠い目で返事をして部屋を後にすると、淵が反応する。


「私も手伝いましょうか?」


「おう、そりゃ助かる。頼んでいいか」


「分かりました」


「淵さんって料理するの?」


 成道が淵に尋ねると、淵は自信あり気に答える。


「まぁ、こっちでも作るし、実家でもウチの門下生に混ざって一緒に作ったりしてたからね」


「そりゃ頼もしい」


「魚はありますか?」


 淵が道雲に尋ねる。


「おう、あるぜ。好きに使ってくれ。そういえば澪杙家は魚料理が美味いんだったな。楽しみだ」


 道雲は顎髭を触り、過去を懐かしむように答えるも、洸人がそのやり取りに不服を申し立てる。


「え、止めてよ! せっかく家を出てから肉料理が食べれてるのに!」


 淵は微笑みながら洸人に言う。


「そろそろ実家の味が恋しいでしょ?」


 しかし、洸人は即座に返す。


「肉がいい」


「もう……」


 期待した回答ではなく淵は頭に手を当てて悩むような仕草をすると、そのやりとりを見ていた道雲が洸人に言う。


「安心しろ洸人。晴北家には肉料理もある。薄味だがな」


「薄……味……。僕も料理手伝うよ」


「あんたは休んでなさいよ」


「い、嫌だ、こんな状況なんだ、好きな物を食べないと」


 薄味の肉料理はお気に召さなかったようで、何とか濃い味の肉料理にありつこうと、洸人はあがく。


「はいはい、分かった分かった。後から好きに味付けさせてもらいな」


「私も手伝いましょうか」


 瑞月は今の所晴北家の面々を頼ってばかりであったことから、何かをするべきといった気持ちになり尋ねる。


「団地に囚われていた間の疲労は大きいだろう。二人は休んでろ」


 道雲は腕組みをしながら柔らかい表情で、気にする必要はないといった様子で答える。


「……分かりました。ありがとうございます」


「瑞月。この部屋にはテレビとか積み木とかあるから好きに使っていいよ」


 成道は部屋の中を指し示しながら言う。


「ありがとう成道君。洸人君、一緒に待ってようか」

 

「積み木なんて僕はやらないよ」


 洸人は積み木という言葉が引っかかったらしく、俺はもう子供じゃないと言わんばかりになり、瑞月は少し困った顔になり洸人を諭す。


「一緒にやったら楽しいかもよ」


 瑞月の言葉に、少しの間固まった後、洸人は言う。


「……瑞月さんが言うなら」


 それを見た淵は、眉間に皺を寄せて洸人を見る。


「え、あんた……」


「な、なんだよ姉ちゃん」


「……頼むから変なことしないでよ」


「当然だろ! 何言ってんだよ!」


「グァッハハハ! 賑やかでいいじゃねぇか。夕飯も美味くなるってもんだ。じゃあできたら呼んでくれ。俺は哦楽がらくと連絡をとってくる」


 どことなく漂っていた陰鬱な雰囲気は気付けば穏やかな雰囲気に変わっていた、




 夜になり、それぞれ割り当てられた部屋で休むこととなったが、瑞月は寝付けずにいた。


 天気が良いようで窓からは月明かりが差し込み、ぼんやりと部屋を照らしている。


 今日起こった出来事は瑞月にとってあまりにも衝撃的だった。


 悪霊の悪意に触れて、怪奇に縁を結ばれた。成道たちの助けがなければ死んでいただろう。


 明日は三叉湖に行きミツメの除霊をする。道雲たちが一緒に行くとはいえ、怪奇本体の縄張りに行くのだから、当然今日よりも危険である。自分のせいで人が死ぬのではないか。


 それに、洸人君があの団地に呼ばれたのはなぜだろうか。淵さんと会う前に見せたあの姿と関係があるのだろうか。


 迫力はあったがどうにも悪意があるようには思えなかった。三叉湖で待ってるということはあれはミツメだったのかそれとも……


 そもそもミツメはどうやって生まれたのか。何の未練があって悪霊と化し、怪奇となったのか。道雲さんはきっとそのことも解明しようとするだろう。


 ……私は明日死んだとしたら悪霊になってしまうのだろうか。


「ちょっと水でも貰ってこようかな」


 瑞月はぐるぐると回る思考を諌めるため、部屋から出る。


 廊下を歩くとミシミシと音が鳴る。他の人たちはもう寝ついただろうか。


 瑞月はできるだけ静かに歩き、台所に着く。コップを一つ借り、蛇口を捻りトポトポと水を汲むとそれを口にする。随分と喉が渇いていたらしく、水の心地よい感覚がスゥっと落ちていくように感じた。


「瑞月?」


「うわっ!」


 突然声がし、コップを落としそうになるのを堪えながら振り返ると、そこには成道がいた。


「悪い。驚かすつもりじゃなかったんだ」


「成道君か。びっくりした」


「ここの紐を引っ張ると電気が付くぜ」


 薄暗くて瑞月には見えなかったが、部屋の中央に垂れ下がっている紐を成道が指し示しながら言う。


「そうだったんだ」


「まぁ、月明かりでも周りが見えるしな。いい夜だ」


「うん。怪奇七談に狙われてるなんて嘘みたい」


「怖いか?」


「そりゃあね。あんな強力な実体を持った悪霊なんて悍ましくて竦んじゃうよ。成道君は怖くないの?」


「怖いさ。……多分ここにいる人たちで怖がってない人はいない。そんな人はすぐに死ぬからね」


 成道は窓の方を向き遠くを見つめるようにして言う。


「怖いからたくさん準備をして、生きるために頑張る。瑞月も怖いって思ってるなら死にたくないって気持ちはあるんだろ?」


 瑞月の方に向き直った成道の問いかけに、瑞月は一呼吸置いてから答える。


「……そうだね。だけど、いつもお母さんのことが浮かぶんだ。私だけのうのうと生きてて良いのかなって。


 お母さんが悪霊に襲われて死にそうになってる時、私はお母さんに行かないで、死なないで、嫌だって言ったんだ。そして、お母さんは悲しい顔をして悪霊になった」


「……」


「成道君なら分かるよね? 死にたくないって思いが強いと悪霊になってしまう。私はお母さんを悪霊にしてしまったんだよ。あの時私が我儘を言わなければっていつも思う」


 成道は真剣な眼差しで瑞月の言葉を聞く。


「瑞月は……その時の自分の行動を後悔してるんだな」


「あんなに人助けをしてきた人が……悪霊になったんだ。私のせいで」


「子が親と一緒にいたいと思うのは当然のことだよ」


「それでも、どうしても私が我儘を言わなければお母さんは悪霊にならなかったんじゃないかって考えてしまうんだよ。悪霊は憎いよ。だけど、自分のことも憎い……」


 母親を失ったどうにもならない現実に対して苦しんでいる瑞月の姿に、成道は目を瞑り静かに思案したかと思うと、慎重な様子でゆっくりと言う。


「瑞月は……どうして千羽学園に入ったんだ?」


「それは……」


 瑞月は言い淀んだ様子で言葉に詰まりつつ言う。


「この世界に居ればお母さんに会えるかもしれないから……会って謝りたいんだ。


 お父さんも多分私と同じ。今の職場で働いているのはお母さんを探してるからだと思う」


「それは諦めて良いことなのか?」


「……お母さんを探すのにも時間がかかる。もうどこかの除霊師に祓われてしまったかもしれないし、私が探しても無駄かもしれない、それなら……死後の世界に行けば元の姿に戻ったお母さんに会えるかもしれないって考えることもある」


 死後の世界。そこから現世に戻って来た人はおらず、存在も観測されていないため、期待してはならないものである。成道は悲しく思いながら、俯く瑞月に言葉をかける。


「本気で言ってるのか?」


「……」


「俺は今日瑞月が生きていてくれて良かったって思った。多分維千火も同じことを言うと思うし、瑞月のお父さんもきっとそう言う。


 瑞月のことを大切に思ってる人はたくさん居る。だから、死後の世界のことなんて一瞬でも考えないでほしいって思う」


「成道君……」


「苦しいのは状況が変わらないからだ。お母さんに会えたらきっと何かが変わる。瑞月は一人じゃない。一緒に探そう。弱気になるなんてまだ早いだろ?」


「……」


「ゆっくりでいいから気持ちを整理してみてほしい」


 成道はそう言うと台所を後にした。


 瑞月はそれを見送り静かな空間に少し立ち尽くした後、消え去りそうな足音を立てながら部屋に戻って行った。

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