第9話 真実の愛の物語

 ✦⋯⋯< 王子 >⋯⋯✦




 別に、アルアリエルが嫌いなわけではなかった。


 だが、俺たちは小さすぎた。初めて会ったとき、俺は十一歳で、あいつは八歳。やがて《聖女の指輪》に選ばれ、あいつは旅に出た。

 過酷な旅に出ると知って泣きわめくアルアリエルをなだめたこともあった。何を言ったかは覚えていない。




  ❖ ―― ♔ ―― ❖



 エゴール・エルディリオン。


 俺は王族の三男坊。

 愛想を振りまくための置物だ。

 兄や弟たちと比べられているうちはまだよかった。

 やがて、誰も俺に期待しなくなった。俺自身でさえも。


 俺は享楽に溺れる日々。フルートを奏で、女と戯れ、酒の盃を乾かす。絵に描いたような放蕩貴族だ。

 しばらくして、十六歳になった俺は総督などという役職を押しつけられ、王都から三日ばかりの地方へと追いやられることが決まった。

 形式上は司法も軍政も管轄する、女王の代理人。現実には、処分に困った王族に与える都落ちポストだ。


 謁見の間。俺は母と兄弟たちに見下ろされながら、地方への赴任を言い渡された。

「かの地を統治せよ。これらがあれば、お前でもできるだろう」

 そう言う女王から、魔法の宝具ほうぐを与えられた。

「お前ならできる」……そう言われたかったが、そんなものは望むべくもなかった。


 思い出すのは、去り際に見た大宮殿の正門だ。この世界のことわりともいうべき、四大要素の彩りに囲まれたアーチ――火の赤・水の青・風の緑・土の黄――神聖な四色。貴族たちのファッションや宝飾品にもしばしば使われる、華やかな定番色。

 

 追放者たる俺が行く道に輝きはない。のっぺりとした灰色だ。臣従たる伯爵ベルトラン・ベルガランの領地を含む、猫のひたいのような広さの、どうでもいい土地。しかし地方暮らしは、意外にも俺には合っていた。王政の手は届くが、目は届かない。監視も干渉も形だけのもの。面倒くさいことは全部、ベルトランたちがやってくれる。わがままは何でも聞いてくれる。

 気楽なものだ。

 かくして俺は、大宮殿に戻りたいという気骨さえも失った。俺は中枢から外れた安全な役立たずのまま、甘い蜜を吸い続けていた。




  ❖ ―― ♔ ―― ❖




……わたしみたいな、めかけの子で、いいんですか……




 俺を変えたのはリリアンだった。


 ときどき足を運ぶ大都市のサロンで見かけた女。

 他の女たちとは違う。直感だった。一目惚れだった。


 はじめて彼女に声をかけたのは、舞踏会の控室だった。

 本来ならば、たとえ王子でも気安く立ち入るのははばかられる場所――貴族たちの着付けの待合室だ。

 だが、その夜の俺は理性より衝動が勝っていた。どうしても、彼女に会いたかった。


 女王から下賜かしされた宝具黄金の宝鍵を使い、そっと扉を開ける。どんな鍵も通用しないはずの分厚い扉も、この鍵ならば簡単に開く……イカれている。こんなことのために……鍵に秘められた魔法の効果で、室内にいる彼女以外の女たちは、皆すやすやと眠っていた。


 控えめな仕立てのドレスをまとった少女がひとり、困惑した顔で立ち尽くしている。

 その姿を見て、俺はほとんど反射的に口を開いた。


……おまえと踊りたかったんだ……。


――あれが、すべての始まりだった。


 彼女が身につけるものはすべて手作りだった。

 が、どんなドレスより美しかった。

 貧しい?

 細い?

 目立たない?

 全部、俺には魅力だ。


 誕生日に、リリアンは、内職で貯めたお金で首飾りを贈ってくれた。ひと目で安物だとわかるが、俺にとっては何よりの宝物となった。流行色を取り入れたカラフルな首飾りだ。


 なにもかも、もう、どうでもよくなった。

 どうせ、俺のことなんてどうだっていいんだろう?

 構わない。リリアンと結ばれたかった。

 結ばれたかった。




  ❖ ―― ♔ ―― ❖




 ある日。別地方の辺境伯から《写し取りの鏡》が届いた。

 魔法の鏡面にはアルアリエルからのメッセージが投写されていた。


……えっと。これに、語りかけるんですよね?


 巡礼の旅に出て三年が経とうかという頃だった。

 いよいよ国を出て、世界の果てに向かう――

 そんな聖女に、辺境伯が気を利かせたらしい。


……お元気にされていますか。すてきな王子さま。もう何年もお会いしていませんが、きっと立派になられていますよね。


 十五歳になったあいつは鏡の中で無邪気に笑っていた。


……旅は大変なこともありますが、ぜんぶ終わらせて、あなたに、ほめてもらいたい。ときどき想像するんです。パステルカラーの花嫁衣装。祝福してくれる人々。鐘の音。抱きしめてくれる王子さま。


 心をえぐるような無垢な言葉だった。


……このドレス、魔法で仕立てたものなんです。侍女がいなくてもバッチリ着こなせます。母さまにも先生にも、はしたない姿を見せてはいけませんと、言われてきましたから。


 椅子に座ったアルアリエルはぞっとするほどきれいになっていた。真っ白なドレスをまとっていた。コルセットをきつく締めて、髪もきちんと整えて、すそにもそでにも、汚れひとつない。


……あなたのことを考えています。迎えに来てくれて、待っていたと言ってほしいです。頑張ってきます。またお会いできるのを、楽しみに。


 最後まで見ることはできなかった。バカなのか。もう国を出ていって世界の果てに行くというのに。誰も見ていなくても、どこにいても、貴族として言いつけを守るのがあいつにとっては当然なのだろう。俺がどれだけ腐ったかも知らず、まっすぐな目で「また会いたい」などと。


 あてつけにしか思えなかった。

 純粋なお姫さまでいられる、あいつの存在そのものが。


 うっとうしかった。


 だが。


 瞬間、思った。


 ――――――この《鏡》は使える、と。




  ❖ ―― ♔ ―― ❖




 俺は何枚か《写し取りの鏡》を取り寄せた。この鏡は、まともな魔力を持った貴族であれば誰でも使えるもので、使い方も簡単だ。自由に上書きができるし、合わせ鏡にすれば複写もできる。リリアンと相談して、アルアリエルのうるわしいメッセージを複製し、切り貼りしてやった。

 例えば――


……すてき……立派……

……はしたない姿を見せて……

……楽しみ……


 背格好の似ている女に金を握らせた。

 男と過ごさせた。顔を隠したまま《鏡》に写し込んだ。

 想い人を待つ乙女の願いは、ただのふしだらな誘い文句に変わった。


……抱きしめて……

……来て……

……あなたのことを考えています……


 表向きにはリリアンが映像を手に入れたことにした。

 清楚な『主役』の顔をして、うまく拡散してくれた。

 サロンの婦人たちは嬉しげにささやき合った。

 紳士たちは下品にニヤついて大喜びした。


 またたく間にアルアリエルは悪女へと腐り落ちていった。

 愉快だった。

 リリアンはどんどん過激なネタを思いついた。

 俺はのめりこんだ。

 次から次へと刺激的な聖女のスキャンダルを造っていった。


 城の敷地にある小さな館を工房にした。ここでの時間は、生きていてもっとも充実感があった。

 《鏡》によって、人の心をあやつっている実感があった。俺は無能だとばかり思っていたが、この方面の才能はあったらしい。


 アルアリエルはとっくに国を出て、世界の果てとやらに向かっていた。




  ❖ ―― ♔ ―― ❖




 世界を救った聖女。使命を果たし、この国に帰ってくるころ、評判は地に落ちて泥だらけ。一方でリリアンはますますサロンの主役として人気者に。悪役令嬢アルアリエルの偶像ができあがっていた。


 聞いた話では、あいつはいくつもの舞踏会で大失敗したという。悪役令嬢呼ばわりにいろいろと言い返そうとしたらしいが、揚げ足を取られて黙らされた、笑われた、と。まあ、婚約者の俺が無断欠席をした時点で、無様と大恥は決まったようなものだからな。話を聞いたリリアンはベッドの枕に顔を押し付けて、足をばたばたさせながら笑いをこらえていた。かわいいやつだ、と思った。


――それでも。あいつが生きている限り、俺はリリアンとは結ばれない。


 思えば思うほど、「アルアリエルと形だけの結婚をして、リリアンは愛人に」なんて茶番は受け入れられなくなった。


――この世から消すしかない。


 リリアンも同じことを考えていた。

 俺の言葉を待っていたかのように笑った。

 やはり、俺たちはぴったりだ。


 だが、問題があった。いくら悪役令嬢といっても、直接手にかけては角が立つ。暗殺者を差し向けて弱みを握られるのは困る。何より、相手は世界を旅した聖女であり、公爵家に守られた令嬢。そう簡単に手出しができる相手ではない。


 信頼できるのはリリアンだけ。

 必要なのは、何十人もの兵力で取り囲んで押さえつけるだけの『大義名分』だ。

 なに、問題はない。可能だからこそ俺は王族なのだ。


 ここは俺の小王国。王都の裁判官どもの目を盗み、世論の賛同のもと、女一人の処刑を正当化するなどたやすい。


 適当な悲劇を用意してやればいい。

 公爵令嬢に見合った、イケニエ。

 ベルトランのそばに、おあつらえむきの令嬢がいるのだから。


 俺はリリアンと祝言をあげる。王都の連中が何を言おうが、アルアリエルを消したうえで、既成事実を作ってしまえばいい。


 たとえ女王であろうとも手出しはさせない。

 俺を大宮殿から捨てて、目の届かないところに追いやった親など。




  ❖ ―― ♔ ―― ❖




 簡単なことのはずだった。

 思惑通り、あいつは民衆の罵声を浴びながら、絞首台へ向かっていった。

 なのに。


 なぜだ。

 リリアンが俺の手から離れて堕ちていく。


 あの平民のせいだ。何もかも狂っていく。

 悪役令嬢の扇動を受けて、学のない民どもがそそのかされている。


――俺は『軽くて担ぎやすい王子さま』。


 父や兄に歯向かっても、何の意味もない。注目されても面倒だ。望まれるままに頭の悪そうな顔をして、下々たちにチヤホヤされながら、与えられた遊び場のなかで愉快に暮らしていればいい。

 だが、リリアンと結ばれることは許されない。だから、俺は、戦うことにした。俺の才能をもっとも活かせる方法でだ。


――このまま勝たせるわけにはいかない。俺が選ばなかった女が、何ひとつ失わず、立っているなんて。


 俺は久しぶりに、酒と女と熱狂にとろけきった頭が、静かに冷えていくのを感じていた。

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