第1話「夢の始まり」

 私は物心ついた時から、何故人は生きているのか、何故私はこの世界に存在しているのか、私の人生はこれからどうなるのか、人は死んだらどこに行くのかと言う様なことをずっと考えながら生きてきた。

 私はこれらの問い、一般的に哲学的とか宗教的とか言われるこれらの問いには、恐らく、答えなんて存在しないんだろうなと言うことは何となく理解していた。そんなことはわかっていた。

 それでも私は、これらの問いも考え続ければいつか答えが見つかるし、見つけなければならないと強く思っていた。私は死ぬ程考え続けた。寝ても覚めても考え続けた。答えを必ず見つけなければならないと信じていたし、必ず真理があるはずだと思っていた。答えがなければ、私は私が苦しみに耐えてきた意味を失うと思った。


 しかしどんなに考え続けても、この世界には真理なんてなかった。考え続けて明らかになったことは、この世界の果てしない虚しさと無意味さだった。私はその事実を理解してしまった。私は究極的には、この世界には意味なんてないし、人が生きる理由もないのだということを理解した。

 私は絶望した。今まで問い続けて来たものがこのような結論に帰着せざるを得なかったことに。


 私はこれらの衝撃的な事実を理解してから、今まで私の存在を支え続けてきた、答えを知りたいと言う気力、戦いの理由、生きる意味を完全に失った。求め続けてきたものがこのような結末になったことについて、誰に話しても私の苦しみが理解される訳でもなく、世界は相変わらず無意味に存在し続けている。私はただひたすら虚無に突き落とされた。


 私はずっと死にたかった。私はずっと、もうこの世界に存在していたくなかった。眠り、目が覚めてまたこの世界に放り出されてしまう朝を何度呪ったのかわからない。私は何度も死のうとした。でもうまくいかなかった。生きる意味を失ったこの私が、それでもこの世界に生きさせられている理由が全く分からなかった。

 私は耐え難い虚しさにただ翻弄されながら、それでもどこかに、まだ何か答え、希望があるのではないかと言う込み上げる思いを否定することができなかった…。


 


 -西暦2049年、6月。日本皇国。

 最初の人間アダムとイブの堕落から4000年以上の時が経った。

 人類は堕落から数え切れない程の、戦争、奪い合い、殺し合いを繰り返し続けてきたが、失われた神の楽園を取り戻すことはできなかった。

 地球規模の解決不可能な問題の数々一戦争、疫病、食糧危機、環境破壊、倫理道徳の崩壊は悪化の一途を辿り、人類初もはや表面的な道徳だけでは自分たちの存在を成り立たせておくことが不可能になった。

 人類は自分たちが存在していくための新たな、神のいない全能の世界の創造を必要としていた。


 人々の精神や道徳が地に堕ちた一方で、テクノロジーは天井知らずに発展し、自分たちにもう一度、神のような地位を目指せると思わせる程には人類は知恵がついた。人間の脳の構造のより根源的な領域の解明も時間の問題だった。


 【明晰夢 (Lucid Dreaming)】と言うものの存在を知る者は少なく、ましてや実際に体験した者や明晰夢の技術を獲得したものは更に少ない。あの日までは。


 ――Orbital・Network(オービタル ・ ネットワーク)

 人に、人が見たいと望む夢を意のままに見せる技術。2030年代初頭に出現したこの技術は、2000年代のスマートフォンの出現から始まり、仮想現実、拡張現実の創造の流れを全く新しい段階に引き上げた。

 それは正しく、精巧な現実を偽装する形ではなく、人が睡眠中に見る夢に直接干渉する技術として、短時間で次世代の社会基盤として世界に受け入れられた。

 仮想現実のように、没入のための大規模な機器を必要とせず、ただ眠る時に頭に被れば良いだけ。意識を失いつつ、夢の中で目が覚める。文字通り人が望む夢を見せてくれる。


 O,Nが発売されてから、人々はこぞって夢に取り込まれていったが、これは必然だったのだろう。何故なら人々は、現実であれフィクションであれ、結局は自分にとって都合の良い夢を見たいと思っているからだ。

 破滅的な現実で、終わりも見えず苦しみ続けるよりも、ただ安らかに眠り、楽しい夢を見た方が簡単に幸せになれるとなれば、もはや人々がすがりつかない理由がない。口先で表面的な現実主義を語る人間たち程、夢の世界の虜になっていった。

 

 オービタルが見せる夢は、絶望しきった世界の人々に未だかつてない熱狂と恍惚を与えた。人間は不都合な現実に向き合う必要がなくなったため人間関係の争いは減少した。社会福祉、弱者救済のために使われていた莫大な国家予算も、現実を変えるよりも夢を見せた方が手軽だとなり、社会は一見すると非常に良い方向に向かっていくように思えた…。


 残念ながら、進歩を手に入れるならば人々はそれ相応の代価を払う。どんな物事であってもそうだろう。今までの人類の歴史はそうだったし、これからもそうであるのだ。平和なんて訪れない。

 人々は夢を意のままに操り、夢に浸ることがもはや人生の日常となった。外に出ても部屋にいても、小さい子供から後期高齢者まで夢を求めない者はいない。

 

 人は次第に、夢に依存しなければ生きていくことが不可能になった。人類の歴史を通して、人間が富、宗教、あらゆる種類の娯楽、神々に依存していったように。今となっては、夢を見ることに疑問を抱く者すらいない。

 

 これこそが地の虚しさ、無意味さ。

人の心、この世界の真の姿。

これがこの世界の正体。

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