round3.思考策互

 夜、作業を中断してPCを開いた詩織は、通知欄に光る一行を見つけた。


 ──フィラデルキリ3世さんがコメントを残しました。


「……コメント?」


 何気なくクリックした瞬間、画面に整った文章が表示される。


 思わず詩織の口元がほころぶ。

 数字至上主義の“なろう系男子”が、霧だの余白だのと繊細な言葉を並べている。

 普段とは明らかに違う言葉選びだった。

 だが、どこか愛嬌がある。


「……無理してる。でも、意外といい感性してるかも」


 チャイティーをスプーンでくるくる混ぜながら、ぽつりと呟く。

 心のどこかで少しだけ、認めていた。


 ──さて。

 彼女はマウスを軽く動かし、ユーザー名の上にカーソルを合わせる。


「こちらは誠意を見せましたよ、ってこと?」


 海人の作品の一話目を開き、コメント欄に文字を綴り始める。

 詩織は数行の文章を打っては消し、また打っては消した。

 数字とテンポ感しか語らなかった彼が、あえて文学に寄せた言葉を使った。

 それに応えるなら、こっちも少しだけ遊びたい。


 ──送信。


泡沫うたかた詩片しへん


「一気に読ませる力があって、気づけば次のお話まで駆け抜けてしまいました。

軽やかな語り口が、とても心地よかったです。

……ただ、背景がどことなく白っぽく、景色が思い浮かびにくいようにも感じました。

風の匂いや空の色などがほんのり添えられていたら、登場する方々がもっと鮮やかに彩られるのでは、と。

お気を悪くされたらごめんなさい。」


 詩織は誤字がないか確かめつつ、モニターの文章を見返す。


「なんかわたし、京都人みたい……。生まれも育ちも関東なんだけどな」



* * *


夜、風呂上がりにスマホを開いた海人は、通知欄に意外なものを見つけた。


 ──泡沫 詩片さんがコメントを残しました。


「おっと。そう来ましたか」


 期待を込めてタップした瞬間、整った文章が目に飛び込んできた。


「なになに。一気に読ませる力がありますね……」


 コメントを最後まで読んだ海人は眉を寄せ、しばし固まった。


「……背景が白っぽい?」


 褒めてはいる。

 いるけれど、その一言が胸に刺さった。

 テンポを損なわないために、情景描写を徹底的に削ってきた。


 ソファにボフッと腰を落とし、スマホを見つめたまま呟く。


「……でも、分かるんだよな。白いって」


 悔しいけれど、イメージが浮かんだ。

 自分の小説を脳内で映像化したとき、確かに背景はスカスカで、キャラだけがセリフを飛ばしている。


「……ふん。じゃあ、乗ってやりますか」


 マグカップを手に取り、一口コーヒーを飲むと、海人は珍しくPCの前に座った。

 普段なら隙間時間を使い、スマホ片手にルーティンのように終わる更新準備だが、今日は筆に無駄な力が入っているかのようにぎこちない。


「風の匂いって、どう書くんだよ……」


 次話の冒頭。王都から脱出した女聖騎士が、主である王女の危機を伝えるべく夜の草原を騎馬で疾駆するシーン。


 いつもなら「必死で逃げた」「馬を走らせた」「砦にたどり着いた」の三行で済ませていた。

 でも、今は手が止まる。

 “背景が白すぎるかもしれません”

──その言葉が頭から離れない。


 自分なりに考えてみる。

 草原、夜風、星、足音。

 「草のざわめき」と「虫の音色」も入れてみようか。

 いや、くどすぎるか?

 でも、空気感ってこういうのだろ。


 ──いや、待て。テンポが悪くなってないか?


 描写を書き足しては消し、書いてはまた消す。

 頭の中で、詩織の声がする気がした。


「それじゃあ″絵″にならないのよ。演者しかいない舞台の台本じゃなくて、“物語の風景”を描いて」


 もちろんそんなこと言われていない。妄想だ。


「くそ……なんで俺、こんな必死なんだ」


 しかし、それでも書き始めた。

 たどたどしく、ぎこちなく、けれど確かに少しずつ──。



* * *


週末の午後。

 詩織は自分の連載を更新し終えたあと、なんとなく、フォロー中の小説一覧を眺めていた。


「あれ……更新されてる」


 フィラデルキリ3世──海人の作品に、最新話の通知がついていた。

 普段より少し遅めの投稿だったが、彼女は迷わずページを開いた。


 一行目を読み、二行目で眉を上げる。

 三行目、四行目──そこで、指先が止まった。


 ──墨を溶かしたような風の匂い。

 ──静謐な星の瞬き。

 ──三連符を刻む虫の声。


「取り入れてる……」


 思わず声に出してしまう。


 それは、彼女が数日前に指摘した背景の描写だった。

 どこかちぐはぐだけれど、今までの彼の文体にはなかった″気配″が、そこにあった。


「頑張ってる、けど……」


詩織としては以前よりグッと良くなったと言えるが、懸念するべき点もある。


「これで読者が離れちゃったら、わたしのせい……?」


なにかフォローするような発言をした方がいい気がして、慌ててコメント欄を開く。


コメント欄はすでに、常連で賑わっていた。


『んん?マスター、この店シェフ変わった?』

『フィラデルキリさん……? ついにブンゲイウィルスに……』

『こいつ……風の描写で“感情”を出そうとしてやがる……!』

『この後くっころで落とすための″高さ″を作ってるんですよね、わかります』

『その後、彼の姿を見たものはいなかった』


──さほど間隔を置かず、海人の軽快なコメント返しが付いていく。


『まあね。たまには創作フレンチっぽくね』

『地の文はいいぞ……お前も来るか?』

『風ってなんか良い出汁とれるよね』

『おいネタバレやめろ』

『エタらねーよwww ここからが本番だっての』


モニター越しに、詩織はため息をついた。


「……くだらない」


呆れ半分、どこか愉しげな口調で。


「そもそも、男子ってくだらないの好きな生き物か」


 ぽそりと呟いたその手が、無意識のうちにマウスを動かす。


 ──ぽちっ。


 気づけば、♡がひとつ灯っていた。

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