round2.創思創愛
夜の静けさが部屋に溶け込んでいた。
詩織はガラスのポットにルイボスティーを淹れ、椅子に座り一息つく。
ふわりと鼻腔に抜ける花の香りに「ふぅ」と息を漏らした。
「さて……フィラデルキリ3世、ね」
創作用のノートPCのブラウザを開く。
カクロムの検索窓にその名前を打ち込むと、いくつかの作品が並んだ。
その中でランキングに載っていたひとつをクリックする。
『悪役令嬢に追放された賢者見習い。実は最強スキル持ち!? 婚約破棄から始まる古代魔法無双ざまぁ英雄譚』
「……タイトル、長っ。」
思わず声に出してしまう。
ざまぁ、婚約破棄、追放、悪役令嬢、スキル……。トレンドワードのフルコースに、詩織は小さくため息をついた。
「まあ、数字狙うならこれくらい盛らなきゃ、なのかもね」
カーソルを動かして本文を開く。
一行目から勢いがあった。いきなり婚約破棄の場面が始まり、主人公らしき若者が悪役令嬢にビンタを食らって壁まで吹っ飛んでいる。
台詞は短く切り詰められていて、ページのスクロールは軽快だ。
「テンポはいいなあ……」
モヤモヤした気持ちを抱きながらも、詩織は指を止めなかった。
軽すぎる言葉選びが時々気になったものの、勢いのまま二話、三話と読んでしまう。
「……うーん。風の匂いとか、空の色とか、そういう描写は全然ないんだな」
指先で唇をなぞりながら、詩織はぼそりと呟く。
「感情の起伏は一応わかるんだけど……全部セリフと状況説明で済ませてる感じ」
それでも、退屈という感覚はなかった。
むしろ、その無駄のなさが気持ちよく感じる瞬間もあった。
「カロリーだけ高いジャンクフードって感じ。でも、そういうのって人気あるもんね」
認めたわけではないが、確かに読める。
三話を読み終えると、詩織はマウスを動かしてハートを三つ、ポンポンポンとつけた。
「とりあえず、礼儀として三発……っと」
ウィンドウを閉じ、背もたれに体を預け、PCのモニターをぼんやり見つめながら今日一日を振り返る。
「まあ……読まれただけありがたいと思ってくれるわよね、きっと」
自分に言い聞かせるように呟くと、詩織の口元に小さないたずらっぽい笑みが浮かんだ。
* * *
シャワーから上がった海人は、濡れた髪をタオルで拭きながらスマホを手に取った。
通知がひとつ。
──泡沫 詩片さんがあなたの作品 第1〜3話に♡を送りました。
「……三話だけ?」
思わず声が漏れた。
嬉しい。読んでくれた。それは確かだ。
でも、三話でピタリと止まるこの感じ。
「面白くなかった? ……″義務いいね″ってやつ?」
心の乱れを落ち着かせるように1人呟く。
「なんにせよ貴重な3PVだ。文句を言っちゃいけない」
海人は少しだけ息を吐き、スマホの画面をタップした。
泡沫 詩片のページが開く。
タイトルが静かな白字で並んでいる。
『風の音は、仄色の朝に香る』
数行だけ読んで、ふっと目を細めた。
「文学だなあ……。俺のとは土俵が違う」
けれど、これが礼儀というものだろう。
最新話のページまで一気に飛び、そこにだけポン、とハートをつける。
「……よし、これで貸し借りなし。」
画面に残った“最新話♡1”の表示を確認し、
海人はタオルで頭をわしゃわしゃしながら苦笑した。
* * *
朝の柔らかい光がカーテン越しに差し込んでいた。
寝起きのぼんやりした頭で、詩織はPCの電源を入れる。
カクヨムの通知がひとつ光っていた。
──フィラデルキリ3世さんがあなたの作品 最新話に♡を送りました。
「……最新話だけ?」
画面を見つめたまま、口元がふっと緩む。
「ふふ。ムキになって張り合うなんて。
星を集め続ける悲しき
詩織は小さくため息をついた。
「さて、こっちも礼儀は返しておかないとね」
フィラデルキリ3世のページを再び開く。
4話、5話、6話、7話──ポン、ポン、ポン、ポンと、リズムよくハートをつける。
「最新話から過去に遡るんじゃ格好つかないよね。さて、どうするのかしら」
椅子の背にもたれながら、詩織は口元を緩めた。
* * *
通知欄を見て、海人は眉を上げた。
──泡沫 詩片さんがあなたの作品 第4〜7話に♡を送りました。
「……増えてる。」
さっきまで三話で止まっていたはずのハートが、今度は4話から7話まで一気に追加されている。
スマホを置き、思わず天井を見上げた。
「はあ。顔の割に子供っぽいところあるんだなあ。……仕方ない、大人の対応ってやつを見せてあげますか」
そう言いつつも思考に妙な熱がこもる。
海人はPCを開き、詩織――いや、泡沫 詩片のページにアクセスした。
『風の音は、仄色の朝に香る』の1話を再び開く。
ゆるやかに始まる情景描写、霧と風の描写が長く続く。
普段ならスクロールしながら流し読みするところだが、
「……あれ、ちゃんと読むと悪くないな」
コーヒーを飲みつつ、しばし考え込む海人。
「別に俺だって、こういうのが分からないわけじゃない」
コメント欄に指を置き、考える。
数字厨だと思われたくない。
でも、こっちの強みは集客力であって、文学的表現じゃない。
あえて分かってる風のコメントをして、擦り寄ってる風に捉えられるのも癪だ。
言葉を打っては消し、打っては消し。
最終的に、こう書いた。
【フィラデルキリ3世】
『言葉の余白に、夜明け前の霧みたいな静けさが漂っていて素敵でした。
読み進めるほど、次のページが気になって仕方ありません。文芸の世界、少しずつ味わっていけたら嬉しいです」
送信ボタンを押したあと、海人はソファに深く沈み込んだ。
「はあ。……何やってんだ、俺」
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