第3話 コスパ最低
影美と話すようになったきっかけは、なぜか男女混合で行われた体育の授業だった。その日は地域クラブとかいう部活の代わり(教師までもがコスパ偏重になったおかげで、僕たちの代は部活だって課金なしにはできない)を取り仕切る顧問が、ゲスト的に講師としてやってきていた。その恰幅のいい五十絡みの男は、柔道の範士らしかった。
「先生はいつから柔道をやってるんですか?」
クラス委員の女子が挨拶のあとに尋ねた。
「中学生のときからだから、もう四十年近くやってるね」
講師の男は風体に見合わず、意外にもやわらかな笑みをこぼした。
「四十年?!」
お調子者の男子が声をあげて、
「タイパ悪すぎ」
といつも会談で動画を撮ってる女子が言った。
「たしかに」講師の男は起こることもなく柔和に笑った。「ただしパファーマンスのほうはまだ見せてないよ」
僕らは講師の指示で円になって、雑談を許された状態で準備運動をはじめた。なんだかレクの時間のような自由な雰囲気で、それなのに一応はみんなまとまっている感じが、不思議ながらに心地よかった。この柔道の先生からは、教師特有の余裕のなさがまるで感じられなかった。まあ、よく考えたら教師ではないのだから、当然と言えば当然かもしれない。
和気あいあいとした空気のまま受け身の練習をして、大外刈りと支えつり込み足っていう技を教わって、軽く軽く(「四割くらいの力で」と先生は言った)試合みたいなことをみんなでやった。
僕はみんなには黙っていたけれど、一応は武道の経験者だから、いわゆる合気みたいなものを駆使して試合に臨んだ。四割の力で挑んでくる相手に対して、合気の技を使うのだから、卑怯以外の何物でもない。
「おっ!」
見抜いた先生は小学生みたいに目を輝かせて、
「俺にもかけて」
と僕の目の前へやってきた。
試合は順番に二人ずつ、みんなの前でやっていたから、自然に視線が集まった。戦線が大げさに受け身をとるものだから、僕はまるで達人のような歓声をあびた。もちろんみんな冗談とわかっていて、いわばノリみたいなものだったんだけど。
体育の授業は、そんなふうに緩い空気のまま終わった。汗を拭きながら、うち履きのスリッパに履き替えて教室に戻る途中の外廊下で、
「ちょっと、ねえ、待って待って」
影美に肩をつかまれた。
僕はなぜか自然に、体が勝手に冗談をはなったみたいに、彼女の体を左後方、ちょうど隅と呼ばれる位置に崩して落とした。
「ふわぁっ」
艶やかな影美の髪がふわりと舞って、プールの垣根のくちなしと混ざって香った。肩の上まで捲りあげられたティーシャツの袖が、右のほうだけすとんと落ちた。彼女は地面に片膝をついて僕を見上げた。
「ごめん」
ふと我に返って、僕は影美の体を引きあげた。上げるにも下げるにも合気を使うものだから、
「ねえ何それ!」
彼女は体ごと振り乱されながらちょっと怒るみたいに笑った。
「ごめん」
「ごめんじゃなくて」
僕らは目を合わせて互いに含み笑いをした。
たぶん僕らはその時点で、ちょっとばかし心が通じ合っていたんだと思う。
「興味があるからさ、帰りにちょっとだけ教えて」
本館の階段をあがる途中で影美が言って、
「めずらしいね」
と僕はこたえた。
「何が?」
「だって、なんの役にも立たないのに」
「えー、でもなんか楽しそうだし」
「そうかな?」
「だって楽しくなかった? さっきの授業も、今のも」
言葉はあくまで疑問形だったけれど、影美は僕の内心を見透かしているみたいだった。たくさんの光をはらんだいたずらっぽい瞳は、僕に小学生のころの夏を思い起こさせた。この人は憧れの女子っていうよりは、最高の友達になるんだろうなって予感がした。だから僕は、そうだね、と言った。
あはははは、と影美は笑って、じゃね、と女子が着替えに使う教室に入っていった。じゃ、と僕も友達みたいに手を振った。
偏差値とかコスパとか言う最低な世界で最強無敵な女友達ができた サクイチ @sakuichi
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