dependent

 こんなところまで来てくれなくてよかったのに、とさとるは白いコートと一緒に着込んでしまった長い髪を両腕で引きずり出しながら笑った。ふわりと髪が空気の悪い駅に舞う。今コートを着てしまってもどうせ電車の中は暖房が効いているのにと僕は思いながら町のほうに用があるから、と適当な言い訳をした。

 こっちも町でしょうに。誰かと遊ぶの? そう言って僕に預けていた荷物を受け取る。曖昧に答えると、なんだか知は楽しそうに笑った。


「嘘でしょ、知はここまで私を見送りに来た」


 いつもだったらどうしてそう思うのか問うところだけど、今日はそんな日じゃないから、否定する。

 だって知らなかったんだ。知が


「知」

「……返してくれるんだ、名前」


 だから僕は、僕らは意外と互いを知らなかったことにしておきたかった。


「意外だな、」




 僕は自分の名前にコンプレックスがあった。だって可愛すぎるのだ。僕は男なのに。

 この話をしたとき、知は笑って「容姿もかわいいからいいじゃない」と言った。別に嬉しくなかったし、実際そのときの知の表情の方が華やかだったと思う。

 知は隣に引っ越してきた子だった。引っ越してきてから割合すぐに僕に声をかけてきて、公園で自己紹介や団地、学校の紹介をさせられた。知が聞いたことだけを僕は答えていたから消極的なものではあったけど。


「ねえ、丁度良いから交換しない?」

「何を?」

「なまえ。」


 ベンチに上げた足を愛らしく抱きしめてこちらに笑いかけてくる知に、むしろこちらが危機感を抱くほど甘えた態度が上手だなと思ったものだった。媚びとかじゃなく、もしかしたら天然の産物かもしれないけど、とにかくまるで男性の理想像をそのまま形にしたような子に見えた。

 それから僕と知は時間をともにすることが多かった。学校は違ったけど帰宅途中で一緒になって公園に入り浸ったり、三年生になってからは僕以外ほとんど帰らない僕の家に知が帰宅してるくらいで、鍵なんて知が常に持っていたし、課題をやるにも僕の部屋だし、酷いと夜は寝床を取られた。

 だからといって知は自分の家族が嫌いなわけでもなく、大抵は夕飯時になると家に帰っていったし、休日のほうが姿を見なかったし、こっちが何処か行こうと誘ったときなんかはほぼ確実に断られた。

 よく一緒にいる割にはドライな関係、だった。


「……これ、なんか好きじゃないなあ」


 英文を読むのには邪魔かも、と言って知が放り出したヘッドフォンを耳に当ててみて僕はそう言った。別に気を引こうと思ったわけじゃなくて、空いてるから聞いて、だけど好みじゃなかったのを素直に口にしただけだ。

 カーペットの上で寝そべり左足を上げたり下げたりしていた知がこちらを振り向かないまま「そー?」と間延びした声を発する。

 恋愛の歌に聞こえたけど、一方的に依存してるような、そんな歌詞だと思った。そこが僕には合わないと思った。というのを簡潔に伝えると、今度はこっちを向いて「そうかな」と知は言った。


「だって、嫌じゃない? 依存されるのって」

「そうかなあ。私は嬉しいかな、依存されると」


 本当に嬉しそうにそう言ったものだった。言ったのは知だった。知が、そう言った。

 でもドライなのは僕よりも知で、嫌いな割には僕こそ依存しやすい人間だったともうこのときから気付いていた。




「知らなかったよ、知が夢追い人だったなんて」


 メイクアップアーティストになりたいのだという。しかも、タレントのメイクを手掛けるような。そのために尊敬するアーティストの通った学校に行くそうで、だから、上京するんだと聞いた。

 一週間前に。

 知はまた笑った。「そういう途方もないような言い方しないでよ」と不安さを垣間見せるような言葉を口にしながら、なんの不安もない表情で笑っている。「私の進路なんだから」

 僕の頭には枝分かれして二度と交わらない道が浮かんだ。知の進路は左斜め三十度に逸れて暗闇に沈んでいる。ゆるやかに劣化するように、僕らは互いを忘れていく、そんな枝分かれ。でも実は違っている。知は確かにゆっくりと僕を忘れていくに違いなかったけど、僕はずっと忘れられない。忘れられないどころか、日に日に知のことしか考えられなくなるだろう。

 だけど知は


「もう時間かな……。——愛架あいか


 知はそんなことなくて


「元気でね。」


 僕に依存などさせてくれない。



「——、——」



 電車の停まる音に知は甘い色の髪を翻して、こちらに背を向ける。

 やさしくみえるその背中がもう二度と届かないものだと僕は知りながら、言葉も動きも何一つ形にすることは出来ないまま立ち尽くしていた。

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