アゲイン

1 - アドマニッシュ

 魔法の薬があるんだよ、という言葉を聞いて、俺は約束されていた日が来たような気分になった。

 友人の風尋かざひろが少しやつれた顔に笑みを浮かべて、利き手を震わせながら指先に少量の白い粉が入った透明な袋を掴んで、ついと俺の目の前に突き出して。

 最近疲れてるだろ、生徒会長なんてやっちゃってさ、なんていう言葉の後にそう言った。

 その右手の震えが何によるものかは大体わかっていた。今よりももっと前から。けれど震えの要因はそれだけでもないだろう。

 俺は彼の手を袋ごと掴んで下に下ろし、少しだけ顔を近づけて「風尋、これ、麻薬だろ」と問い詰めるというよりは言い聞かせるように聞いた。目が泳いでいるのは先ほどからのことだったが、俺が口にした言葉にさらに瞳は面積を広げて眼窩を彷徨った。

 乾いた唇から、固い笑みを浮かべつつも動揺しきった声で否定の言葉が聞こえてくる。けれど、それすら肯定しているのと同じだ。


 ずっと学校に来ない風尋を見舞い続けていた俺が、最初に彼の異変に気付いたのは先月のことだった。

 もともと不登校なのも体調不良なんかが原因ではなく、学校という集団生活を強いる環境が彼に合わなかったというだけのことで、家族関係も上手くいってない風尋は酒に手を出し煙草に手を出しその量は日に日に増えていた。

 学校にあまり来なくなったのは一年生の二学期の頃から。なんとか進級したけれど二年生になってからは殆ど来ていない。夜遊びも増えたし、あまりよくない連中とつるんでいたのも知っている。

 けれどある時期を境にあまり外へ出なくなった。その頃から煙草の量が尋常でないほど増えて、そのあとぱたりとなくなった。それが先月。

 そして一週間前、学校をやめた。

 それでも毎日風尋のもとを訪れていたのは、このことが気に掛かっていたからだった。


 風尋が掴まれた手を振り解こうとするので、さらに力を込めて、視線を合わせるように促した。覗く瞳は焦点が合っていない。


「ただの薬だって。ほんとにいい薬なんだよ。疲れが飛ぶよ、やる気も出るし。嫌なことも全部忘れるんだ。なあ観朋みとも、ちょっとだけやってみろって」


 歪んだ表情でそう言葉を並べていくのを俺は黙って見ていた。見つめながら、以前の風尋はこんなに饒舌じゃなかったなと考えた。

 何も言わない相手に不安を感じたのか、彼は明らかに怯えた顔に変わって、なあ、と必死に言葉を続ける。


「観朋、俺達、友達だろ」

「……」


 掴んだ手から袋を抜き取った。


「風尋。…もうやめろよ。」


 言って、薬をポケットに突っ込む。嫌に軽い粉は袋を開けば何万人もの人間が死ぬ気がした。

 風尋が慌てて俺の手を追うから、その手も掴むと風尋は何か喚きながら暴れた。それもいったん落ち着くと、今度は縋るような目でこちらを見てまた叫ぶ。


「頼むよ観朋! 友達だろ! 一緒にやってくれよ、なあッ!」

「風尋」

「頼むよ…! 気持ちいいから、大丈夫だから…!」

「風尋、落ち着け」


 だんだん彼の足の力が抜けていることが分かった。ゆっくり床に下ろしながら、頼むと繰り返す友人を宥める。ぱたりと音がして、フローリングに涙か何かが落ちるのが見えた。

 もう全然『大丈夫』でないことは見ていて分かっている。俺が手を放すと、風尋は体を丸めて咽んでいた。

 昔の風尋は、こんなんじゃなかった。泣いたり、喚いたり、人に縋ったりするような人間じゃなかった。たとえ本当はそれを望んでいたとしても、現実にやるほど弱くなかった。

 少し離れた位置にある自分の鞄の中から白い箱を取ってきて、開封して、箱を開けてから風尋の前に持っていく。一度名前を呼ぶと、泣き声を止めてそろりと頭を上げた。

 一本、それを差し出す。


「煙草。お前、この銘柄好きだっただろ」

「……」

「大変だったんだからな、手に入れるの。俺の親、どっちも吸わねぇし」


 唾で湿った唇に差し込んで、机の上、アルミホイルの隣にあったライターをとって火をつけた。

 多分どこも見ていない伏せられた目から、すっとまた涙が落ちる。泣く呼吸と一緒に煙草の煙が肺に呑まれていくのがなんとなく分かった。


 煙草で、やめとけばよかったんだよ、お前は。


 汚い顔を眺めながら、呟くように静かに心の中で言葉を紡ぐ。届かないだろうしもう遅い話だけれど、けれど切実に、俺はそう願っていた。

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