第69話 代償

 あの後。目を覚ました後に医者から聞かされた話が本当なら、僕の左腕はほぼ機能していないとの事。刺さったガラスの破片で傷付いた内部が、もう修復不可能なまでに損傷しているらしい。治療出来るかもしれないが、多額の金と膨大な時間を使って得られるものが【日常生活に少し不便が生じる】程度。




 治療をするか、このままでいるか。決めるのは僕自身だと言われたので、僕はこのままを選んだ。




 確かに左腕が使えないせいで生じる不便さはあるだろう。だが、この左腕をこのままにしておく利点はある。これは僕の友人である木村君を守った証。僕と木村君との思い出だ。その利点を考えると、左腕が使えなくなった程度だ。




 それから一ヶ月後。左腕から包帯がとれた。痕は大きく残っているが塞がっている。試しに指を動かそうとしてみたが、左肩手前で詰まったような感覚があった。無いはずの部分を動かそうとしている感じだ。




「……悪かったな……俺のせいで、そんな風になっちまって……」 




「君が謝る事じゃないさ。わざわざ体当たりで窓を割りにいった僕が悪い。次にやる時は、厚い革のジャケットを着ておかないとね」




「へっ……お前には似合わねぇよ」




「それで? 今日の午後だったっけ? 祖父母の家に引っ越すのは」




 僕が病院に籠っている間に、木村君はかなり忙しかったそうだ。母親が殺人未遂で逮捕。父親は仕事を辞めて家を売り払い、頼みの綱である祖父母の家へと引っ越す事を決めた。




 そして今日の午後、木村君は祖父母の家に引っ越してしまう。命懸けで守ったはずなのに、遠くに行ってしまうなんて、少しやるせなさを感じてしまう。 




「田舎に引っ越すんだよね。君に似合ってるよ」




「俺が田舎者だって言いたいのか?」




「まぁ、見た目や性格だけで判断するなら」




「…………ヨシッ! 耐えた! 俺偉いぞ!」




「素晴らしい成長だね。そうやって怒りや暴力を抑えていけば、君はきっと良い男になれるよ」




「いや、でも、せっかくだし」




 そう言うと、木村君は僕の顔を思いっきり殴った。自分を守ってくれた相手に対しても自分本位な彼は、やっぱり木村トオルだ。痛いはずなのに、不思議と悪い気はしない。




「良いパンチだった。でも、それを味わうのも今日までか……」




「……清々したか?」




「どうしてそうなるのさ」




「だって、俺殴ったんだぞ? 暴力を振るわれて嬉しい奴は、いないだろ」




「確かにそうだね。殴られたり蹴られたりして嬉しがる人間は少ない。僕だって嫌さ。でも、君に殴られるのは良いんだ。そんな奴だと知って尚、君に対して怒りや悲しみを覚えないからこそ、僕は君を友人として定めているんだ。要するに、この程度で友情にヒビが入る程、僕は君を軽んじていないって事だ」




「……やっぱり、お前って未来人だな。何言ってるか全然分かんねぇ」




「アッハッハッハ! それでこそ木村トオルだ!」




 僕が笑っていると、木村君もそれに合わせるように笑い出し、そしてすぐに心から笑ってくれた。別に面白い事を言ったわけじゃないのに、笑いが止まらない。木村君のそれとは違い、僕の笑いは、寂しさを隠す臆病な笑いだ。




 互いに笑い疲れるまで笑い合うと、僕達は顔を見合わせ、固く握手を交わした。




「また会おうぜ! ハルト!」




「もちろんだ。すぐ会いに行くさ」




「おし! じゃあ俺の家に来たら、スイカ割りしようぜ! もう少しで夏休みだろ! 手紙で住所とか教えるからさ、絶対来いよ!」




「交通費は?」




「知るか! ダッハハハ!!」




 この会話を最後に、木村君は去っていった。見送りには行かなかった。またすぐに会いに行くから、必要なかった。




 これで、僕は本題に向き合える。




「……姉さん。入ってもいいかな?」




 鍵が掛けられた扉から訊ねても、姉さんからの返事は無かった。僕が病院で目を覚まして以来、姉さんと顔を合わせた事が一度も無い。




「姉さん。改めて姉さんにお礼が言いたいんだ。姉さんのおかげで、僕の大切な友人の命を守る事が出来た。だから、ありがとう。それから……心配かけて、ごめん。もうあんな無茶な真似はしないよ」




「……」




「とにかく、姉さんには感謝してもしきれないよ。お礼といっては価値が無いけど、姉さんの願いを一つ叶えるよ。僕なんかじゃ、大した願いも叶えられないけどさ……それじゃあ、おやすみ」 




 口を閉ざして数秒後、僕は慎重に扉に耳を当てた。扉の向かい側から、姉さんを感じる。姉さんも僕と同じように、扉に耳を当ててるようだ。




「ハルト」




「……」




「ハルトは私が守るから。だから、ハルト。もう、私から離れないでね」




 扉越しに聞こえた姉さんの声は、扉を隔てているとは思えない程、鮮明に聞こえた。




 だからこそ、暗く威圧的なその声色に不安を覚えてしまった。  

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