第55話 カミングアウト

 久しい帰りの会を終え、下駄箱で外靴に履き替えて帰ろうとした矢先、校門に姉さんが立っていた。少し足を速くして歩いていくと、姉さんは心配を含んだ笑顔で僕を迎えた。




「姉さん。僕なんかの為にわざわざ来てくれたの?」




「今朝から少し様子がおかしかったから心配で。何もなかった?」




「ない。心配しなくても、僕は僕だよ」 




「……そういう所を心配してるんだけど」




 姉さんは手に下げていたカバンを肩に掛けると、僕の右手を握って帰路についた。こんなにも慈愛に満ちた姉さんが、僕が中学に上がると罵詈荘厳を浴びせてくるようになるなんて信じられない。いや、高校生の姉さんも良い所は山ほどあるけど、優しさに関しては圧倒的に今が圧勝だ。




「姉さん。姉さんの部屋って、僕入った事あったっけ?」




「突然どうしたの? えっと……あれ? もしかしたら、一回も無いかもね」




「今日入ってもいい?」




「へっ!? ど、どうして……?」




「いや、ただ単に気になって」




「お、女の子の部屋には簡単に入れないんだよ~?」




 あ、もうあの部屋になってるのか。そりゃ、僕のグッズ擬きだけであんな量になるわけだ。




「ねぇ、姉さん」




「今度はどうしたの?」




「姉さんは好きな人っている?」




「え~。言うのちょっと恥ずかしいな~」




「いるんだ」




「まぁね。私、中学生だし。好きな人がいるのは当然よ。ハルトも小学校を卒業したら、きっと好きな女の子が出来ると思うよ」




「僕は姉さんが好きだからいいよ」




「そっか~、私が好きなんだね~」




 弟と姉の範疇での好きだと解釈したのか、姉さんは僕の好きを軽く受け止めた。この時の姉さんは、僕以外の誰かに恋をしてたのだろうか。だとしたら、なんかムカつくな。




「……え? 私が好きなの?」




「え? うん」




「そ、そっか。そうか~! 私が好きか~! そっかそっかそっか~!」




 前言撤回。姉さんは姉さんだった。




「ねぇねぇ! お姉ちゃんの何処が好きかな~?」




「髪と眉と目と鼻と唇と顎と耳と首と肩と腕と胴と腰と足と指と爪と匂いと息と温かさと冷たさと声と反応と肌と感触と―――とにかく好き」




「フッフッフ! まぁ? 私だし? 好きになってしまう所なんて数え切れない程あるよね~!」




「まだ若いね、姉さん。高校生の頃になると、それが当たり前の事だと自覚してたのにさ」




「高校生? 私、まだ中学だけど?」




「分かってるよ。僕が言ってるのは、未来の姉さんの事。僕が中学生になるとさ、姉さん凄く性格が悪くなって、僕に酷い言葉ばかり言うんだ。そのくせ、僕がキスするとされるがままになるし。僕の好意を避けようとするし。まぁ、先に避けたのは僕の方なんだけど」




「そんな風にならないから安心して。私はハルトに酷い言葉なんか使わないから」




「そんな風になるんだよ。残念だけどね」




 家に着くと、両親はまだ帰ってきていなかった。時刻は十六時過ぎ。学生カップルのような二人だけど、根っからの仕事人間だ。会社に泊まるのが基本で、家に帰ってくる日は夜の二三時過ぎに酔っぱらって帰ってくる。改めて考えてみても、親らしさの欠片も無い。それは承知の上で、二人が頑張ってくれるおかげで、僕達は不自由ない暮らしが出来るのだから感謝してる。




 自分の部屋に入るなり、ランドセルをベッドの上に放り投げた。今の僕は、体こそ小学生でも、心は中学生だ。ランドセルを背負うのが恥ずかしくて仕方なかった。あの黄色い帽子を被らなくていいのはせめてもの救いだな。




 机の椅子を引き、座って考えた。僕はどうして過去の僕に乗り移るような目に遭っているのか。直近の消えた記憶に、どんな真実が隠されているのか。そもそもこれは現実か夢か。




 時計の針が十七時を指しても、謎は謎のまま頭の中に棲みついている。




 もし、僕の人生が映画やアニメのようなものなら、過去に戻ったのは何かを改善する為だろう。悪役の計画が実行される前に止めるだったり、より良い現在を作る為に過去の一部分を変えたり。僕のような平凡な人間にそんな大義があるとは思えないけど。




「……まぁ、まだ初日だ。それに過去に戻っても姉さんがいるんだ。なら、何の不満も無いな」 

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