第30話 過去の共鳴、未来への調律

アトリエ「ノクターン」は、静かな闘志に満ちていた。再開発会社への明確な拒否の姿勢を示した彼らは、NPO団体の支援を得て、アトリエの存続をかけた本格的な活動を開始した。和泉 律の「音」は、この「路地裏のコンチェルト」を率いる確かな旋律となり、彼の心の中にあった「見えない音符」は、今や力強い存在感を放っている。


SNSでの発信に加え、NPOの仲介で、アトリエの活動は複数のローカルメディアに取り上げられた。新聞記事や地域情報誌の特集は、この路地裏にある小さなアトリエが、単なる古い建物ではなく、若者たちの「居場所」であり、文化的な発信地であるというメッセージを、広く社会へと届けた。


**星宮 灯(ほしみや あかり)**がデザインしたウェブサイトには、連日、全国各地から応援メッセージが寄せられた。クラウドファンディングの支援額も着実に伸び、彼らの活動が、多くの人々の共感を呼んでいることを示していた。灯は、パソコンの画面に映る応援メッセージを、目に焼き付けるように眺めている。人々の温かい言葉が、彼女の「沈黙の音色」に、確かな光を与えているようだった。


**瀬戸 美緒(せと みお)**は、NPOの紹介で、複数の地域イベントに彫刻を出展するようになった。彼女の作品は、その力強さと繊細さで、多くの人々の心を捉えた。イベント会場で、自分の作品の前で足を止める人々を見て、美緒の表情は、以前にも増して穏やかになった。彼女の「砕けた破片の歌」は、もはや過去の痛みを嘆くものではなく、未来への希望を歌い上げる確かなメロディへと変化していた。


**風見 拓人(かざみ たくと)**は、アトリエのテーマ曲が、音楽配信サイトで予想以上のダウンロード数を記録したことに驚きを隠せない。ライブハウスでの演奏依頼も増え、彼は再びステージに立つ喜びを感じていた。拓人は、律のピアノに合わせ、新しいアレンジを試したり、即興で新たなフレーズを生み出したりするようになった。彼の「弦の軋む音」は、過去の傷跡を示しながらも、今、生き生きとした音楽となって、アトリエ全体を鼓舞している。


律は、彼らの活動を支えながら、自身の成長も感じていた。人前で話すことや、積極的に行動することにも、少しずつ慣れてきた。しかし、彼の心の中には、まだ、拭いきれない影があった。それは、大学の音楽サークル「月蝕の庭」での、あの苦い経験だ。


ある日の午後、アトリエに一人でいた律は、昔の音楽雑誌を手に取っていた。そこに載っていたのは、「月蝕の庭」がコンテストで優勝した時の記事。写真には、輝くような笑顔の藍が写っている。そして、その横には、自信に満ちた表情でギターを抱える、かつての自分の姿。


律は、その写真を見て、胸の奥がチクリと痛んだ。あの頃の自分には、確かな「音」があった。しかし、その「音」は、完璧を求めるあまり、いつしか彼自身を縛り付け、最終的には心を壊してしまった。


その時、アトリエのドアが開き、**佐倉 結月(さくら ゆづき)**が入ってきた。律が手元の雑誌を隠そうとすると、結月は優しく微笑んだ。

「その雑誌、私も見たことあるよ。和泉くんが『月蝕の庭』にいたって、おじいちゃんから聞いたから」


律は、結月の言葉に戸惑いを隠せない。自分の過去を、彼女は知っていたのか。

「僕…あの頃は、完璧な音を出すことしか考えてなくて…それが、僕をダメにしたんです」律は、絞り出すように言った。


結月は、律の隣に座ると、静かに彼の言葉に耳を傾けた。

「でも、和泉くんは、もうあの頃の和泉くんじゃないでしょう?今の和泉くんの音は、全然違うよ。不器用だけど、優しくて、温かい。みんなの音を、ちゃんと聞いて、繋げようとしてる」


結月の言葉は、律の心に深く染み渡った。彼がこのアトリエで見つけたものは、完璧な音を求めることではなく、それぞれの不器用な「音」を受け入れ、共に響き合わせることだった。過去の経験は、彼の「見えない音符」を形作る上で、確かに存在した。しかし、今、彼の「音」は、過去の傷を乗り越え、アトリエの仲間たちと共に、新たな未来を調律しようとしている。


「和泉くんの過去の音も、今の音も、全部、和泉くんの大切な音だよ。そして、その音が、今、ここで、みんなの音と共鳴してる」


結月の言葉は、律の心を温かく包み込んだ。過去の痛みと、今の希望。その全てが、彼の「音」となり、この「路地裏のコンチェルト」を構成する大切な一部となっているのだ。アトリエの窓から差し込む夕日が、律の横顔を、静かに照らしていた。


続く

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