第2話:禁断の映像と拡張する力

学会の重苦しい雰囲気から解放され、夜の冷たい空気が二人の火照った頬を撫でた。


大輔の胸には、敗北の苦さと、レイナという予期せぬ理解者を得た高揚感が入り混じっていた。



「私のラボへ来ない?面白いものを見せてあげる」


レイナの誘いは、有無を言わせぬ響きを持っていた。



彼女の運転する静かな電気自動車が滑り出した先は、湾岸地区にそびえる無機質な高層ビルの地下深くに隠された、秘密の聖域だった。



金属製の重厚な扉が開くと、そこはまるでSF映画から抜け出したかのような空間だった。



ホログラフィックディスプレイが宙に浮かび、壁一面には複雑怪奇な回路基板が剥き出しで埋め込まれ、青白い光を明滅させている。


「すごい…」大輔は子供のように目を輝かせた。

「ここが君の研究室か」


「表向きは、次世代AI用の量子コンピュータ開発施設よ。

でも、本当の目的は別」


レイナはメインコンソールを操作し、壁面の一つに巨大なスクリーンを映し出した。


そこに現れたのは、ノイズの走る、古びたビデオ映像だった。


「これは『ハチソン効果』と呼ばれる、一連の超常現象を記録した禁断の映像。

物理学会ではオカルトとして一蹴され、闇に葬られた記録よ」


映像の中では、信じがたい光景が繰り広げられていた。

重い鉄の塊が、まるで意思を持ったかのようにふわりと宙に浮く。


それだけではない。


木製の机がゆらりと透けて向こう側が見え、スプーンがアルミブロックにバターのように溶け込んで一体化し、鋼鉄の柱がねじ切られたように無残な姿を晒している。



「…なんだ、これは…」


「発明家のジョン・ハチソンが、テスラコイルとヴァン・デ・グラーフ発電機を使った超高電圧実験中に偶然撮影したものよ。

多くの科学者はこれを巧妙なトリックだと言って切り捨てたわ。

でも、大輔君、あなたならどう見る?」


大輔は、スクリーンに映し出される混沌とした現象から目を離せずにいた。


彼の脳内で、理論の歯車が猛烈な勢いで噛み合っていく。




「トリックじゃない…! これは、本物だ!」




大輔は確信に満ちた声で叫んだ。


「もし世間を驚かせるための偽物を作るなら、誰もが『反重力』と聞いてイメージする『物体の浮遊』だけで十分なはずだ!

机が透けたり、金属が融合したりする映像をわざわざ作る意味がない。

そんなものを見せても、誰も反重力だなんて思わないからだ!

この意味不明な現象の数々こそ、我々がまだ知らない、本物の反重力が持つ未知の性質そのものなんだ!」



レイナは満足げに頷いた。

「私もそう思う。そして、あなたの理論がその謎を解く鍵になる」



大輔は、興奮に震える声で続けた。

「僕の理論では、反重力は空間の『減速縮退』に反発して生まれる『拡張する力』!

重力が原子を内側に引き締めるのとは逆に、反重力は原子や分子の結びつきを緩め、引き離そうとする!

だからこそ、原子間に隙間が生まれて物体は透け、分子間力が弱まって異種金属でさえ融合し、さらに強力な反重力下では、物質そのものがその構造を保てずに崩壊するんだ! 映像の鉄柱がそれだ!」


二人の天才の思考が、一つの真実へと収束していく。

それは、身震いするほどの快感だった。



「素晴らしいわ…」

レイナは恍惚とした表情で囁くと、今度は彼女が未来のビジョンを語り始めた。


「その『拡張する力』を制御できれば、世界は変わる。

弱い反重力で原子の隙間を広げれば、人体を切開せずに内部を透視できる究極の医療スキャナーが生まれる。

強力にすれば、岩盤さえ液体に変えてしまう無振動シールドマシンが、都市の地下を縦横無尽に駆け巡る。

そして、私たちの船を守る『盾』も…」


彼女はコンソールを操作し、宇宙船の設計図をホログラムで投影した。


「船体の外側に強力な反重力場を展開する。

飛び込んできた宇宙デブリや敵の砲弾は、その『拡張する力』によって原子レベルで分解され、脆くなって砕け散る。

さらにその内側、装甲の表面に0G空間を作り出せば、砕けた破片が衝突しても、運動エネルギーは破壊に使われず、完全弾性衝突によって弾き返される。

完璧な『防御シールド』よ!」


それは、宇宙という危険な海を航海するために必須の技術だった。

大輔の理論とレイナの技術が組み合わされば、夢物語が現実になる。



だが、レイナの表情がふと曇った。「一つ、問題があるの」


彼女は言葉を切ると、重々しく告げた。


「ハチソンは二度とこの現象を再現できなかった。

そして、彼の実験装置は…何者かによって破壊されたのよ」



大輔の背筋に冷たいものが走った。単なる事故ではない。

この真理に近づこうとする者を、妨害し、歴史の闇に葬り去ろうとする、見えざる敵の存在。


それは、旧態依然とした物理学の権威か、あるいは、この技術を独占しようとする巨大な権力か。


しかし、二人の瞳に宿る炎は、もはや消えることはなかった。

むしろ、障害の存在が、彼らの闘志をさらに燃え上がらせた。


「上等じゃないか」大輔は不敵に笑った。

「誰が相手だろうと、僕たちは真実を掴む」


レイナもまた、決意に満ちた笑みを返す。

彼女は壁に向かって歩き、巨大な防塵シートに手をかけた。


「彼らが邪魔するのなら、私たちは彼らの想像を遥かに超えるものを作り上げるまでよ」



シートが引き剥がされると、その向こうから姿を現したのは、地下の研究室の半分を占めるほどの巨大な球形の装置だった。

複雑に絡み合った極太のケーブル、磨き上げられた金属の輝き、そして中央に鎮座する、人の背丈ほどもある巨大なテスラコイル。


それは、ハチソンの実験装置など、まるで子供のおもちゃのように見えてしまうほどの、圧倒的な威容を放っていた。




「さあ、ここからが本当の冒険の始まりよ、大輔君」



レイナの瞳が、装置から放たれる青白い光を受けて妖しく輝く。



人類の未来を賭けた、二人の異端者の挑戦が、今、静かに始動した。



////


 ※質量と重さ:質量は、物質そのものの性質(…主に電子軌道サイズによる)であるため原則として不変であるが、重さは、周囲の環境(…重力の強さ)により変化する。つまり、重力がない=0Gの場合は、質量がいかほどであっても、運動エネルギー的には0となる、すなわち、衝突しても運動エネルギーが現象しない完全弾性衝突となる。

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