新説・宇宙冒険活劇『グラビティ・サーガ』

宇宙大輔

第1話:重力の鎖を解き放て

漆黒のビロードを思わせる静寂が、権威という名の重たい空気となって、国際物理学会のホールを支配していた。


居並ぶは、白髪を蓄え、その分野の頂点に君臨する碩学たち。

彼らの視線は、冷ややかな探究心、あるいは単なる退屈を乗せて、ただ一点、壇上に立つ若き挑戦者に注がれていた。




その男の名は、宇宙 大輔(そら だいすけ)。

年は三十に届かぬほどであろうか。


しかし、その瞳の奥には、古の星々から降り注ぐ光を集めたかのような、深遠なる知性の輝きが宿っていた。


彼は、この世界の根源を縛る「重力」という名の巨大な鎖に、たった一人で挑もうとしていたのだ。





「皆様、アインシュタインの思考実験をご記憶でしょうか」




大輔の声は、張り詰めた静寂の中を、一点の波紋のように広がっていった。



「地上に静止したエレベーターと、宇宙空間を1Gで加速し続けるエレベーター。

中にいる人間は、その二つを区別できるか。アインシュタインの答えは『否』。

つまり、重力と加速度は本質的に同じものであると彼は喝破したのです」



聴衆の一部から、何を今更、という微かなため息が漏れる。



だが大輔は臆することなく、その声に熱を込めた。



「しかし、私はこう考えました。

区別ができないのであれば、それはすなわち、重力イコール加速度なのではないかと!

我々は得体の知れない重力の亡霊を追いかける代わりに、宇宙に満ちる『加速度』を探し出せばよいのです!」





ざわめきが大きくなる。


若き異端者の大胆な発想に、戸惑いと侮蔑の色が混じり合う。





「そして、その加速度は、既に発見されている!

ハッブルが観測した、あの偉大なる事実…『宇宙は加速膨張し続けている』!

これこそが、重力の正体なのです!」



ホールに衝撃が走った。

それはあまりに壮大で、あまりに単純な結論だった。


大輔は、まるで壮大な交響曲を指揮するかのように両腕を広げ、言葉を続けた。



「想像してください。

原子核の周りを電子が周回している。

しかし、その舞台である空間そのものが、この瞬間にも風船のように膨張し、しかもその速度を増しているのです。

電子が一周して戻ってきた時、そこはもはや元の場所ではない。

軌道は僅かに外側へとずれているのです!」




彼の言葉は、聴衆の脳裏に鮮やかなイメージを喚起させた。




「電子は、その(波動の)ズレを修正しようと、必死に内側へ、原子核の中心へと軌道を戻そうとします。

しかし、空間の加速膨張は止まらない。

終わりのない軌道修正の連続…この、絶え間なく内側へと引き込もうとする力の連続こそが、我々が『重力』と呼ぶものの正体なのです!」



さらに彼は、質量の謎にも斬り込んだ。



「原子には、あらゆる方向から内側へ縮もうとする力が働いています。

だからこそ、外から動かそうとすれば、反対側にある『縮もうとする力』が抵抗となる。

この抵抗こそが『質量』として我々に認識されているのです!」



それは、宇宙の四大要素である時間、空間、質量、重力を、「宇宙の加速膨張」というたった一つの現象で説明し尽くす、神をも畏れぬ理論であった。


だが、その時。


最前列に座っていた、この学会の最高権威である白眉の老教授が、杖で床を突き、冷ややかに言い放った。





「実に面白い。

まるで出来の良いサイエンスフィクション小説ですな、宇宙君。

だが、ここは物語を語る場所ではない」



その一言が合図であったかのように、ホールは嘲笑の渦に包まれた。



壇上で孤立する大輔。

彼の理論は、権威という名の分厚い壁の前に、脆くも砕け散ったかに見えた。





悔しさに唇を噛み締め、彼が壇上を降りた、その時だった。





「あなたの理論、鳥肌が立つほど面白かったわ」




凛とした声に振り返ると、そこに一人の女性が立っていた。


しなやかな身体を包むスーツ、理知的な眼鏡の奥で輝く瞳。

彼女は、天才的な腕を持つ若きエンジニア、梓(あずさ)レイナ。

最先端技術開発の分野で、その名を知らぬ者はいない俊英だった。



レイナの目は、並み居る碩学たちが見過ごした、大輔の理論の奥に眠る途方もない可能性を正確に見抜いていた。

彼女は、悪戯っぽく微笑みながら、囁くように言った。


「加速膨張が重力だというのなら、その逆…空間の『減速縮退』を人工的に作り出せば…」



大輔は、はっと息をのんだ。

彼の思考を、彼女は完璧に理解していた。



「…そう、反重力だ」


二人の視線が、運命的に交錯する。


一人は、宇宙の理を解き明かす鍵を持つ者。

もう一人は、その鍵を使い、星々の海へと至る扉を開く技術を持つ者。


人類を、生まれ故郷の重力という見えざる鎖から解き放つための、長く、そして想像を絶するほどに険しい冒険が、今、この瞬間、静かにその幕を開けた。


彼らの前には、人類の夢と、そしてその夢を打ち砕こうとする巨大な闇が、口を開けて待ち構えていることを、二人はまだ知る由もなかった。


////


 ※碩学(せきがく):学問が広く深く精通している人

 ※原子核の周りを電子が周回:観測上は確率分布でしか表現できないが、実態として電子が「波動」の形で原子核を包むような球形状の振動をしている(と大輔は考えている)

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