東風編
序奏
木々の間から差し込む、虫食い模様の朝日。遠くでは、鳥のさえずりが聞こえる。
「ふぅ……」
あの日からもう2、3カ月経ったらしい。だけど、僕にはそんな実感がわかない。木材で作った、手の平サイズの器に水を汲む。そして、元来た道を戻る。
「水月さーん!水汲んできましたー!」
ここに来てからはいつも水を汲みに行くことから、朝が始まる。ここに来て約3カ月。正確には…87日ぐらいだろうか。
「ありがとう…」
水月さんはいつもこんな調子だ。あの手紙を読んでから、ずっと気だるそうにしている。それほど、あの日が衝撃的だったのだろう。僕も今からでも思い出せる位、脳裏に焼き付いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「御神子様が‼誰か早く!」
「その前に火を消せ‼」
「待て!逃亡者がいないぞ‼」
これが薫風さんの言っていた「混乱に陥る」状態だとは、容易く理解した。すぐに山を下り、向かいの山へと駆けてゆく。以外にも向かいの山は遠く、途中何回も息切れを起こした。
「だ、誰?」
その言葉を聞けた頃には、もう辺りは暗くなっていた。
「薫風さんから、手紙を預かりました」
「薫風から?……って、あれは何?!」
水月さんの指先が指す方向へと、反射的に顔を向ける。指は、丁度集落の方へ向いていた。
「え?」
鉛丹色に染まった山。辺りが日没ごろと変わらぬほどに明るい気がした。集落が、燃えている。風の民の集落だけでなく、水の民の陣地までも炎は広がっていた。
「薫風は…どこ?」
再び水月さんの方へと振り向くと、動揺している双眸が伺えた。
「分かりません。でも、手紙は預かりました」
肩から下げていた小さな袋から、手紙を抜き取る。小さく折りたたんだままの状態で、水月さんに渡す。無言で受取り、無言で折り目を広げた。
「……」
瞳からさっきまで輝いていた光が消えたかと思えば、手紙を静かに細かく、破り捨てた。
「…この手紙、燃やして……」
そう言ったかと思えば、丸太が並べられた床のようなところに座り込んだ。
「手紙を、燃やす」
薫風さんから頼まれたことは終えた。でも、兄については何も聞けていない。
「あの、聞きたいことがあるのですが…」
「……」
答えてはくれなさそうだ。仕方ない、帰るか……って、ん?僕が住んでいた集落は、今燃えている。皆はどこにいるのか分からない。それに、集落が混乱に陥っている状態に、一人冷静に山を下りる者がいたとしたら…。なんか、怪しい奴になってる気がする。しかも、薫風さんの小屋の鍵の管理も僕だし…。
「あっ…詰んだ」
残されたのは笛と破られた手紙に、破った張本人の水月さん。しかも、笛は薫風さんから預かった水の民の物しかない。自分の笛は忘れてきた。水月さんは無気力状態。…終わった。そよ風を感じながら、絶望感に浸っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あれから3カ月。あの日から、現状は大きく変化した。まず、風の民と水の民で争いが起こった。山火事を起こした責任を取れ、これが水側の主張。山火事の時に水神を呼び出さないとはどういう意味だ、これが風側の主張。
「水月さん、そろそろ兄について教えてください」
「…ごめん」
いつも通りの質問に、いつも通りの返事。最初の頃はこの先が見えなくて泣いた夜もあった。でも、今はもうそんなことない。慣れてしまった。
「そうですか…」
朝の習慣を終えた後は、山菜探しや下流にいる魚を採ったりしに行く。食料がある程度集まったらこの小屋へと戻り、山の下にある村から貰った鍋などを使って料理する。昔から猫を被るのが得意だった僕は、村の人にすぐ気に入られた。
「おっ!こっちゃんとこ、今日も魚にすんべか?」
中でも一番可愛がってくれているのは、この正二という人だ。沢山物をくれるので、僕もこの人の前では一層愛想が良くなる。
「正二君!そうなんだよ~今日も魚」
「そうだべ?んじゃぁ、今度、オラんとこでとれた野菜余っとぉからよぉ、分けたらぁ」
「え?良いの?助かるよ‼ありがとう、正二君‼」
二人で釣りをした後、水月さんの待つ小屋へと帰る。毎日休むことなく沈む太陽を横目に、山道を上る。
「水月さん、帰りました」
「…うん」
こうやって返事をしてくれるだけマシな方だ。初めの頃は無視ばっかりされてたなぁ…。
「さてと」
自分の愛想パワーで、建設するのを村の人に手伝ってもらった小屋の中へ入る。貰い物や欠陥品ばかりだけど、一応生活に必要な物はそろっている。鍋やカマドもあるので、食べ物には困っていない。
「水月さん、ご飯置いときますね」
ご飯を食べた後は、薄暗い小屋の中であの日拾い集めた手紙の修復をしている。といっても、パズルみたいに並べるだけだけだ。薄暗い中、細かく破られた手紙を修復するのは難しい。でも、内容が知りたかった。
「これは…ここか?」
水月さんにもバレないよう直していた。燃やせと言われた手紙だ。見つかった時にはこの手紙をぐちゃぐちゃにされるに決まってる。
「……」
今日で完成しそうな程には仕上がっていた。そのせいか、集中したいのに興奮してしまう。一体、何が書かれていたんだろう。
「……」
残りのピース数、1枚。ゆっくりとその切れ端を持ち上げ、長方形の形から台形を抜き出したような穴の部分へと運ぶ。
「出来た…」
3カ月間ずっと夢にも待った瞬間が来た。出来た!やっと手紙の内容を知れる!薄暗い部屋の中、3カ月前に書かれた手紙へ目を向ける。ロウソクの灯が、少し揺れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます