第五楽章
甘い香り。花みたいに甘い。花と言えば、花畑で誰かと遊んだ思い出が思い浮かぶ。そういえば、友達と呼べる存在が水月以外にいたかもしれない。あれは3歳の頃だったかな。その人との思い出はもうほとんど覚えてないが、花畑で遊んだ思い出は根強く残っている。確か、花冠を作り合っていた。懐かしい。
「お客様」
「そろそろお目覚めください」
思い出にひたっていたら、突然現実に引き戻される感覚を覚えた。
「水……月は?」
まだ眠気が残る。視界はぼやけ、霧の中に一人佇んでいるようだった。
「水月様は隣でお眠り中です」
キツネの面をつけた少女のうちの一人が答えた。それと同時に、視界がハッキリとしてきた。
「水……月」
「水を持ってきますね」
そういって、キツネの面その1が部屋を出て行った。引き戸ではなく、開くタイプのドアだった。キツネの面その2の方を見る。顔全体を覆うキツネの面ではなく、顔の半分を覆うキツネの面をつけていた。
「お客様、お目覚めください」
どうやらキツネの面その2は、水月を起こしているようだった。
「薫……風?」
「薫風様は隣でお休み中です」
キツネの面その1と私が交わした会話とほとんど同じ内容のことを、隣でもやっていた。
「薫……風」
「もうすぐで水が来ますので、お待ちください」
そろそろ起き上がれそうだ。ゆっくりと体を起こす。
「お客様、お目覚めですか?」
「あ、はい」
紺色の着物に顔半分だけ隠したキツネの面。やはり、襲って来た奴か。まだ油断は出来ない。腰のポーチに手を伸ばそうとしたが、先にキツネの面その2が手を伸ばしてきた。
「お客様の荷物はこちらです」
そう言って、ポーチを手渡してくる。……笛はちゃんと入っている。一応笛を構える。いつでも来い!
「あまりお騒ぎにならないでください。当宿泊施設に死体が出ては困るので」
つまり、私とあなたじゃ勝負にならないということか。キツネの面から少しだけ覗く瞳が、嘘ではないと語っている。仕方なく、笛を下ろす。
「ご理解いただき、誠にありがとうございます」
ペコリと頭を下げて言った。おかっぱの綺麗な黒髪が揺れた。
「お客様、失礼します」
扉が開く。木製の扉だが、建付けが良いらしく、音もなく開く。
「お水をお持ちいたしました」
水の入った湯呑と和菓子が添えられたお盆を机に置いた。キツネの面その1は、キツネの面その2と同じく、紺色の着物におかっぱの黒髪。唯一違う点と言えば、お面の種類だろう。顔全体を覆っている。
「うぅ――っと!」
隣で寝ていた水月が起き上がる。涎の跡があるのは、黙っておくことにする。
「水月様もお水をどうぞ」
キツネの面その2が言う。
「ありがとう」
水月が湯呑をとると同時に、その手を止める。
「薫風、どうしたの?」
「水に毒とか…何か入ってるかもしれない」
「えぇ!?」
ただでさえ、襲って来た相手だ。水、食べ物に何か細工がされていてもおかしくない。最悪の場合、毒が入っているかもしれない。
「薫風様、それは心外です」
「当宿泊施設では、お客様の安全を第一に考えております」
いや、拉致しといてその言い分はないだろっ!そうツッコもうと思ったが、キツネの面の下から覗く二人の瞳が、険しくなったのでやめておいた。
「お客様、ご存じですか?」
「後をつけられていたことに」
後をつけられていた?そんな感覚は無かったはず…。
「お客様の安全を考えると……」
「先ほどはあのような行動をとるしかなかったのです」
「でも、あんな強引にしなくても良かったんじゃないの?」
稲荷像の裏なんかに隠れないで、すぐに私たちに説明して連れて行った方が、一番私たちにとって安全な方法だったと思うんだけど。
「我々の姿を世間に見せることは出来ません。それに、説得するような時間もございませんでした」
そういうキツネの面その1。犯罪がらみの人たちをかくまう身としては、世間に姿をあまり見せたくないのだろうか。
「なので、少々手荒な真似になってしまったのです」
またペコリと頭を下げるキツネの面その2さん。また黒髪が揺れる。髪……髪を短くして変装しよう作戦は、失敗してしまったのかもしれない。
「その後をつけてきた人はどこに?」
「お客様として当屋敷に宿泊されている可能性がございます」
サラッと怖いことを口にするキツネの面その1さん。まさか、追手がここまでもう来ていたなんて。予想外の速さだ。
「お客様の安全を確保できていないのは、我らキツネ隠れの敷の恥です」
「どうぞ、他言なさらぬようお願い申し上げます」
二人同時に頭を下げる。ぴったりとシンクロしていた。でも、綺麗なお辞儀をされても私たちが安全になるわけではないし…。
「お詫びの品といってはなんですが」
「宿泊費は頂きません」
おぉ!それはすごい!なら、別にいいかもしれない…。
「薫風、命がかかってること忘れてないよね?」
我に返る。確かに、これは命がけの逃走なんだ。目先の利益だけで、自分を危険にさらすのは良くない。
「そのことについてですが、我々キツネ隠れの敷従業員全員で水月様と薫風様を」
「お守りさしていただきます」
決意にまみれた提案だった。私たちよりも強い用心棒に守られながら危険地帯に居るか、危険地帯から抜け出して隠れていくか。水月の方を見る。どうやら、水月はどちらを選択するかもう決めたようだ。
「「お願いします」」
水月と声が重なる。水月と同じことを選択でき、少し安心している。もし違う選択をしていたら、どうなっていたのだろう。
「では、お客様」
「我がキツネ隠れの敷宿主かつ、神主様に一度お会いください」
神主様…あの神社のかな。寝ていた布団から床へ立つと、まだ歩くのが不安定だと分かった。でも、私の足は止まらなかった。
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