《第十三章》天宮先輩との出会い

 あれからわたしと日高くんは、朝練も放課後の部活も個人で練習するようになった。

 同じクラスなのに、音楽準備室にくるのも別々だ。

 会話もなく、二人で黙々と練習している……。


 そんな五月十七日。金曜日の放課後。

(……ふう、こんな感じかな)

 スネアドラムをたたき終えたわたしは、教則本とバチを元あった場所にもどした。

(次は課題曲の練習をしよう!)

 スネアドラムの奥に置いていた譜面台を持って、シンバルの横に置いた。

 そして棚の中から楽譜を取り出し、譜面台の上に乗せる。

 それから、スタンドに立てかけていたシンバルを持って、楽譜を開いた。

(――わたし、思ったんだ。日高くんと元の関係にもどるには、曲の練習をいっしょけんめいやって、演奏できるようになって、そのがんばりを認めてもらうしかない! って)

 わたしは両手ですっとシンバルを構えると、楽譜の通りに演奏していった。

 何回も何回もくり返し練習してきた曲だ。

 ノーミスで演奏し終わってほっと息をはき出す。

(とりあえず課題曲の練習はここまでにしよう。――次は自由曲っ)

 わたしはシンバルをかたづけると、ページをめくって自由曲の楽譜をながめていった。

 自由曲で演奏するのは、グロッケン(鉄琴)とシロフォン(木琴)。

(楽譜の読み方は大体分かるけど……正しい楽器のたたき方が分からないな……)

 もちろん日高くんに聞くことはできない。

(あっ! そうだ。スマホ! スマホを使って調べてみよう)

 わたしは通学鞄の中からスマホを取り出した。

 スマホを片手に、窓際にあるグロッケンの奥に譜面台を置く。

 それからスマホでインターネットに接続し、グロッケンのたたき方を検索した。

(え~っと……あ! マレットを使った演奏法の記事が出てきた)

 わたしは記事を読みこむと、スマホをスカートのポケットの中にしまった。

 それから黒い台の上からマレットを二本取り上げる。

(持ち方は……親指と人差し指でつまんで、その他の指で支える。たたき方は……肘を支点にして、肘から下の腕を上下させてたたく、と……)

 マレットを持ってグロッケンの前にもどってきたわたしは、ためしにたたいてみた。


 ド、レェ、ミ、ファ、ソォ、ラ、シ、ドォ


 と高くキラキラした音が鳴る。

(音は出た、けど、何だか響きが不安定な気がする。何でだろ? ああ、やっぱり実際に教わりたいよ。どこがダメなのか、ダメ出ししてもらいたい!)

 こまったなぁと考えこんだ次の瞬間、わたしの頭にひらめくものがあった。

(そうだ! 天宮先輩って人が打楽器パートにいたはず)

 合奏の時にしかこないって話だったと思うけど、この先輩に教えてもらえないかな?

(どんな人かさっぱり分からないけど、とまどっていられないよね。日高くんと仲直りするためだもん! それに合奏の練習は二十七日からだから、それまでに自由曲を覚えなきゃいけないし。――うん、天宮先輩に教わろう!)

 わたしはマレットをグロッケンの上に置いた。

「ゴメン、ちょっと出かけてくる」

 と日高くんに声をかけると、音楽準備室を出て、東風谷先輩のところへ向かう。

 フルートパートの練習場所は、音楽室の大扉を出た先の廊下。

 イスにすわり、譜面台の上にある楽譜をながめていた東風谷先輩が、わたしに気づいた。

「東風谷先輩、少しいいですか? 聞きたいことがあるんですけど」

「大丈夫やで。――ゴメン、ちょっと外させてもらうな」

 東風谷先輩はフルートパートの部員たちに声をかけると、太腿の上に乗せていたフルートを持って立ち上がった。

 それから二人で、階段近くのだれもいない場所へ移動した。

「聞きたいことってなんなん?」

「ええと……日高くんから少しの間、個人で練習しようと言われてしまって、天宮先輩に打楽器のたたき方を教わろうと思うのですが、天宮先輩は三年何組ですか?」

 思いきって打ち明けると、東風谷先輩の表情がくもった。

「……宮っちのこと、日高っちから聞いたりした?」

「はい。打楽器奏者の天才で、楽譜を見たらすぐに演奏できるって聞きました。だから、合奏の時にしかこないって日高くんは言ってました」

「そやねん。宮っちホンマに合奏にしか興味あらへんくてな、教えてもらうんは難しいと思うねん。せやからオレが日高っちを説得して、小夜っちに打楽器教えたってほしいってたのんでみるわ。宮っちは人に演奏の仕方教えんの、向いてへんしなぁ」

 東風谷先輩の提案に、わたしの心がぐらりとゆれた。

 だけど、心の中でぶんぶんと首を横にふって、口を開く。

「――いえ、今のわたしには、日高くんに教わる資格はないと思うんです。だから天宮先輩のクラスを教えてください。先輩に教わろうと思います」

 わたしの決意を聞いた東風谷先輩が、すっとまじめな顔つきになった。

「そこまで言うんやったら教えるわ。宮っちは三年二組。寝んのが大好きで、いつもひと眠りしてから帰るから、多分まだ教室におると思う。オレもいっしょに行くで。部長として宮っち説得して、小夜っちの面倒見たってくれへんかってお願いしてみるわ」

(東風谷先輩……本当にいい先輩だな……)

 だけど今度はもう心はぐらつかなかった。

「いえ、天宮先輩に誠意を見せたいので、一人で行こうと思います」

 と言いきると、東風谷先輩が目を瞬き、それから優しいまなざしで言った。

「そっか……。分かったわ。せやけど、どうしようもなくなったらオレのことたよってな」

「はい! ありがとうございます。それじゃあ行ってきます」

「うん、行ってきぃや!」

 わたしは東風谷先輩に一礼すると、背筋をぴんとのばして三年二組の教室に向かった。


 三年生の教室は、校舎二階の西側にある。

 一年生のわたしが三年生の教室を訪れるのは初めてだ。

 廊下を歩いている生徒はいない。

 きっとみんな、部活に行ったか、帰宅したかしているんだろう。

(――あ、あった! 三年二組っ)

 わたしは大きく深呼吸すると、前側の扉からそっと中をうかがった。

 室内にはだれもいない……っていた!

 廊下側の前から二番目の席に、机につっぷしている男子生徒がいるっ!

(……天宮先輩……かな?)

 わたしは意を決して「失礼します」と言って教室に入った。

 男子生徒の左どなりに立って様子をうかがうと、すうすうと寝息を立てている。

「……すみません、天宮先輩ですか?」

 反応はナシ。気持ちよさそうに眠っている。

「あのっ、天宮先輩ですよね?」

 わたしはさっきよりも大きな声を出した。

 それでも……返事はナシ。

(こうなったら最終手段を取るしかない!)

 わたしはすっと両手を上げると、男子生徒の左肩をゆすった。

「――先輩、天宮先輩! 天宮先輩ですよねっ?」

「……うぁ、何、うるさいんだけど……」

 気だるげな声が上がって、わたしは手を引っこめた。

 男子生徒は左手で頭をかくと、ゆっくりと上体を起こした。

 うす茶色のくせっ毛がぴんぴんとはねている。

「ふあ~っ。…………キミ、だれ?」

 男子生徒は大きなあくびをしてから、わたしに向かって言った。

 うす茶色の目は、まだ開ききっていない。

 わたしはぴしっと姿勢を正して聞いた。

「あのっ、先輩は天宮先輩で合っていますか?」

「合ってるけど……何、キミ、後輩なの?」

 わたしは大きくうなずいた。

「はい、そうです。小夜美波って言います。吹奏楽部の打楽器パートの一年です!」

「ふうん、そう……。んで? 何しにきたの?」

 天宮先輩が両手で目を擦りながら言った。

「あのですね。天宮先輩に打楽器の演奏法を教えてもらいたくて、きました」

 かしこまって言うと、天宮先輩の眉が寄った。

「イヤだよ。面倒くさい。一年生くんに教わってよ」

 一年生くんっていうのは……日高くんのことだろう。

「それが……わたし日高くんとギクシャクしてて、教わる相手が先輩しかいないんです」

「そうなんだ。大変だね……。でもボクは今、眠いわけ。分かる?」

「わ、わか……分かりませんっ!」

 わたしは天宮先輩に食いついた。

(ここで引き下がるわけにはいかない!)

 すると天宮先輩は「ふわぁ」と再び大きなあくびをした。

「……話の通じない一年生ちゃんだねぇ」

「わたし、どうしても打楽器のたたき方を教えてもらいたいんです。初心者なんですっ。どうかわたしに自由曲の演奏法を教えてください!」

「え……? 自由曲、まだ演奏できるようになってないの? 合奏を始める日って、確か二十七日からだよね? 部長くんが言ってた……」

 天宮先輩が眉をひそめて言った。

「はい、自由曲の練習はこれからですっ。まったくたたけません!」

「うそでしょ……。合奏に雑音はいらないんだけど……」

「すみませんっ。このままだとわたしの演奏、雑音になってしまうかもしれません!」

 と声を上げると、天宮先輩が「はぁ……」と大きなため息をついた。

 それからのろのろと、机の右側にかけていた通学鞄を取って立ち上がる。

 思っていたよりも背が高かった。猫背ぎみになっている。

「もう、仕方のない一年生ちゃんだなぁ……。特別に教えてあげる。合奏はね、キレイに流れる水のようなものなの。そこに小石を投げこまれたら最悪なんだよ。分かる?」

「はい、今度は分かりました。わたし、小石にならないようにがんばりますので!」

 わたしが意気ごむと、天宮先輩は「暑苦しい……」とぼやいて歩き始めた。

 歩みは遅いけど、音楽準備室に向かってくれている!

 わたしは、天宮先輩の背中をおしたいのをがまんしてついて行った。


「……おつ~……」

 とやる気のなさそうな声で言って、天宮先輩が音楽準備室に入った。

「えっ――天宮先輩!?」

 練習の手をとめて、日高くんが天宮先輩を見た。

(まさか天宮先輩を連れてくるとは思わないよね……)

 天宮先輩は、驚く日高くんをムシして棚の中に通学鞄を入れた。

 それから音楽準備室をぐるっと見回して、わたしに言う。

「――それで? 一年生ちゃんはボクに何を教わりたいの?」

「あっ、ええと、グロッケンとシロフォンですっ」

 わたしは早足でグロッケンの元まで行った。

 それからグロッケンの奥に置いていた楽譜を指差す。

「これが自由曲の楽譜です!」

「グロッケンとシロフォンね。……とりあえず、どんな感じか演奏してみるか」

「は、はいっ!」

 わたしはあわてて天宮先輩に場所をゆずった。

 天宮先輩は譜面台の上に置いていた楽譜を手に取ると、パラパラとめくっていく。

「……あ~……ふうん、なるほど。『大海の旅人』って曲名なだけあって、雄大で希望に満ちた曲だね。……ああ、嵐の場面もあるのか。おもしろい……。でも難易度はそんなに高くないな。きっとこの旋律、主旋律だろうし、たたくのらくちん……」

 天宮先輩がぶつぶつとひとりごとを言う。

 それからパタンと楽譜を閉じて譜面台の上にもどすと、グロッケンの上に置いていたマレットを両手でつかんだ。

「それじゃあ演奏するよ~」

「えっ? 楽譜は見ないんですか?」

 日高くんが、天宮先輩は楽譜を見たらすぐに演奏できるって言っていたけど、まさか今のですべて覚えたの……?

「見ないよ。もう頭の中に入ってるから」

 と言うと、天宮先輩はマレットを構えてグロッケンをたたき始めた。

(――うわっ、すごいっ!)

 グロッケンの音がすごく響いている。

 わたしがたたいた時と全然違う。

 音が跳ねているって感じ。

(……って言うかこの曲、遅かったり速かったり難しい曲っ!)

 それに天宮先輩が呟いていたけど、主旋律(メインのメロディー)を奏でているっぽい。

(ってことは、合奏の時にすごく目立つじゃない!)

 なんて思っているうちに天宮先輩が動いた。

 グロッケンのうしろに置いてあるシロフォンの前に立つ。

 この曲で、わたしはこの二つの楽器を演奏しなければならない。

 天宮先輩のたたくシロフォンの音も、グロッケンに負けないくらいよく響いていた。

(えぇ~っ、わたし、こんなに目立つパートを演奏するのぉ~っ?)

 半ばぼうぜんと聞いているうちに、天宮先輩はグロッケンのほうへもどった。

 かと思えば、またシロフォンのほうに移動して、グロッケンにもどって……。

 そんなに何回も移動しながらたたくんだ! と思っていたら、天宮先輩が演奏を終えた。

 コトッとグロッケンの上にマレットを置く。

「天宮先輩っ、すごいですっ!」

 わたしは思わず拍手していた。

「ふわぁ」とあくびをした天宮先輩が、わたしを見る。

「演奏してみたけどさ……グロッケンとシロフォン、かんたんすぎて何を教えればいいのか分からないんだけど……」

「えっ?」

(全然かんたんな曲ではなかったと思うんだけど……)

 というつっこみは、とりあえず置いておいて……。

 まずは初歩的なことを聞きたい。

「あの、まずはキレイな音の出し方を聞きたいのですが」

「え? そんなの……鍵盤をポンポーンってたたけば出るでしょ?」

「へっ……?」

 わたしはまぬけな声を上げてしまった。

(――あっ! ひょっとして、ひょっとしなくても、天宮先輩って何となくの感覚でたたけちゃう人なのかもっ!)

 って、それじゃあ、たたき方を教えてもらえないじゃない!

「とりあえずたたいてみたら……?」

 と言って天宮先輩がグロッケンから離れた。

 わたしは「は、はい」と言い、グロッケンの前に立つ。

(仕方ない……。たたいてみるか……)

 自由曲の楽譜の一ページ目を開いて、わたしは演奏を始めた。


 (低い)シ♭、ファ、ソ、(高い)レ~~~~

 (低い)シ♭、ファ、ソ、(高い)レ~~~~


「……ヘタだね。雑音以下。楽譜の演奏記号通りにたたけてないし……」

 天宮先輩が眠たそうな口調で言う。

 わたしはあわてて演奏をとめた。

 シーーンと静まり返った音楽準備室に、「あふ」という天宮先輩のあくびが響く。

 わたしはぎゅっとマレットをにぎりしめると、思いきって口を開いた。

「……でも、わたしが上手く演奏できないのは、天宮先輩のせいだと思うんですけどっ」

「はぁ? 何でそうなるわけ?」

「先輩の教え方がヘタだから、わたしもヘタなままなんです。もっと初心者でも分かるように教えてくださいっ。ポンポーンとか言われても分かりませんっ!」

「……へぇ、このボクを相手にいい度胸してるじゃん。一年生ちゃん……」

 天宮先輩がひく~い声を出す。

「そこまで言うならさ……特別レッスンをしてあげるよ」

「へっ?」

 特別レッスン? と思っていたら、わたしのうしろに天宮先輩が立った。

 そしてわたしの手を包むようにしてマレットをつかむ。

「えっ? な、なっ、何をしてるんですかっ??」

「それじゃ、演奏するよ~」

 と言うと、天宮先輩はわたしの手を動かしてグロッケンをたたき始めた。

 音は……キレイに響いている!

(す、すご~い! わたしが出してる音じゃないみたい)

 って感動している場合じゃなかった!

 わたしはマレットを持っている天宮先輩の手を見た。

 それから、たたき方の感覚を覚えるために頭をフル回転させていく。

(曲のメロディー、手の動かし方、しっかり覚えなきゃ!)

 天宮先輩に導かれるまま、わたしはグロッケンとシロフォンを演奏していった。

 そうして最後の一音までたたききると、天宮先輩がようやくわたしの手を離す。

 わたしは……もうくたくたになっていた。

「――さてと、特別レッスンは終わり。あとは自分でがんばって、一年生ちゃん……」

 ポンと天宮先輩がわたしの頭をなでた。

 それからのびをすると、棚の中にしまっていた通学鞄の元へ向かう。

「あっ、ありがとうございました! 天宮先輩っ!」

 わたしは天宮先輩の背中に向かって声をかけた。

 天宮先輩はひらりと手をふると、ふり返ることなく音楽準備室を出ていく。

 わたしはグロッケンに向き直った。

(今の演奏した感じを覚えている間に、練習しなくちゃ!)

 楽譜を見ながら、わたしはグロッケンとシロフォンをたたいていった。

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