第10話 絶叫【フェニス第3従響星】
「ああ、知ってるよ。81番だよな。静かだったけど、真面目で頑張ってた子だよ。えーっと……、いつだっけな。1か月前? いや昨日か一昨日? あーだめだ。だいぶ来てるな、俺も。多分今週入ったぐらいにダメになって“送られ”てったんじゃなかったっけ」
作業員の少年は、酷いくまをポリポリと掻きながら、ぼんやりした表情で教えてくれた。
「どこに!? アリシ――、81番はどこに送られたんですか!?」
リメアは少年に食い下がる。
少し困った顔の少年はたじろいだ後、あ、と声を上げ目をカッと見開いた。
「……あんた、もしかして、81番の身内か? おいおい、勘弁してくれよ。ゴミ捨て場に送るって言っても、タダじゃない。ここで働いてる全員で分担してるんだ。んだよ、身内がいるなら、そっちに払ってもらえよな。ちょっとここで待ってろ、動くなよ! 上に報告するから」
少年は血相を変えてリメアに釘を刺すと、トタンで覆われた建物の階段を、何度も振り返りながら登っていった。
「リメア様、あちらヲ」
「……っ!」
ちょうど、ゴミ収集を行うトラックが敷地内から外へと出ようとしているところだった。
リメアは反射的に踵を返し、収集車へと駆け寄り、荷台へ飛び乗る。
「っ!!」
そこには異様な数の使用済みの点滴と、排泄物や血液で汚れた衣服が山積みになっていた。
腐敗臭もどことなく漂っている。
思わず鼻と口を手で塞いだ。
「おい、って、あれ!? どこいった!?」
背後から少年の声が聞こえる。
リメアは嫌悪感と目に染みる悪臭をこらえつつ、ゴミの中に身を沈めた。
「……ひっ!」
目の前に、腕があった。
男性の腕だ。
よく見るとかすかに動いている。
「リメア様、あまり見ないほうガ……」
「ううん、大丈夫。アリシアが、アリシアがまだ、生きている可能性があるってことだから、大丈夫……!」
リメアは胸の奥から湧き上がる不安と、吐き出しようのない胸焼けに、ひたすら、耐え続けた。
どれくらい車に揺られていただろうか。
風の匂いが変わった。
トラックの荷台より一段と強烈な匂いが、麻痺しかけていた鼻を殴り飛ばす。
「うっ」
込み上げてくる何かを抑えつつ、荷台から顔を出してみた。
そこはゴミの集積場だった。
青々とした芝生が、ゴミ山たちの周辺だけ、赤白く変色している。
遠くを見渡せば、湖やコテージ、ホテルの廃墟が見えた。
リゾート地の庭園を、ゴミ捨て場に転用しているらしい。
「……搬入もしやすく、平らで作業もしやスイ。デスが、これは……ナント……」
「リッキー、分析より、アリシアを探そう! 広域スキャンを掛けて!」
「かしこまりまシタ、リメア様を中心に、微弱なエーテル衝撃波を展開、生体反応、20、30、……52。視覚野にアクセス、強調表示いたしマス」
荷台から飛び降りたリメアの視界に、色分けされたシルエットが、そこら中に現れる。
「こ、こんなに……!?」
目を丸くして周囲を見渡すリメアの横で、リッキーはふと、空を見上げた。
「…………?」
「どうしたの、リッキー、早く探さなきゃ!」
「え、ええ。ですが今ナニカ、識別不可能なエーテル反応が上空に検知されマシタ……」
「今はそんなことより、アリシアを! あ、また一つ生体反応が減った! 時間がないの!」
「かしこまりまシタ。ワタクシは行動範囲ギリギリの上空カラ、アリシア様の識別を行いマス」
「お願いっ!」
瓦礫やゴミの袋をかき分け、埋まっている人を掘り起こす。
死体や、損壊された体の部位も散見される。
リメアは無我夢中で探し回った。
手足は汚泥にまみれ、汗を拭った頬にも黒い汚れが付着していた。
「アリシアーーっ!」
それでも、捜索の手は一切緩めない。
はやる気持ちをひたすらに殺し、手を、目を、体を動かし続ける。
「リメア様っ!」
上空から降りてきたリッキーが、リメアを止める。
「アチラに、アリシア様の身体的特徴と一致する少女ガ!」
「……ッ!」
リメアは持ち上げていた冷蔵庫を放り投げ、一目散に駆けていく。
目の前のゴミ山を横切り、湾状に広がったゴミの一角。
そこに、栗色の髪をしたショートボブの少女が、体をくの字に折り曲げ、座り込んでいた。
そばまで走り寄り、言葉を失った。
喉は、悲鳴すら通してくれなかった。
鼻口からは悪臭を纏う黒泥に似た血液が滴っており、肌には全くと言っていいほど血の気がない。
いつも輝いていたはずの紫苑の瞳は、虚ろに沈んでいる。
やせ細った体躯が、痛々しかった。
「アリシアっ、アリシアアリシアアリシアっ!!」
頭が、真っ白になった。
ぬめる水溜まりに膝をつき、アリシアを力強く抱き上げる。
見慣れたはずの栗色の前髪が、額から力なく流れ落ちた。
「……ッ!!」
異常な軽さに、リメアは脳天を撃ち抜かれる。
とても、見た目から想像できる体重ではない。
どれほど、どれほどの無理をこの子にさせてしまったのだろう。
自責の念に、身も心も、押し潰されそうだった。
「……リ…………メア……?」
カサついた唇が、震えながら小さく動く。
リメアは、吹き出しそうな感情を飲み込み、無理やり笑顔を作った。
「しゃ、喋らないで、大丈夫、大丈夫だから!」
なんの根拠もなかった。
どうすればいいかもわからなかった。
それでも、なにかしなければという焦燥感だけが、リメアを突き動かしていた。
緩やかに痙攣を始めた腕を、無我夢中で擦る。
勢い余って、指にゴム紐のようなものが引っかかった。
ブシュ、と気の抜けた音とともに、勢いを失った液体がぼたぼたと腕からこぼれ落ちる。
音と同時に水たまりに転がったのは、親指の太さほどもある凶悪な針。
そこから赤いもやが、じんわりと広がった。
頭から血の気が引いていく。
静かに流れ出る血は、アリシアのこぼれ落ちる命に等しく見えた。
「リメア様、残念デスがアリシア様は、もう……」
リッキーがリメアの背後から現れ、力なく俯く。
静寂の中、白い雲の落とした影が、あたりを一層暗くする。
「リッキー、嘘だよね。こんなの、嘘だって言って」
「…………」
ポツリ、とアリシアの額へ落ちた水滴に驚き、リメアは反射的に顔を上げた。
雲が太陽を隠しているが、雨が降っているわけではない。
さっと、頬を滑り落ちる熱を感じた。
はじめて、リメアは自分が泣いていることに気がついた。
泣いている場合じゃない。
今はアリシアを助けることだけを考えなくちゃ――。
慌てて腕で拭うと、その手には、泥で汚れたアリシアの日記の束が、未だきつく握られたままだったことに気がつく。
『私は、アリシアで、いたい』
その文字が、シワと汚れの間からのぞいた。
「こんなの、嫌だよ、アリシア……。嫌だよ……っ!」
腹の底から湧き上がる激情を、体内ですべて、エーテルに変換していく。
リメアの黒髪が、重力に反してふわりと浮き上がった。
慌てたリッキーの声が耳に響く。
「だ、だめデス、リメア様! 未確認の敵性反応アリ、今動くと危険デス! 何よりアリシア様を助けられる可能性は極めテ――」
「でも今なんとかしなきゃアリシアが! アリシアが死んじゃう!!」
黒髪が毛先から銀色に変わり、淡い発光を始める。
リメアはリッキーに断ることなく、知識回路を起動した。
《ホログラムAI並列起動状態で、知識回路――医療分野、技術回路――医療分野を開放します。この動作を伴う医療行為は、貯蓄エーテルを大量に消費し、使用者の脳に多大なる負荷を――》
脳内で機械音声が警告を促してくる。
――うるさいっ!
リメアは奥歯を噛み締め、警告を叩き切る。
銀の髪は、波打つように七色の輝きを放ち始めた。
「リメア様!!」
「もう、決めたの!!!」
言葉を叩きつけながら、アリシアの身体を
翡翠の瞳に、アリシアの体内がホログラムで転写された。
「嘘、うそ……。腎臓萎縮、小腸断裂、肝臓……腐敗、脾臓溶解……」
蒼白になった唇が震え、瞬きをするたびに下瞼から溢れた涙がこぼれる。
以前知識回路を開いたときとは比べ物にならない頭痛が断続的にリメアを襲いつ付ける。
それでも、手を止める理由には程遠い。
唇を血が滲むほど強く噛み締めながらアリシアの腹部に手をかざし、エーテル治療を開始した。
「リメア様、まさカ!」
「ええそうよ! アリシアの機能を失った内臓を、わたしの身体と同じエーテル組織で作り直す!!」
「いけまセン! 生身の人間にエーテルは毒! たとえ今を凌げても長くは持ちまセン!」
「それでもわたしは! アリシアにちゃんとお礼だって――言えてないんだもんっ!!」
声はとうに掠れていた。
アリシアの体から生気が失われてもなお、リメアは治療を続けていく。
手指の先から光が溢れ、アリシアの体内へ吸い込まれていくのを、固唾をのんで見守った。
腐りきった臓腑を焼き切り、新たな内臓をゼロから構成していく。
同時に失われかけていたアリシアの魂をエーテルに繋ぎ止め、蘇生の瞬間に備える。
「魂を一時的に分離して大気中のエーテルに仮固定……86、87%、体組織形成、78、79%……! お願い、お願い……。間に合って……!!」
胸の奥底から絞り出されたような祈りが、空気を揺らした、その時。
音のない衝撃が、大地と、リメアを襲った。
視界がわずかにぶれ、世界が回る。
バシャ、と軽い水音が後を追う。
リメアはバランスを崩し、頭から地面に倒れ込んでいた。
「ぇ……?」
何が起こったかわからず、目だけを動かして、宙を見る。
透き通った翡翠色の瞳は、驚きに縮んだ。
ギョロギョロとした目玉が、はるか天上から伸びた長い鎖にぶら下がっていた。
目玉はリメアの脳内にエーテルを通じて、直接音声を流し込む。
『やっと――見つけた。ここ最近従響星で大量のエーテルを消費していたのは……お前か。基幹規則の38……大規模なエーテルの無許可使用に該当。この一帯からエーテル使用権限および滞留エーテルを剥奪する。まったく……煩わしい――』
言葉が終わるやいなや、リメアの体内外エーテル活動量が著しく低下していく。
リッキーはエーテル体のホログラムを維持できず、ノイズとともに崩壊を始めた。
「精霊デス、精霊のエー■ル……干渉妨■……デス! 即■……離脱……ヲ……!」
ホログラムの最後の欠片が、風に散る。
途切れ途切れの音声が、耳に残響する。
ハッと我に返ったリメアは、鉛のような体をなんとか持ち上げた。
肩にかかった髪が、水気を含んだ
エーテルが、完全に沈静化していた。
目が大きく見開かれ、頬が引きつる。
それは先程まで実行していたエーテル治療が中断されたという、明確な証拠だった。
「そんな……! 力が! アリシアの治療がまだ途中なのに!」
鎖と目玉は、ゆるりと溶けるように姿を消した。
異形との突然の邂逅に、理解が追いつかない。
頭の中では、精霊の声が繰り返し反芻されていた。
『この一帯からエーテル使用権限を剥奪する』
つまり、エリア外にさえ出れば。
影響下から、逃げ切れば。
かすかな希望にすがりつくように、リメアは弾かれたように体を動かす。
その範囲がどれほどの広さなのか、検討もつかぬまま。
アリシアの横たわった水たまりは、真っ赤に染まっていた。
もはや、一刻の猶予も許されない。
「別の場所に逃げ……なきゃ……!」
リメアはふらつく足を無理やり立たせ、アリシアを抱きかえると全力で駆け出した。
「どうしよう、どうしよう! 早く、早く……精霊のエーテル干渉下から抜け出さないと、抜け出さないとアリシアが……!」
ゴミ捨て場から離れ、整えられた庭園の草原を、ただひたすらに走り抜ける。
どれだけ走っても、エーテルの気配が感じられない。
知識回路すら、アクセスできない。
頼れる相棒の再起動は、時間がかかる。
ここでは不可能だ。
髪は黒いまま、ただ風に乱れていく。
石につまずき、転びかけた。
握りしめていたはずの日記の断片が、指から離れて天に舞う。
アリシアを形作るなにかが、目に見えない力で剥ぎ取られていく気がした。
「わたしは――」
呼吸を整え前に向きなおり、リメアは再び大地を蹴り飛ばす。
「あなたを、絶対にあきらめないから――!!」
走り出した直後、リメアのワンピースが、わずかに引っ張られた。
「っ!? アリシア!?」
見れば、驚くことにアリシアが意識を取り戻している。
力なくゆっくりと瞬き、弱々しく笑顔を浮かべていた。
あの状態からよく戻ってきたと思う反面、言葉にできない不安が胸中を覆い尽くす。
「アリシア、待って、待ってて! あと少し、きっとあと少しでわたしは、アリシアを――!」
頬を伝う涙は、嘘だと言わんばかりに、明るい声と笑顔を向けた。
アリシアは、じっとこちらを見つめ続け、おもむろに口を開く。
「……リメア、……ありがとう」
違う。
今はまだ、ありがとうなんて言ってほしくない。
まだ何もできてない。
鼻の奥が、ツンと痛くなる。
「アリシアっ、わたし、まだ、走れる、走れるからっ……」
視界がゆがむ。
涙が止まらない。
こんな顔を、アリシアに見せたいわけじゃないのに。
「リメア………………聞いて……?」
「っ!」
思わず、歩調が弱まる。
「お話は後でいいの、アリシア。これから、きっと、わたしが治して……!」
「……今、………聞いて……?」
か細い声だった。
だが、リメアの足を完全に止めるほどの、意志の強さが宿った声だった。
風が吹き、草が掠れて音を立てる。
雲間から光が差し、眩しいほどに少女たちの横顔と大地を照らしだす。
「ごめん……私……リメアの目的、奪ってた……」
途切れ途切れの声で、アリシアが囁く。
リメアは激しく首を横に振る。
「そんなことない、わたしの目的は、まだ、決まってないもん!」
「嘘……。ケホッ、ケホッ。だって、リメア……いつも……空、見てた」
「っ! 違う! 違う違う! わたしは、アリシアといたい! これからも、ずっといっしょにいたい!!」
「分かるの。リメアのお母さん……優しい人。リメアは……私とは、違う……」
「そんなことない、そんなこと……!」
リメアは膝から崩れ落ち、草原に座り込んだ。
「生きているなら、きっと……会えるから……ね、約束」
「…………」
声にならない声が、吐息を震わせる。
答える代わりに、リメアはアリシアの肩を強く、抱きしめた。
「最後に……、1つ、……お願い」
アリシアの手が空をさまよい、リメアがその手を取り握る。
「私のポケットから……、携帯食……出して……」
「わかったよ、でも、今は食べられるような体じゃ……」
言いかけて、肺が痙攣した。
見ればアリシアはもう、リメアを見ていなかった。
誰もいない空を見つめたまま、小さく、口だけを動かしている。
「開けて、割って」
言われるがまま、リメアは袋を取り出す。
包みを開き、携帯食を2つに割る。
その瞬間、あの夕闇のクレーターが、視界に重なった。
パキン――。
硬質な音が、青空に吸い込まれていく。
アリシアは焦点の合わない目を微かに濡らし、声を震わせた。
「あぁ、ぁ、これが……これが、私の」
一呼吸おき、小さな笑顔が咲いた。
それはリメアが、一番好きな笑顔だった。
「私の……一番、幸せな音……。私は……生きてて……、アリシアで………………よかった…………」
ふっと、小さく息を吐いた唇。
だが待っても待っても、その愛くるしい唇が再び開かれることは、二度となかった。
リメアは口元を見つめたまま、時を止められたかのように、静止した。
支えが失われた手を、ただひたすらに、握りしめ続ける。
風が吹き、黒髪と栗色の髪を、サラサラとなびかせた。
リメアは、アリシアの亡骸を抱えたまま、動けなかった。
ずっと、ずっと、動けなかった。
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