遺された少女と月から来た悪魔
柴野沙希
その日、全てを失った
──────私は今日、誰よりも愛されていたことを知りました。でも、こんな形で知りたくなかった。
私の名前はルナリア。お父さんとお母さんが褒めてくれる、白い髪と明るい性格が自慢。でも、村の皆とは違う色だから、少し気になる所でもあるの。
冬も終わり、私の村では春にお祭りをするので、みんなでその準備をしていました。他の村ではしないと町で聞いたけど、お祭りは多い方がいいと思うんだ。楽しいから!
「お母さん!行ってくる!」
「気を付けるのよ~?あ、財布持った?」
「ごめん、忘れてた!」
「もう……あなた!財布取って頂戴!」
「はいはい……ルナ、ほら」
「ありがと!行ってきます!」
「はは、落とすなよ」
外に出て、教会の方へ歩いていく。少しだけ積もっていた雪は、すっかり溶けていました。もう雪遊びできないのは残念だなぁ。
「おや、ルナちゃんじゃないか」
「ヘルメおじさん!」
「お使いかい?」
「そそ、塩を買いに行く途中」
「そうかそうか。……ほら、おじちゃんからお小遣いだ」
「いいの!?」
「もちろんだとも。好きに使いなさい」
「ありがと!嬉しい!」
「そう言ってくれると、渡したかいがあるよ」
くるくると嬉しくて回ってしまう。おじさんは私を見て笑ってくる。嬉しいからしょうがないでしょ?少し睨むと、おじさんはごめんごめんと謝ってきた。
「ルナ!遊ぼうぜ!」
「買い物終わった後ならいいよ!」
「分かった!じゃあ、先に空き地で遊んでるぜ!」
「ルナちゃん、後でね~」
「うん、後で!」
おじさんと別れて歩いていると、今度は友達のフィルとアイナが話し掛けてくる。買い物が無かったらすぐ行ってたんだけど……残念。でもさ、最近二人が付き合い始めたって聞いたからさ……ちょっと気まずい気持ちはあるんだよね。
家と畑がまばらに見える道を歩く。ほぼ毎日歩く道で、もう道の小石まで覚えてしまった。しばらく歩いていると、村の中心部が見えてきた。何か分からないボロボロの像のある広場と、農村にしては立派な教会。前には、色々な物が乗っている馬車が停まっていた。
あれ、ミーシアさんが居ないや。行商人のミーシアさんは、みんなのお姉さんみたいな人だ。背が高くて優しい、元探索者の凄い人。教会の中かなぁ。
「……都市の方で動きがあった。中央教会の聖女が、こんな辺境の都市まで……」
「……そうか。何があっても、あの子だけは守らなければならぬ。例え、村の命全てを捧げても……」
「だが、子どもたちも巻き込むのは」
「分かっておる。明日には避難させる予定じゃ」
「それならいいが……」
「ミーシアさん、いますか~?」
教会の扉を叩いて、人を呼ぶ。しばらくすると、扉を開けてミーシアさんが顔を覗かせた。そのまま入ると、ミーシアさんの他にも司祭様がいた。色々勉強を教えてくれるし、祈祷を使える村の偉い人。でもたまにお菓子くれたりするから憎めないんだよね。
「はいはい……ルナリアか、今日は何を買いにきたんだ?」
「塩下さい!後、これでなんか買えそうなやつ!」
「おや……。ルナリア君、ヘルメにまた何か貰ったな?」
「げっ……司祭様、ご機嫌麗しゅう……」
「全く……。甘やかすのは、ルナリア君の為にならんというに」
「そう怒ってやるな。私も偶にしか来れないんだ、毎日貰っている訳でもあるまい」
「それは、そうだがのう」
「だろう?ほらルナリア、塩はこれだ」
「ありがと、ミーシアさん!」
ミーシアさんの懐から、塩が入った小さい壺が出てくる。なんで懐に入ってるんだろ……まあいいか。
「おまけの方は……外に出ようか」
「は~い!」
「どれ、わしも何か買おうかのぅ」
「司祭、アンタもだだ甘じゃないか……」
「そんなこと無いわい!」
わちゃわちゃ騒ぎながら三人で教会の外へと出る。昼前の広場には誰もいなかった。祭りの準備で忙しいのかな。そんなことを思いながら、馬車に乗ってる雑多な品を見定めていく。ビスケットもいいなぁ、果物も美味しそう……でもお金足りないだろうしなぁ。
「ふっ……悩んでいるようだな」
「これで何か買えそう?」
「ふむ……。ちょうど、いい物がある」
「いい物?」
「少し待て」
そう言って馬車の御者台へと上がっていって、何かを探すミーシアさん。司祭様と二人で顔を見合わせて、お互い不思議そうな顔をする。いい物?なんだろ。
「これだ」
「ペンダント……?なんか、古そうだね」
「最近、ダンジョンで見つかったマジックアイテムだ」
「ミーシア、お前……」
「司祭、見逃してくれ。絶対に必要になる日がくる」
「え、そんなヤバい物なの?」
「……そうじゃな。足りない分はわしが出そう」
「感謝する。ルナリア、どうだ?結構いい物だぞ?」
「だから何なのこれ」
「ちょっとしたお守りさ。魔法が掛かってるだけで」
「司祭様も、いいの?」
「必要になる日が来て欲しくはないがのぅ。だが、あって困る物ではなかろうし」
「やった!」
ペンダントを受け取る。マジックアイテムって凄い価値があるんでしょ?そんな凄いものを少しのお小遣いで貰っちゃった!パッと見、黒っぽい古めのペンダントなんだけど……後で友達に自慢しちゃお。
「使い方だけ話しておこう。『イーザ』と唱えるだけだ。簡単だろう?」
「何にも起きないよ?」
「諸事情あって、今日の朝使ってしまった。月の光に当てておけば、また使えるようになる」
「なるほどねぇ」
「……」
「危なくなった時に使うんだぞ?あぁ後、司祭。しばらく泊めてくれ」
「構わんぞ、部屋は余っておる」
「しばらくいるの?」
「そうだ、色々あってな」
「みんな喜ぶよ!後で伝えとく!」
「遊ぶ暇があるかは分からんが……。まぁ、よろしく頼むよ」
喜ぶ私とは真逆で、司祭様もミーシアさんもなんか怖い顔をしている。気になるけど、聞いても答えてくれなさそうで、聞けなかった。村の広場に春とは思えない程、冷たい風が吹く。
「司祭様!!大変です!!」
遠くから馬に乗った狩人のジュードさんが大声を上げながらやってくる。その背中には、矢が刺さっていた。え?なんで?
「大丈夫か!?」
「教会だ!聖女が手下引き連れてやって来やがった!」
「バカな!朝方に妨害してきたはず!」
「だが!確かに来てる!」
「ミーシア!皆に武器を取りに行くよう伝えてくれ!」
「了解だ!」
「わ、私は……?」
「教会の中に避難するんだ!」
「だけど、みんなを」
「大丈夫だ!いいから中へ!」
「ジュード、矢を抜くぞ!我慢してくれ!」
司祭様がジュードさんの背中に刺さる矢を一気に抜く、ジュードさんは大きいうめき声を上げた。何が起きてるの?避難って、聖女って何?
「『サリエル、癒しを齎す方。その力で我らを癒してください』」
「助かります、司祭様」
「いけるか?」
「もちろんです。私も皆に呼び掛けてきます!」
「うむ……。ルナリア!早く教会の中へ入るんじゃ!」
「え、あ……」
「早く!」
司祭様から聞いたことがないほどの強い声で言われて、大慌てで教会の中へと入る。中は静かで、何も起こってないみたいだった。
しばらく座っていたけど、やっぱり様子が気になって二階の窓から外を覗いた。すると、数十人の豪華な鎧を身に付けた人達と、その先頭に一人だけ真っ白な服を着た奇麗な女の人が広場に向かってきていた。
「村長は居るか!村を焼かれたくなければ、早く出てこい!」
「お待ちください!私が村長でございます!」
村の奥側から司祭に連れられて、村長が走ってくる。身体が弱くなってて走るのが辛いはずなのに、息を切らせながら走ってくる。なんで村を燃やすの……?何もしてないよ?
「よく来ました村長。そして貴様が司祭ですね?」
「その通りでございます」
「よろしい。私は聖女トリーナ、後ろは配下の聖騎士です」
「何故そのような方々が、何もない農村まで……」
「結論から言います。異端者シーナとヴィンスをここに連れてきなさい」
なんで、お父さんとお母さんの名前が出てくるの。異端者?真面目にお祈りしてるよ?悪い行いなんてしたことない、誰よりも優しいよ?
「そのような者、この村にはおりませぬ……」
「そうですか。騎士!」
「はっ!」
聖女様が後ろに声を掛けると、一人の騎士様が二つの球を村長に投げた。……ボールじゃない。あれ、フィルとアイナのあたま?え??偽物だよね?そんな訳ない!!涙と、吐き気が止まらない。
「おえぇぇ!」
身体が言う事を聞かない。階段に吐いてしまう。なんで?なんで!?なんで!!何も悪いことしてないのに!付き合ってたのに!頑張って生きてたのに!
「何て事を!」
「聖女様!なぜ!?」
「もう一度言います!二人を出しなさい!」
そう言って剣を抜く聖女、騎士たちも武器をそれぞれ構えて村長と司祭様に寄っていく。逃げて、と思ったのもつかの間。村長が右手を上にあげて、勢いよく振り下ろした。
瞬間、あちこちからシュウ……という何かが燃える音が聞こえて、パン!と弾ける音が一気に響いた。馬と騎士たちの何人かが倒れる。よく見ると広場周りの家の上や影のあらゆる場所から、村の皆が銃を構えていた。
「聖女様!」
「分かっています!全員殺して構いません!後で調べます!」
「承知しました!散開!全員殺せ!」
「異端共め……『知らぬものに威光を知らしめる、大いなる雷を下さい』」
聖女が聖句を唱えると、その手に雷が落ちてきた。雷を掴んでる……?聖女は掴んだ雷を、家に投げ飛ばす。家が、燃え始めた。それを皮切りにして、あらゆるところから火が立ち始める。村が、なくなっちゃう。なんでこんなことになるの……?
呆然としていると、周りから悲鳴と剣戟の音が聞こえ始めた。恐ろしくて、耳を塞いでうずくまってしまう。怖くて身体が震える。涙が零れて止まらない。耳を塞いでいるのに、村のみんなの叫び声と怒号が響いてくる。聞きたくない!とにかく何も感じないように、ぎゅっと自分を抱きしめる。分からないまま、時間だけが経っていった。どうか、夢であって。お願い。
「……!」
「ルナリア……!」
夢だ夢だ夢だ。目が覚めれば朝なんだ。いつも通り作物のお世話をして、みんなと遊ぶ。夕方になったら帰って、お父さんとお母さんに今日の話をするんだ。藁の寝床でも、三人で寝れば幸せなの。だから、覚めて。お願いだから。
「ルナリア!私よ!」
「大丈夫か!?」
「お父さん……?お母さん……?」
「そうだ!落ち着け」
「フィルと、シーナが」
私が言うと、少しだけ下を向いて二人は心から辛そうな顔をした。夢じゃないの……?本当に、殺されちゃった……?おぇぇ……!
「落ち着いて!大丈夫、大丈夫よ……」
「これは……逃げられそうにないな」
お母さんにしがみついていると、お父さんが窓から外を見て、言った。逃げられないって……?
「シーナ。もうアレを使うしか、道は……」
「でもアレは……。なんとか、逃げられないかしら……?」
「聖騎士だけならともかく、聖女もいる。しかも中央教会の恐らく武闘派だ」
「祈祷も中級、雷を使ってたものね……。でも」
「皆も覚悟の上だ。それに、子どもたちはもう……」
「……そうね、分かったわ。悩んでる時間もないものね」
「……すまない」
「いいのよ……。ルナリア、行きましょう」
「……どこに?」
「ここの地下だ。前々から用意していた、秘密兵器がある」
「使えば、みんな助かるの?」
「…………」
私が聞くと、二人とも歯を食いしばって眉間を寄せた。こんなに苦しそうな二人を、見たことなんてない。じゃあ、使ったって……。
「……行こう。犠牲を無駄には出来ない」
「そうね……」
誰も開けちゃいけない、と司祭様に言われていた教会の開かずの扉。それをお父さんが開ける。扉の先は真っ暗だった。お父さんがそばのろうそくを手に取り、魔法で火をつけた。
「こっちだ。着いてきてくれ」
お父さんに言われるがまま付いていく。通路は下り階段になっていて、底は見えなかった。しばらく降りていくと、古い木の扉が現れた。またお父さんがそれを開き、中に入っていく。
中に入ると、広間のようになっていた。周りには色々な道具が置かれていて、真ん中には巨大な魔方陣が床に描かれていた。何となく、絶対いいものじゃないのは分かった。
「なに、これ……?なんか、怖いよ」
「ルナリア、少し休みなさい。大丈夫よ」
「準備は整っている、後は起動するだけ……。だが、何が呼ばれるか……」
「決められないの?」
「低級なら確定できるが、あの聖女には恐らく勝てない……」
「確定しなければ、ルナリアの命は助かる」
「それなら……」
「しかし、確実に上を喚ぶなら……私達の魂を捧げる必要がある」
「命だけでは、足りないのね」
「そうだ」
部屋の隅で壁にもたれかかっていると、何かの準備をしてる二人の話が聞こえてきた。魂を捧げる……?ねぇ、お父さんとお母さんまで死ぬ気じゃないよね……?絶対嫌!!
「ねぇ、ルナリア」
「……嫌だ」
「ルナリア、聞いてくれ」
「嫌だ!」
「お願い、時間がないの」
「絶対に嫌だ!!!」
「私たちも、君を独りにしたくはないんだ」
「なら!」
「でも、このままでは皆死ぬ」
「分かんないよ!?みんなで逃げれば!」
「聖女と聖騎士相手に逃げ延びるのは無理だ。逃げ延びれても、どこかで死ぬ」
「これで高位悪魔と取引すれば、あなたは少なくとも生きていける」
「悪魔……?そんなの、ダメだよ。司祭様も言ってた、悪魔と取引すると、地獄に堕ちるって」
「それでもいいんだ」
「よくないよ!なんで二人が地獄に行かなきゃいけないの!?何も悪いことしてないのに!」
「いいの、あなたが生きていてくれたら」
二人が、頭を撫でてくる。嫌だ。一人にしないで。悪魔と生きるぐらいなら、一緒に死んだ方がいい。
「悪魔と二人にされるぐらいなら、私も!」
「ダメよ。一緒に来るには早すぎるわ」
「……なんで、一緒に逝っちゃダメなの!」
「これは、私たちの願いなんだ。君には生きていて欲しい。生を全うして欲しい。こんな理不尽で、死なないで欲しい」
「勝手な願いでごめんなさい。でもね……私たちの全てを捧げてでも、あなたには生きていて欲しいの」
「でも……!」
「ルナリア、永遠に愛してる」
「誰よりも愛してるわ、ルナリア」
二人に強く、苦しいほど抱きしめられる。私も、二人を潰してしまうほど強く、忘れないように抱きしめた。涙が零れて、二人の服を濡らしていく。このまま、時間が止まって欲しい。離れたら、もう二度と触れ合うことがないのが分かったから。
誰も、離れられなかった。気がつけば、お父さんとお母さんも泣いていた。声を上げることなく、涙を流しながら強く抱きしめ合う。ずっと一緒に、暮らしたかった。お父さんと、もっと遊びたかった。狩りとか野菜の育て方も、教えて欲しかった。お母さんと、もっと話したかった。縫い物とか、料理も教えて欲しかった。なんでもっと早く聞いておかなかったんだろう。聞く暇は、いっぱいあったのに。
「聖女様!こちらに階段が!」
「周りの騎士を集めなさい!」
上から声が聞こえてきた。この声が、憎くて仕方ない。こいつらがいなければ、こんな目に合わなかったのに。少し大変でも、幸せに暮らせてたのに。ずっと、抱きしめ合っていられたのに。
「……ルナリア」
「いや」
「……大丈夫。心はずっと一緒にいる」
「何があっても、あなたを常に想っているわ」
「いやだ!」
「……すまない」
「……ごめんね」
そっと二人が離れていく。魔方陣の方に向かっていく二人に手を伸ばしても、手は空を切る。後ろ姿を眺めることしかできない。いかないで、なんていっても意味がないのは分かっていた。それでも、いかないで欲しかった。喉から、言葉にならないかすれた音だけが出て止まらない。
「……やろう」
「えぇ」
魔方陣の左右に二人が立ち、両手を中心に向けてかざした。二人は同じように息を吸い、一度目を閉じた。そして、静かに口を開いた。ただその光景を、泣きながら見ることしかできない。
「月に棲む闇、聞き給え」
「我ら矮小なれども、天に反する意思を持つ者」
空気が重くなっていき、鳥肌が立つ。何かが、始まったのが分かった。
「応え給え、天蓋の反転、堕落の極致よ」
「かつて天の唯一に反し、世界を争った光の対極」
「聖なるを討ち、太陽を呑む影」
更に空気が淀み、重くなる。魔方陣に青い光の輝きが宿り始める。光を見ると、背中にしびれていると錯覚するほど強い悪寒が走った。どこかに繋がり始めている?そんな気がした。
「急ぎなさい!これが、例の禁術……!」
階段を駆け降りる騎士や聖女の声が近づいてくる。
「我ら、大いなる大逆は七つの罪より齎された、祝福であると信ずる民なり」
「悪魔よ、ここに来たりて民を守り給え、悍ましき神、汚れし光を殺し給え」
光が凄まじい勢いで輝きを増していく。魔方陣の中心に置かれた壺が割れ、物が焼け始める。怖い、何が怖いのか分からないけど、とにかく怖い。
「捧げるは無辜の民、その命!」
「光に背を向け、闇を信ずる魂二つ!」
捧げられたものが上に浮き、一点に集まっていく。お父さんとお母さんの生気が、急速に消えていくのが分かった。どんどん薄くなっていく。消えていく、私を遺して。呆然と儀式を見ることしかできない。
「守り給え、憐れなる娘の命を!!」
「他に奪われること無く、その生を全うするまで守り給え!!」
絶叫、青光が私の全てに突き刺さる。もう、二人の姿は光で見えなかった。それでも、目に光を焼き付ける。目よりも、心が比べられないほど痛いから。絶対に忘れない!何があっても!
「居たぞ!」
「騎士!儀式を止めなさい!」
「しかし、光で敵が!」
「いいからやりなさい!呼ばれたら、私たちが死ぬ!」
騎士と聖女が雪崩れ込んでくるが、前が見えないほどの光に阻まれ、どうすることもできない。そんなことはどうでもよかった。お父さんとお母さんが消えていく、世界に溶けていくように。
「お父さん!お母さん!私もずっと愛してる!何があっても生きていくから!!絶対に、忘れないから!!!」
──────瞬間、二人が目に見えなくても、私を見てくれたのが分かった。その視線はきっと、いつもみたいに優しかった。
「「……月の悪魔が一柱!!憐れむならばここに現れよ!!!」」
最後の詠唱と共に、光が弾けた。衝撃で、壁まで飛ばされる。騎士たちも飛ばされ、聖女だけが入り口に立っていた。
「聖女様!」
「私は大丈夫……。何が呼ばれたの……?」
よろよろと身体を起こして魔方陣の方を見る。光がおさまった陣の真ん中に、一人の女性がいた。腰まである金髪、異常なほど整った顔。濃緋色のスーツに包まれた身体は、恐ろしいほど均整が取れている。だけど、それ以外は人と変わらないように思った。唯一、金髪の間から二本の角が見えていた。これが、悪魔?
「何千年振りだろうか……。条約外の世界に、よもや来られるなんて」
「悪魔……!」
「総員!対悪魔戦用意!」
悪魔を見るやいなや、騎士が横並びになって剣を前に構える。構えられた剣が白い光に包まれていく。この部屋の闇を切り裂くように。
「……ふふ」
「聖女様!?どうされました!?」
「いや、愉快ね」
「聖女様……?」
「あの悪魔、翼が無い」
「!!」
余裕のない騎士をよそに、聖女が笑う。翼がない……?どういうこと……?悪魔は、部屋の周囲を眺めている。
「これだけ命を捨てて呼ばれたのが、翼のない雑魚悪魔なんて!あはは!バカじゃないの!」
「ですが、悪魔ですよ?」
「雑魚悪魔よ、焦って損したわ」
「確かに、悪魔の気配さえ感じませんが……」
「こんなのより先に、そこの娘を殺しなさい」
「……承知しました」
騎士の数人が私の方にやってくる。どうしよう、絶対に死ねない。みんなの命を背負ってるのに、こんな所で終われない!どうすればいいの……!
「娘、こっちに来なさい」
「え……?」
「ほら、早く」
悪魔に呼ばれて、逃げるようにそっちへと走った!騎士が追いかけてくるが、遮るように悪魔が間に立ちふさがった。守ってくれてる?
「くっ……」
「恐れ過ぎよ、雑魚相手に」
「ふむ……。新鮮な反応ね」
「邪魔するなら、先に殺しますよ?」
「どうせ殺す気でしょう?光を信じる文盲め」
「そうですか……『知らぬ者に威光を知らしめる、大いなる雷を下さい』。消えろ!」
聖女が聖句を唱え、再び雷を手に持つ。そしてこっちに雷を投げ飛ばしてくる。悪魔は、それを右手で受け止めようとした。
「死なない……?」
「……力はまだか」
受け止めた悪魔の右手は、ジュゥゥ……と真っ黒に焼き焦げていた。肉が焦げる嫌な臭いが、鼻に突き刺さる。嘘でしょ……!?でも、聖女は驚いてる?
「……全員集めなさい。ただの下級じゃないわ」
「……承知しました」
バタバタと数人が階段を駆け上がっていく。聖女は悪魔から目を離さない。奇妙な緊張が、場に満ちている。
「ともあれ、暫く暇ね」
悪魔が残った左手の指をパチンと鳴らす。すると、少し上から木の枝みたいな何かが、悪魔の手元に落ちてきた。
「よしよし……葉巻は大丈夫」
悪魔は、葉巻を前に数回振った。すると、先に火が付き後ろが切れた。緊張を無視する悪魔が変で、つい眺めてしまう。後ろをくわえると、悪魔は息を大きく吸って、煙を吐き出した。間近で見ていたせいで、吸い込んでしまう。けほっ……!
「あら失礼。それで貴女、お名前は?」
「……ルナリア」
「ルナリアね、これからよろしく」
葉巻を吸いながら、私の方を覗き込んでくる。深い黒目と整い過ぎた顔が、人間の物とは思えない。目の奥に薄く、黄色の逆五芒星が見えた。さっきは無かった気がする。
「あの、悪魔さんの名前は……?」
「私?……エーディアよ」
「エーディアさんですか」
「むず痒いから、敬語は外してくれる?後、さんも要らないわ」
「じゃあ、エーディア」
「それでよし」
会話が途切れる。悪魔エーディア……本当に、守ってくれるの?不安げにエーディアを見ると、エーディアは聖女の方を見ていた。
「文盲女、退けば生かしてやろう」
「は?」
「多くの生命と二つの魂を以って、契約は結ばれた。故に私は、ルナリアを守るしかないの」
「見逃してやる……と?下級悪魔風情が?」
「どう?ダメかしら?」
「黙れ!絶対に殺す!」
「あらあら……」
青筋を立てて激怒する聖女。皆の仇……!私が殺してやれないのが歯がゆい。エーディアはどうでもよさそうに葉巻を吸っている。頭がおかしくなりそう……!
「全員、揃いました!」
「対悪魔戦闘用意!」
そう聖女が号令を掛けると、再び十数人の騎士が、剣を構えて祈り始めた。今度は光ではなく、黄色に輝く炎が剣に宿っている。ねぇエーディア、勝てるの?エーディアを見ると、葉巻の最後の一吸いを深く味わい、残りを握り潰していた。
「ルナリア、私の後ろに」
「……うん」
「『天におられる我らが神よ、神の顕現を知らせる雷をここに下さい。知らぬ者に威光を知らしめる、大いなる雷をここに下さい』今度こそ、死ね!」
ズドォン!と鳴り、ひときわ大きい雷が、槍のように聖女の手に収まる。殺意と共に投げられた雷が、エーディアに襲い掛かる。バチィン!という凄まじい音が、私の耳に響いた。気がつけば、エーディアは真っ黒に焼けていた。
「エーディア!」
「雷に続け!」
「待て」
「聖女様?」
「待機しなさい」
聖女たちはなぜか襲ってこない。プスプスと焼け焦げた音を立てて燃えているエーディア。貴女が死んだら私も死ぬのよ!?皆の全てを捧げたのに、そんなに簡単に死なないでよ!どうにかなってくれ、とエーディアに触れようとする。
「……残念」
「エーディア!」
「そんなに呼ばなくても、生きてるわ」
「効いてない……?」
「ご名答。いや、服がちょっとだけ焦げちゃった」
「聖女様の全力が……?ありえん!」
生きててよかった……。聖女たちは驚き、固まっている。エーディアは煙たそうに焦げを払っている。騎士でさえ、信じられない程強いのに……。エーディア、貴女は一体……?
「全力がこれ、ね。なら……終わらせましょうか」
「終わらせる?」
「『影狼』。外の連中を殺してきなさい」
「なぜ、全員いないと分かる……!?」
「貴女、全滅の愚を犯すほどバカじゃないでしょう?」
パン!と手を叩くと、エーディアの影から真っ黒な狼が三匹、飛び出してきた。エーディアに命令されると一鳴きして、騎士たちの間をすり抜けて階段を上がっていった。聖女の視線が、更に険しくなる。
「魔法……?いや、生物を創造する術は存在しない!」
「多少弱くなってるけど……。負けることは無いわね」
「減らず口を!」
「いいや、本気よ。なんで私が、貴女たちの準備をのんきに待ってたと思う?」
「まさか……!」
「私が強大過ぎたせいか、全部来るまで時間が掛かってたのよ。感謝するわ、待ってくれて」
エーディアは下げていた右手を前に出す。その手は、何事もなかったかのように治っていた。グググ……と全身に力を込めるエーディア。すると、少しだけ見えていた角が異常なほど伸び、とぐろを巻いた。背中から、翼が左右で八枚生えてくる。本質的な強さに対する畏れ、圧倒的な存在感が五感に襲い掛かる。悪魔って、こんなに凄いの……!?
「バカな!?八枚!?」
「聖女様!?」
「こんなの知らない!聖女全員で倒した悪魔が二枚だったのよ!?こんな悪魔、知る訳ない!!」
「くっ……!総員掛かれ!」
数十人の騎士がエーディアに殺到する。エーディアはどうでもよさそうに騎士たちを見て、手を叩いた。瞬間、全員が潰れる。地面を見ると、ちょうど全員分の肉と鎧だったもの、血だまりが出来ていた。え?何が起こったの?
一気に静かになる部屋。叫び散らしていた聖女は、黙って俯いている。危機を脱した安心感よりも、何が起こっているか分からない。エーディアがはぁ、と息を吐いた。
「はい、おしまい」
「……『セラフ、悪を滅する炎を持つ方。その大いなる力を以って、悪を焼却する炎を下さい。我が身の全てを炎に捧げ、心を光に捧げます。神よ、悪魔を滅する炎を下さい!』命に懸けても、貴様だけはここで滅する!」
長い聖句を唱えた聖女の身体が一気に燃える。黄金に輝く炎が彼女の全身を包んでいく。そのまま顔を上げ、目を見開いた。その目には怒りや憎しみではなく、ただ悪魔を滅する決意だけが宿っている様に見えた。私は初めて、何かを信じることの恐ろしさを全身で味わった。なんで、ここまで出来るの……?
「信仰だけは、本物ね」
「悪魔よ!滅べ!!」
「ならば悪逆を以って、聖なるを討とう」
聖女は燃えたまま、エーディアに向かって飛び込んでいく。対してエーディアも、聖女に向かって歩き出した。エーディアが勝つのは分かってる。でも、聖女の決意に重ねてしまった。皆の仇から、両親と同じ、命を捧げても何かを成し遂げる覚悟を見てしまった。なぜか、涙がまた零れる。
「あぁぁぁぁ!!!」
「……」
聖女が、エーディアに飛び込んだ。瞬間、凄まじい爆炎が辺りを包み込む。
「……神よ……お許し下さい……」
聖女は、跡形もなく燃え尽きていた。エーディアはしばらく立ち尽くしていたが、やがて服の煤を払う。
私たち二人になった部屋に、音はしない。聖女も、両親も、跡一つ無く消えてしまった。全てが終わったことを察して、腰が抜ける。エーディアはこっちを一度見て、新しい葉巻に火をつけた。何もない、時間がただ過ぎる。全部なくなった。でも、生きなきゃいけない。約束だから。
真っ暗な階段を、か細いろうそくの火を頼りに上がっていく。行きは三人だったのに、帰りは得体のしれない悪魔と二人。もう、涙さえ出てこない。
「……眩し」
教会の扉を開けると、夕日が私の視界いっぱいに広がった。沈みかけている夕日が、暗さに慣れ切った目に突き刺さる。
村は、全て焼かれていた。黒煙と家だった跡、焦げ臭さが、私の五感を埋め尽くす。本当に、みんな死んでしまったんだ。私以外、誰もいなくなちゃったんだ。頭がいたい。
「誰か……」
「村の民なら、誰もいないわ」
「一人ぐらいなら、誰か」
「命は捧げられた。例外は無い」
一緒に上がってきたエーディアが、無慈悲に言った。希望を持つことさえ、許されないの?ゆらゆらと、像の台座の横に座り込んでしまう。エーディアは無感情に周りを見回している。
「みんなを、そのままにしたくない」
「死体も無いわよ」
「え……?」
「それも含めて命だもの」
じゃあなに?生きてた跡さえないの?お別れも、出来ない?膝を抱えて動けなくなる。何も、考えたくない。
「……ねぇルナリア」
「…………なに」
「何の像?これ」
「……村の守り神様。教会とは違う神様だから、誰にも話しちゃいけないって司祭様は言ってた」
「ふ~ん。……残ってたのね、形は無くとも」
どうでもいいことをエーディアが聞いてくる。春のお祭りは、この神様に感謝するお祭りだった。それを思い出して、楽しかったお祭りが脳裏に浮かんでくる。もう二度と見れないことが分かって、枯れたはずなのに涙がまた出てきた。
「なるほどなるほど……。私を呼べた理由が、何となく分かった」
「……よかったね」
「えぇ、よかったわ」
皮肉交じりにそう言っても、関係ないとばかりにエーディアは薄い笑みを浮かべている。怒る気力もない。とりあえず、お墓だけでも作らなきゃ……。
「あら、何するの?」
「お墓……」
「そ」
当然手伝ってくれる事もなく、エーディアは新しい葉巻を取り出して吸い始めた。しかも、残されていたミーシアさんの馬車にある果実や食べ物を勝手に食べだした。咎める気も起きず、燃え尽きた後の家に向かう。
「…………」
静かすぎて、耳鳴りが止まらない。常に騒がしかった村は、死んだように沈黙している。無言で、みんなの家を回っていく。遺品を、とにかく集める。でも、何がみんなにとって大切だったのかも分からなくて。指輪や髪飾りとかを持って行こうとして、なぜか盗んでいるような気持ちになった。心が、締め付けられる。
私の家に着く頃には、みんなの物で腕がいっぱいになっていた。少し焦げてるけど、焼け残った皮袋に遺品を詰める。なんの為にやっているのか、分からなくなり始めていた。
家は、焼け落ちていた。真っ黒になって、二本の黒焦げた柱だけが悲し気に立っていた。中に入れず止まってしまう。悲しみも、怒りも、涙さえ出てこない。ただ、立ち尽くしていた。
「……なにか、さがさないと」
家だったものに入る。一層強い焦げ臭さが鼻に届く。タンスも、ベッドも、何もかも燃え尽きていた。過ごしていた思い出が、まるごと無くなってしまったみたいに。
とにかく何かを探していたが、ふと、家の隅に小さな金属の箱があるのが見えた。こんな箱、見たことない。その横には、掘り返された土の跡がある。よろよろと箱に寄っていき、それを開ける。鍵は掛かっていなかった。
「なに、これ?……きれい」
中身は、手のひらサイズの天球儀が真ん中に付いた、髪飾りだった。私の髪の色と似て、銀色に輝いている。気がつけば、それを付けて髪を纏めていた。心が少しだけ、暖かくなった気がした。
みんなの遺品を持って広場に戻ると、エーディアは変わらず好きに過ごしていた。それを横目に見ながら、像の前の土を持ってきたシャエーディアで掘る。
「……その髪飾りは?」
「形見」
「ふぅん。いい品ね、大切にしなさい」
「言われなくてもそうする。……ありがと」
少しだけ、嬉しくなる。掘った穴に、みんなの遺品を詰めた皮袋を置いて、埋めた。その前で膝を折って、手を組んで祈る。これで、本当に村は終わってしまったんだ。そう実感した瞬間、幸せだった思い出が頭に溢れ出てくる。
「うぁぁぁぁ……!!!!!」
気がつけば、土を涙で濡らしていた。手が震えて、嗚咽が止まらない。一人ぼっちになっちゃった……!もう、誰も私のことを撫でてくれない!抱きしめてくれない!なんで、こんなことに……!私たちは、必死に生きてただけなのに!
「なんで……!なんで……!!」
やがて泣き疲れて、地面にうずくまっていた。……これからどうしよう。分からないけど、生きなきゃいけない。お父さんとお母さんが全てを捧げて私を生かしてくれたんだ。なら、それだけの価値があったって人生を、送らないと。
「で、どうするの?私としては、君に人生を全うして貰わないといけないんだけど」
「生きる。なにがあっても」
「助かるわ。契約上、自殺も止めないといけないから」
「そっか……。とにかく、ここには居られない」
「宛ては?」
「ない。どこか遠くへ」
「ふ~ん」
「遠くの町で暮らす。それから、何をするか決めようと思う」
「そう。なんにせよ、私は貴女と一緒にいるしかないの」
「なんで?」
「契約ってのは、そういうものだから」
「……そっか。これから、よろしく」
「えぇ、貴女の人生が終わるまで。短い間だけど、よろしくね」
「……うん」
お墓に最後、手を合わせた。そして、ミーシアさんの馬車に遺されていた旅道具一式を貰った。ごめんなさい。私が死んだ後、向こうで謝りますから許してください。でも、ミーシアさんは苦笑いするだけで、怒らないんだろうなって思った。また出てきそうな涙を手で拭って、墓に背を向けて歩き始めた。
目的地は分からない、とにかく生きる為に旅に出る。お父さんとお母さんと約束したから。何があっても生きるって。魂を失ったなら、心さえ消え去るのは分かってる。でも、私は二人が見てくれてるって信じてるよ。
エーディアも、歩き出した私の横に付いてくる。表情は相変わらず、何を考えているかわからない。ただ、私の命だけは守ってくれるらしい。それを聞いて、少しだけ安心したのは内緒。
──────たった一人残された村娘ルナリアが、その最後まで生き抜くだけの物語が始まる。呼ばれた悪魔エーディアは、災厄か、祝福か。今はまだ、誰も知らない……。
遺された少女と月から来た悪魔 柴野沙希 @nobashi-saki
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