第14話 それぞれの秘めるもの
高崎に探査装置を設置する任務の説明が終わった後。私――夏坂
本来の高崎であれば森林地帯に属するそこは、この〈戦場ヶ原〉サーバーにおいては
周囲に人影はなく、耳に入ってくるのは木々のざわめきと風の音。照り付ける日差しは初夏の強さだけれど、そこに『暑さ』はない。このサーバーに、暑さや寒さといったものは実装されていないからだ。
二輪の花を持って人気のない墓地を一直線に進み、目的の墓石の前に辿り着く。形式的に設置されただけに過ぎない墓地は、一切掃除していないのにも関わらず新品同様の綺麗さを保っている。勿論、バグなどの類も一切見られない。
……まぁ。ここは演算シミュレーションすらもなされていない場所だから、当然と言えば当然ではあるけれど。
その場にしゃがみこんで、
この『高崎』では決して咲くことはない、黄色の眩しいたった二輪の
墓石に刻まれた名前は、『
前の特殊
『
今から一年前。雪音とレイがこのサーバーに来てからも丁度一年が経った頃に、葵は戦死した。
近傍に確認された〈
そっと、陽花は葵の墓石に触れる。
私が葵と出会ったのは五年前。当時はまだ開発されたばかりだった〈量子兵装〉に、適正がある人物として選ばれた時のこと。
適正検査で『適正有り』と判定された私は、軍の開催する『特殊
そこで出会ったのが、桜木葵という少女だった。
偶然隣同士になった彼女は、開始前からずっと気さくに話しかけてきてくれて。目を輝かせて『特殊擲弾兵』という兵種を語る彼女の瞳に、陽花はいつしか心に暖かいものが沸き起こっていたのを覚えている。
軍人が説明している間も、葵はずっと目をキラキラさせて聞いていて。そんなに面白いものなのかと陽花も手元の資料に目を通して――そこで、初めて〈量子兵装〉を使うことがどんなものなのかを知った。
――自分の周囲のあらゆる物質を自由自在に操作し、あらゆる武器・状況を瞬時に創り出すことのできる、究極の兵種。
それが、〈量子兵装〉を扱う『特殊擲弾兵』の能力だった。
〈量子兵装〉の原理そのものは、〈量子集積・位相転移理論〉として既に確立された技術だった。その理論のおかげで世界中の人々は食べ物に困らなくなっていたし、地球上のあらゆる環境問題も解決していた。
けれど。『特殊擲弾兵』のように、瞬時に何かを変えたり作り出したりすることは不可能だった。
〈量子集積・位相転移理論〉は、量子――実際には分子単位のものが殆どだが――という極小の粒子を完璧に制御する理論だ。けれど、完璧に制御するが故に、作り変える際にも完璧な原子の構造データが要求される。
例えば、リンゴを一つ、この理論による量子制御で作ろうとしよう。リンゴには水を始めとして炭水化物やタンパク質、多数のビタミンなど、様々な有機物が複雑に絡み合ってでできている。では、〈量子集積・位相転移理論〉を用いてこれを作ろうとすれば、どのような情報が必要になるか。
答えは、『リンゴの構造を、原子単位で解析してデータ化した情報』だ。単にリンゴの形と栄養素だけをデータとして与えるだけでは、リンゴの形をしているだけの、よく分からない物質が生成されてしまう。
だが。『特殊擲弾兵』は、人間が想像したものをそのまま量子コンピュータに送り付けることによって、あらゆる物を瞬時に創り出すことを可能にした。人の考えたイメージを元にすることで、元のデータからの逸脱をある程度許容できるようになったのだ。
そんな説明が書かれているのを夢中で読んで。私は、『魔法使いみたいだな』と思った。
そしてそんな魔法みたいなものを使う力が、自分にはある。そう思った時には、私は『特殊擲弾兵』になることしか考えていなかった。
それから始まった訓練では、私は葵とペアになって。相部屋だったということもあって、私達はいつの間にか、お互いに何でも話せるような間柄になっていた。
思考を今に戻して、陽花は彼女の名を静かに呟く。
「葵……」
今はまだ、彼女と作り上げた想い出は全て覚えていられる。思い出して感傷にふけることもできる。
けれど。
これから、私は大切な友達の、親友との記憶を、どんどん失っていくことになるのだ。
〈戦場ヶ原〉サーバーで保持できる記憶は直近の五年だけ。それより昔の記憶は、機械的に削除される運命にある。
陽花と葵が出会ったのは同じく五年前だ。それはつまり、これから先、私は葵と出会った時の記憶を、そしてそれから紡ぎ続けてきた彼女との思い出を失い続けることになる。
そして。五年後には、私は葵との思い出を全て、綺麗さっぱり忘れてしまう。どんなに大切な記憶だとしても、二度と思い出せなくなってしまう。
「忘れたく、ないな」
か細く呟いた言葉は、風に流れて消えていく。
このサーバーで唯一プログラムの設計ができた人は、現在の領域を確保する過程で戦死した。今はもう、記憶を削除するプログラムを変更することは、叶わぬ夢でしかない。
今、自分がやるべきことは分かっている。
私に求められているのは、
そしてそれは、私自身の意思でもある。
……だけど。けれど。
「葵のいない世界は、つまんないな」
†
三人が司令本部室を後にしたのち、
本棚に挟まれた扉の先、そこにはあるのは〈量子兵装〉や〈
奥の扉から白衣を着た数名の研究員が出てきて、敬礼もせずにそのまま席につく。
と。
それを見計らったようなタイミングで、目の前の立体映像ディスプレイが起動。資料が表示されているのを見て、隣に座っていた
「では、これより第三二回の定例技術研究会議を行う」
部屋の照明が落とされ、立体映像の資料が視界に鮮明に映し出される格好になる。その画面の奥、白衣の研究員の一人が席を立ち、
「では、ますば第一議題である『記憶の保持時間の
目の前に表示されていたいくつかのフォルダのうち一つが自動で選択される。全員の前に映し出されるのは、数々の専門用語と数式で書き連ねられた報告書。
それの端々をかいつまんで、白衣の研究員が簡潔に結果を述べる。
「先に結論から述べますと、現状のサーバー容量では記憶の保持時間を伸ばすことは不可能。また、記憶の取捨選択に関しても、脳科学の観点から調査した結果、原理的に不可能ということが判明しました」
一瞬の沈黙。
「……原理的に不可能とは?」
と訊ねる
「人間の記憶は、時が経つに連れて脳全体に拡散して保存されるような仕組みになっています。そして、この〈戦場ヶ原〉サーバーでは、確実性を重視して人間の脳と同様の記憶保存の仕組みが使用されているんです。……結果、『特定の記憶』のみを保持したり、破棄したりといった操作が原理的に不可能になっているんですよ。水に溶けた砂糖を、その状態のまま再び固形にして取り出そうと言っているようなものです」
……つまり。自分達の過去の記憶が消されるのは、避けようのないことだということだ。
もしかしたら、記憶の断片ぐらいならば残る可能性もある。けれど、その記憶の断片を辿って思い出す――といったようなことはできない。構造的な問題な以上、その事実を変える術はない。
……ならば。
「先程、サーバー容量の観点から記憶の保持時間の延長は不可能だと仰っていましたが」
「現在、俺達が保管されているサーバーには、まだ充分な空き容量が存在しています。この部分を使用すれば、全員――とはいかなくとも、数名ならば記憶の保持時間を延長することはできるのではないでしょうか?」
言い放ち、
「率直に申し上げますと、現在の〈戦場ヶ原〉サーバーにおいて、更なる意識覚醒――つまりは俺達と同様の戦力になるような兆候は一切見られません。それも、三年の間ずっと」
ステラフォードの場合は少々事情が特殊なため、今回の計算からは除外した。結果、『意識覚醒』と呼ばれる現象が起きる確率は一パーセント以下。希望という名の賭けをするには、余りにも期待値が低すぎる。
そんな計算結果を立体映像で全員に示しながら、
「また、現在使用している〈量子兵装〉の数々も、軽量化・効率化することで更なる容量の削減が可能なはずです。ですから――」
「それは不可能だ」
遮るのは、断定の口調。驚いて隣に目を向けると、
「確かに、我々のサーバーには記憶の延長が可能な空き容量が存在している。君の言う通り、数名ならば記憶の保持時間を伸ばせるだろう」
「だったら、」
「だが。それは、その数名に対して特別の処置を施すことになる」
真剣な視線を真っ直ぐこちらに向けて、
「記憶をもっと長く保っておきたいというのは、このサーバーに住む人間ならば誰もが持っている感情だ。しかし、誰かを特別扱いすれば、他の者に不平等感を与えることになる。……それが意味することは、君も分かるだろう」
その言葉に、
……それは、分かっている。
もし、
『詰み』に等しいこの状況において、そういった小さな軋轢は、どんな形で膨れ上がったりするのかも分からない。
そして。そうしたものは些細なことで暴発し、不測の事態を引き起こす。
結果。結束の崩れたサーバーは効率的な作戦行動に異常をきたし、〈
身内の
「だけど」と喉の奥で呟く
「……〈量子兵装〉の容量削減についても、現状では厳しいと言わざるを得ません」
先程とは別の白衣の研究員は立ち上がり、
「確かに、
「……俺たちの生還率の低下、ですか」
白衣の研究員はこくりと頷く。
「君達特殊
ちらりと隣に視線を向けると、
ぎり、と奥歯を軋ませて、
「……しかし。このままでは、本当に平和だった頃の記憶はあと数年もしないうちに完全に消失してしまいます。それがどのような障害を生むかは、俺よりも貴方達の方がご存知でしょう?」
脳裏によぎるのは、
普段は二人とも気丈に振る舞ってはいるものの、その実、彼女らは自分の記憶が消えることに深く怯えている。
月咲は、ステラフォードの最初の『死』を忘れてしまうことに。
二人からこれらの記憶が全て消えてしまった場合、彼女たちには辛い現実しか残らない。
特に、
大切な親友との思い出を失い、後に残るのは過酷な戦場の記憶ばかり。消えた分自分達との思い出も増えるだろうが、『本当に大切な人』との思い出には遠く及ばない。
そんな状態で戦い続けられるとは、
小さく一息吐いて、
「こらちもできる限りのことはします。……だから、どうか、ご検討を」
彼女達の記憶が完全に消えてしまう前に手を打たなければ。彼女たちの……
下げた頭の中で、恭夜はそう思った
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