第13話 綻び始めた世界
司令本部から『高崎』の適当な座標――高校の屋上へと
飛び込んできた光景に、思わず息を呑んでいた。
転落防止用の柵の向こう。白い雲と青空に彩られているはずのそこには、ところどころに真っ黒な四角形が浮かんでいた。
まるでそこだけポリゴンが抜け落ちたみたいな光景に、レイは
「な、なに……これ……?」
そんな言葉をもらす。けれど、頭の冷静な部分ではそれの正体を掴んでいた。
恐る恐る校舎に続く扉に目を向けると、やはり、そこには
遅れて隣に
「雪音、これって」
「見ての通り、バグよ」雪音は即答し「この街を創っている保管サーバーの情報量が限界に近づいている証拠ね」
「それって、どういう……?」
まさか、この街も最後には消えてしまうのだろうか。そんな不安を抱くレイ。横目にちらりと雪音を盗み見ると、彼女はあからさまな作り笑いを浮かべる。
「あぁ、心配する必要はないわよ。私達みたいな軍人は、こことは別のサーバーに保管されているから」
「や、そうじゃなくて」
いや、それはそれで安心ではあるが。今気になってるのはそういうことじゃない。
「ちょっと前にも同じことが起きてたし、この街、大丈夫なのかなって」
今から二ヶ月ほど前。レイが初めて『この街が電子上の場所』であることを知ったあの日にも、同じようなことが起きていたのだ。
膨大な数の演算をしているのだから、この程度のバグは当たり前……と言われればそうなのかなとも思ったりはするのだけれど。とはいえ、こんないかにも『バグ』といった光景を見せられると不安になる。
そんなレイに、雪音は、
「ああ、そういえばレイは知らなかったわね」
素っ気なくそんなことを口にする。「なんのこと?」と視線で問うと、雪音はふらりと視線を空へと向けてあっさりした口調で告げる。
「このサーバー、四月八日の七時から七月七日の二四時の間をずっと繰り返してるのよ」
「え?」と思わず呟くレイ。構わず、雪音は言葉を継ぐ。
「
だから安心して、とでも言うように、雪音は目線をこちらに戻してくる。
「……なんで、そんなことを?」
そんな、分かり切った問いをレイは投げかける。雪音は再び視線を空へと逸らして、
「人の情報っていうのはね、私達が思っている以上に膨大な量になるの。それが、比較的小さなこのサーバーには五千人分もある。定期的にリセットしないと、このサーバーの容量は限界を迎えてしまう。それはレイも分かるでしょ?」
ちらりと向けられる視線に、レイは無言で頷く。
「かといって人間の情報をそのまま保存しておくだけじゃ、『人格』は消えてまってただのデータの羅列に成り下がる。そうなったら最後、二度とその人は『人』には戻れなくなる。そういう『設定』がなされただけの人工知能と同等の存在になってしまうのよ」
「全部司令と技術科の人達から聞いたことだけれど」と付け足すように呟いて、雪音は更に言葉を紡ぐ。
「そうした中で採用された解決策が、一定期間のループだったみたい。全ての情報を定期的にリセットすることで、時間を止めることなくサーバー容量の圧迫を防ぐ。容量と『人格』の問題を同時に解決するには、これしかなかった」
つかの間の沈黙。二人の間に、温度の伴わない風が吹いては髪を揺らす。
揺れる金色の髪を手で抑えながら、レイは
「……ボクたちの記憶が五年で消えるのも、そういうことなの?」
雪音は無言で頷き返してくる。それは、何よりの肯定を示していた。
……サーバーの容量を確保するために。『人』という形で生き残るために、自らの記憶を機械的に消し去っていく。
それは、まるで記憶を
必要なことなのは理解できるけれど。けれど、大切な思い出すらも消えてなくなってしまうというのは、哀しい。
「……今で、何回目なの?」
ドットの欠け落ちた空を見ながら、レイは訊ねる。とても、彼女の横顔を見られなかった。
「さぁ、それは私も。……ただ、私達がここに来てからは四回目になるわ」
「……そっか。てことは、ボクは四回も入学式をやってるわけだ」
「それは私も一緒。職務と並行して、学校にも毎回行っていたから」
「その間って」
「気付いたのは今回が初めてよ」
……つまり。ボクはずっと雪音の近くに居たのにも関わらず、三回も見逃していたのか。
ここに来るまでも、来てからも。ずっと、ボクは雪音に守られていたのに。なのに、ボクは、ずっと何も気づかなかった。
大切な人だと思っていたくせに。雪音の持つ負担を見抜けずに、ずっと彼女たちだけに押し付けていた。
情けないなと思って、そこで、レイはふと胸中にある疑問が湧き上がってくる。
ここに逃げて来るまでの間、少なくともレイは雪音に守られて来たはず。記憶は相変わらず思い出せないけれど、そのはずだ。
……でも。それって、最初から二人だけの旅だったのか?
「ねぇ、雪音。ボク達って、別のところからここに逃げて来たんだよね」
「ええ。そうね」
「その、逃げたのって、最初からボクと雪音だけだったの?」
「……数百人はいたわ。軍人も、私を含めて数十人が」
そこで言葉を切り、雪音は数歩レイから離れたところに歩を進める。そのまま振り返りもせず、雪音は淡々とした口調で、
「けれど。ここに来るまでにみんな消えるか死んだ。ある人は〈
“生き残った”という言葉に、レイは「まさか、」と内心で呟く。脳裏にちらつく思考を奥歯で噛み殺し、努めて平静をつくった声音で、レイは問う。
「……じゃあ、ユイは」
ボクの妹は。どうなったんだ?
「……」
雪音は背を向けたまま、沈黙。長い長い
「ユイちゃんだけは何とかここに来るまでのサーバーには入れたわ。……今そのサーバーがどうなってるのかは、分からないけれど」
その声は、酷く乾いたものだった。僅かに見える彼女の右腕は、今までに見たことがないほど固く握り締められていて。
そんな様子に、レイは気付いてしまう。
今の言葉が、嘘だということに。
そしてそれはつまり。
体の奥底から沸き立つ激情を必死に堪え、雪音に心配をかけないように何とか笑みを形作る。
漏れ出そうな嗚咽を堪え、唾を飲み込んでゆっくりと嬉しそうな声を形作って。
「……そっか。なら、よかったよ」
と。レイは返していた。
相変わらず、記憶は一欠片も思い出せなかった。
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