31 恥も外聞もなくぶっちゃけると僕はマザコンです
(突発的ゲリラ自分語り!)
恥も外聞もなくぶっちゃけると僕はマザコンです。
いい歳して結婚もせず母親と同居してました。二〇二一年七月まで。
東京オリンピック開幕式の翌日の朝、母が自身のベッドにもたれかかってゲロまみれになっていた。呼吸はしている。呼びかけても返事がない。
大急ぎで救急車を呼んだ。当時、コロナの影響下にあったのでなかなか搬送先が決まらず、やっと決まって行った先が車で三十分の中規模な救急病院。家の近くに来るまで数分の場所に比較的大きな病院があったのにそこは駄目だったようだ。
運ばれてから検査と緊急手術があって、医者に説明をうけたのが夕方。
――診断結果は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血
意識は戻らなかった。とりあえず入院が決まる。個室で。
よくはわからなかったのだが、一ヶ月後に脳に溜まった水と圧を調整するために、腹部へバイパスするパイプのようなものをいれるとか言われた。わからないのでいわれるままにお願い。同意書にサイン。
その後、誤飲がとかこれまたよくわからないことをいわれたあとに、胃ろうをつけると言われた。
そしてその後もずっと個室の病室に入院しつづけ同年十二月に、「ここは救急病院なので転院をしてもらいます」と言われる。入院費の精算をすることになった。
―― 一〇〇万円です。
「……!」
高い! べらぼう! 高額医療費の制度でそんな金額になるわけがない。よくよく確認したらそのほとんどが個室代の追加料金だった。
転院した先では、毎月二十万円請求がきてこれまた大変だったので役場に相談した結果、世帯分離と低所得者AだかBだかの認定を受けて、極限までさげてもらって毎月の入院費が七万円までになった。プラス入院セット代が毎月二万二〇〇〇円。
転院前の一〇〇万円は、いまだに分割払いでシコシコ払っている。きつい。
僕はマザコンだ。
でも意識が戻ったとはいえ、自分が誰なのか、そして僕が何者なのか既に分かっていない状態の母。会うたびに悲しい気持ちが込み上げてくるのでここ一年くらいは面会に行ってない。入院費の支払いだけは毎月かならず出向いていって払っている。
正直きつい。僕は三人兄弟で、弟も妹もいるが、ふたりとも一円たりとも援助してくれない。
正直きつい。
もう死んじゃおうかなって何度か本気で考えたこともある。でも僕はマザコンです。
中学生くらいのときに母に言われた話を時々思い出す。
「あたしはね、小さい頃から家にひとりで留守番していることが多かった。家が貧しくて小学校もろくに通えなかったけど、修学旅行で行った建設途中の東京タワーを見たのが唯一の楽しかった思い出」
「いつもひとりだった」
「仕事も飲み屋なんかを転々としていて、そんな時とうさんと出会った。寿司屋の板前修行中の若造」
「結婚するつもりはなかったのに、そのとうさんの兄弟だの親だのに次々に会わされていつのまにか結婚することになっちゃった」
「結婚してからはずっとお店の仕事ばかりで、とうさんは無口なのでさびしかった。結婚してもなんだかひとりって感じ」
「そんなとき、つぐのぶを妊娠した」
「とうさんは、おろせおろせとしつこかった。じつをいうとつぐのぶは二人目、一人目はうまれてすぐにしんじゃった」
「あたしは『うませてくれないなら離婚する』とくいさがって、なんとかつぐのぶを生んだ」
「つぐのぶの顔をはじめてみたときはうれしかったね。もうひとりじゃないんだって、うれしなみだでちゃった」
いまも時々思い出す、かあさんの面影。
でも最後の記憶が他人を見るような目で僕を見つめる他人行儀な母。
なにもしない他二人の兄妹はあてにならない。
せめて最後は僕が看取らねば。
そう思うと死ねない。ちょっとくらい辛いことがあっても、生きているんだから。それだけで儲けもの。
そんな僕も二〇〇〇年二月に急性心筋梗塞で死にかけましたが。再発率や予後5年生存率とか気になる数字はあるが、とりあえずは五年生き延びてる。
もうちょっとだけ生きてみようか。猫さまもいるしね。
(了)
※ノンフィクション。すべて事実。ただ入院費などは少し記憶違いがあるかもしれません。ご容赦ください。
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