第3話

 翌日、呉橋さんから、職場が決まったと連絡があった。わりと近場の、書籍の流通倉庫だった。肉体系と言ったから、建築土木関係と思っていたので、倉庫は意外だった。屋外よりは、体に負担がないかもしれない。接客が苦手だっただけで、体にそんなに自信はなかった。

 さっそく、昼から、指定された倉庫に行く。自転車も用意してくれていたので、それに乗って30分くらいで行けた。割合としてはパート女性が多く、男は、力作業を受け持っていた。

 とくに、教えてもらうようなことはあまりなくて、指示どおりに箱を運ぶだけだった。良い雰囲気の職場ではあったが、隆泰が特殊な事情で雇われたことを知っているのか、みんな距離をおいている感じがした。隆泰にとっては、ほっておかれるほうが気が楽だった。休憩で、チーフが冷茶のペットボトルを奢ってくれた。

 隆泰は、帰宅部だったので、運動部の生徒ほど体を鍛えていなくて、半日働いただけで、エネルギーが切れてしまった。でも、なんとかやっていきそうで、少し安心した。

 まっすぐ帰宅はせずに、食事はラーメン屋で外食した。あのぬいぐるみが待つ家に帰るのは、憂鬱だった。でも、明日も仕事だったから、しっかり休息しておかねば。

 家に帰ったら、シャワーを浴びて、すぐにベッドに入る。

 キツネには、「ただいま」と「おやすみ」しか、声をかけていない。仕事をすぐに斡旋してもらって助かった。家にずっと居たら、イライラがひどくなっただろう。

 翌日、筋肉痛があるかと思ったが、たいしたことはなかった。

 それからしばらくは、夜はゲーセンに行き、外食し、家に帰ったら、シャワーを浴びて寝るだけ。休みの日は、外で遊ぶか、寝て過ごした。キツネとは、挨拶をするだけだった。キツネのほうも、無駄に話しかけてはこなかった。

 1カ月がたった。

 休みの日、隆泰は昼ころに起きた。

「おい、俺のところに居ても、しょうがないんじゃないか? 呉橋さんに頼んで、ほかの奴のところへ行けよ」

「ぼくのことが嫌い?」

「好き嫌いなんか無い。おまえと話をする気にならないだけだ。それじゃ意味ないんだろ」

「でも、それ以外の今の生活は、快適なんでしょう?」

もともと、札束で頬を叩かれたような気がして、不愉快だったのに、こいつまで、それを言うのか。

「仕事さえ続けさせてもらえば、もっと安いアパートに越して、仕事の収入だけで暮らしていける」

「でも、生活のためだけの仕事に時間を取られてしまうよね。今、学校へ行かせてもらえば、そのうち、やりたい仕事を見つかるかも。ぼくとのことは、ちょっと我慢して、このチャンスを利用すれば?」

 正論だけに、ひどくムカついた。隆泰は、自分が制御できないほど昂ってしまう。俺が、今までどれだけの我慢をしてきたと思っているんだ!

 ぬいぐるみを思い切り壁に叩きつけた。そして、そのまま外に出る。あてもなく歩きまわった。外は、良いお天気でのどかな休日。親子連れが歩いていたりする。俺は、1人で何をこんなに腹をたてているんだ。どこを歩いたか覚えていないが、1時間くらいたったら、気持ちが落ち着いてきた。家のそばまで戻り、向かいの公園のベンチに座る。すぐに家に帰る気にはなれなかった。

 隆泰は、暴力的な性格ではない。もし、人間相手だったら、手をあげたりしなかった。たかだか機械だから、ぬいぐるみだから、というのがあったかもしれない。今まで自分の気持ちを抑え続けてきたのが、一気に噴き出してしまった というのもあるかもしれない。

 それでも、じわじわと後悔に苛まれる。あんなことをしたって、なんの解決にもならない。ただ、こんなにもイヤな気持ちになるだけ。隆泰は、力で押さえつけられるのは耐えられないが、弱い者いじめや物を壊したい という欲望は皆無だった。

 もしかして、どこか壊れてしまったかもしれない。ぬいぐるみを持ってきた人が、精密機械だから扱いに気をつけて と言っていたではないか。

 急に心配になって、急いで家に戻る。

 家の中はしんとしていた。床に転がったぬいぐるみを持ち上げるが、ただの動かないぬいぐるみだ。足をもってゆさぶってみたが、何も起こらない。

「おいっ」

 スイッチが切れて、ただのぬいぐるみに戻った感じ。

 やばい! 隆泰は焦った。高価な機械を壊してしまった というよりも、そこに命があったのに、それが消えてしまったかのような感覚。

 急いで、ぬいぐるみをかかえると、呉橋の事務所へと向かった。電車の中では、まわりの人に不審気に見られたけれど、そんなことは気にならない。早く、早く と、だけ思った。

 そこで、今日は休日であることを思い出して、呉橋にメッセージを送る。これから、会いたい と。事務所で待っている と返事が来た。

 着いたときには、もう薄暗くなっていた。

「あの……」

「何があったかは、わかっている。その子は、こちらで預かるよ。数日中に連絡するから」

 隆泰には、何も言えなかった。ただ、そのまますごすごと引き返した。

 取返しのつかないことをしてしまった という後悔が心の中に溢れる。


 仕事は、体調がよくない と、2日ほど休んだ。でも、もうなるようにしかならない と、腹をくくった。もしかしたら、かなり壊れてしまったのかもしれない。でも、隆泰にできることなんて、何も無い。時間は巻き戻せない。

 5日たったとき、夜、呉橋から電話がかかってきた。

「この依頼、まだ続ける気はあるか。それとも、もうやめたいか?」

「俺には、続ける資格なんて、ないでしょう」

「資格ではなくて、気持ちを聞いている」

「もし、やりなおすチャンスがあるのなら、やりなおしたい」

このまま終わるのは、後味が悪すぎる。

「いいだろう。明日の夜、そちらに届けさせるから、仕事が終わったら、すぐに家に帰っていてくれ」

 戻ってきたら、なんと言えばいいのだろう。今は、たかだかぬいぐるみ相手に なんて気持ちはなかった。ぬいぐるみが生気を失ったこと、そして居なくなったことは、思った以上に、隆泰にダメージを与えた。

 これが、呉橋のマジックだとしてもかまわない。所詮は、人は、他の人のことを直接感じ取る術はないのだ。みんな、自分の肉体に閉じ込められて、小さな小窓から外を覗いているようなもの。だから、すべてが自分の想像の産物とも言える。ならば、AIだって本当の人間だって違いは無い。それもまた、「人とのつながり」なのかもしれない。自分には自分しかない。客観的事実ではなく、自分がどう感じるか なんだ。隆泰は、そう思うことにした。

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