好きって言えなかった幼なじみは、ハーレムエンドでヒロイン全員が破滅したのを見ている。

あむ

一章

第1話

春の風がやわらかく教室を吹き抜けていく。


新学期初日。高校二年のスタート。窓際の席でぼんやりと黒板を眺める


俺――久城悠真は、今年もまた変わらない日常が始まることに、少しだけ肩を落とす。


クラス替えも、席替えもなかった。隣の席には去年と同じく、白崎澪が座っている。


幼なじみで、家も近所で、小学校からずっと一緒のクラス。


特別仲が良いわけでもなく、かといって気まずい関係でもない――そんな、ちょうどいい距離感だった。


……のはずだった。


今日の澪は、なぜか様子がおかしい。


朝の登校中も、ほとんど会話がない。


「眠い」と一言つぶやいただけで、あとはずっと無言。


普段はもっと軽口を叩いてくるはずなのに、俺に目すら合わせてこない。


席に着いてからも、澪はノートを開いたまま、ずっとペンを動かしている。


だけど書いているのは授業内容じゃなく、ただ同じ文字を繰り返しているだけのようだった。


(……おいおい、どうした?)


思わず横から覗き込むと、ノートの端に小さく書かれていた文字が目に入る。


「未来は変えられる」


……なんだ、これ。


「おーい、澪。ノート取るの真面目なのはいいけど、ちょっと怖いぞ?」


俺が冗談混じりに言うと、澪はビクッと肩を震わせて、それからようやく顔を上げた。


「あ……ううん。ごめん、なんでもないの。悠真は、変わってないね」


「ん? 何が?」


「……ううん、なんでも」


そう言って澪は笑ったけど、その笑顔はどこかぎこちなくて、やっぱり変だった。


午後の授業中も、澪の様子は変わらなかった。


先生の質問にも曖昧に頷くだけで、手元のノートをいじるだけ。


休み時間に話しかけようとしたけど、澪は鞄からスマホを取り出して、イヤホンを耳に差し込んだ。


話しかけるな、という無言の圧力。


俺はしぶしぶ席に戻るしかなかった。


何か……隠してる。そんな確信だけが、じわじわと胸に広がっていった。


放課後のチャイムが鳴ったとき、澪は急に俺の袖を引っ張った。


「ねえ、ちょっとだけ付き合ってくれる?」


「え、どこに?」


「……秘密」


冗談めかして言ったその声が、どこか震えていた。


言葉とは裏腹に、彼女の表情は真剣だった。


その瞳に映る“なにか”が、俺にはまだ見えなかったけど――ただ事じゃないことだけは、はっきりとわかる。


俺は訳もわからないまま、澪に連れられて学校の裏にある公園に来ていた。


下校時間にもなれば、部活や帰宅、友達とどこかに行く。


高校生なら誰もよって帰らないし、通らない、誰にも邪魔されないそんなひっそりとある公園。


小学校の頃、よく秘密基地ごっこをしていたベンチが今でもそのまま残っていて、懐かしさが胸に刺さる。


夕暮れが差し込む中、澪はそのベンチに腰を下ろした。俺も隣に座る。沈黙が数秒続いたあと、澪がぽつりと口を開いた。


「この世界って……“ゲームの中”だったんだよ」


「…………は?」


唐突すぎて、俺の頭はついていかなかった。


ゲームの中? いや、なんの話だ?


「正確にはね、乙女ゲーム。タイトルは『月灯のフォークロア』。ジャンルは恋愛アドベンチャーで、ヒロインが五人。私は、その中の一人だったの」


「……え、ちょっと待って。マジで何言ってんの? ドラマのセリフじゃなくて?」


思わず苦笑する俺に、澪は真剣な眼差しを向けた。


「私はね、このゲームの“一周目の記憶”を持ってるの。……この世界で、すでに一度エンディングまで行ったことがある」


「…………はぁ?」


「前の周回では、あなた……全員に嫌われて、バッドエンドになったの。誰とも結ばれず、傷ついて、そして..そうだね。 消えるように姿を消したんだよ」


信じられるわけがなかった。


でも、澪の顔は、どこまでも真剣だった。


「私、その最後を見てた。傍観者みたいに、何もできなくて……悔しかった。だから、記憶を取り戻した時、今度こそ変えてやろうって決めたの」


澪の手が、そっと俺の手に重なる。柔らかくて、でも少し震えていた。


「今度こそ、あなたに“幸せなルート”を選んでほしいの。そうじゃなきゃ、きっとまた――バッドエンドになっちゃうから」


彼女の言葉はまるで物語のようで、でも、どこか現実の重みを持っていた。


「……それ、本気で言ってる?」


「うん。本気」


「俺が、ゲームの主人公で……澪がヒロインで……ってこと?」


「そう。そして、次にあなたの前に現れる“ヒロイン”が、第一の分岐点になる」


それが誰なのか、彼女は言わなかった。けれど、その顔は少しだけ焦っていた。


まるで――その瞬間がもうすぐ来ると、知っているかのように。


俺の運命は、もう“始まっている”のかもしれない。


……そして、まだ知らない誰かが、すぐそばまで来ている気がしていた。



次の日の朝、教室が騒がしかった。


いつもなら開始ギリギリにしか集まらないクラスメイトたちが、なぜか早めに席について、ざわざわと落ち着かない空気を纏っていた。


「ねえ、マジで? 本物?」


「昨日の音楽番組に出てた子だよね? センターの……!」


女子がざわめき、男子は妙にソワソワと身だしなみを整えている。何事かと思っていると、扉がゆっくりと開く。


静寂。

次の瞬間、ざわめきが熱気に変わる。

 

教室に現れたのは、一人の少女だった。栗色のふわりとした髪に、整いすぎた顔立ち。


大人びた美貌を持ちながら、制服を着こなす姿はどこか儚さも漂わせていた。


一瞬で視線をさらった彼女――その正体は、


現役トップアイドルグループ『Lily×Star』のセンター、神埼天音(かんざき あまね)だった。


「今日からこの学校に転入してきました、神埼天音です。よろしくお願いします」


淡々とした自己紹介。それだけで、教室はざわつくというより、もうパニック寸前。


「うそでしょ……本物だ……」「え、え、え、なんでうちの学校に!?」「やば、隣の席空いてるって奇跡?」


そんな中、担任が平然と告げた。


「神埼さんの席は、久城の隣だ」


時が止まる。


「…………え?」


俺が? 俺の隣に? トップアイドル?


嘘みたいな現実に混乱していると、天音はスッと俺の隣に腰を下ろした。距離が近い。香水ではない、ほんのり甘い匂いがふわりと香る。


「……よろしくね、久城悠真くん」


初対面なのに、彼女は俺の名前をすでに知っていた。


そしてその目――無機質なアイドルスマイルの奥に、なぜか強い意志のようなものが宿っていた。


(なんだ、この違和感……)


ただの転入生じゃない。偶然にしてはできすぎている。


澪が言っていた“第一の分岐点”が、まさに今、目の前に現れた。


あの日、澪がノートに書いていた『未来は変えられる』という言葉。


今になって、ようやくその意味がじわじわと胸に染みてくる。


それに、あの目。作り笑いの裏側で、何かを――いや、誰かを探しているようだった。


そして、俺は気づいていなかった。


この出会いが、澪だけでなく――他のヒロインたちすら巻き込む、恋と修羅場の火種になるなんてことを。


昼休み、俺は屋上で弁当を広げていた。相変わらずの一人ランチ。けど今日は、妙に落ち着かなかった。


(……いやいや、冷静になれ俺。アイドルが隣に座ったくらいで、舞い上がるな)


自分に言い聞かせながら卵焼きを口に運ぶ。


俺の手作り弁当は、わりと評判がいい……といっても、評価してくれるのは澪と妹の紬だけだけど。


「――悠真くん」


その名を呼ぶ声に、びくっと箸を止めた。


振り返ると、制服のスカートを揺らしながら澪が立っていた。


昼休み、いつもは図書室にいるはずなのに、今日はわざわざ屋上まで来てる。


「どうしたんだ? こんなとこまで」


「……来ないと、不安だったから」


彼女は俺の隣に腰を下ろし、そっと目を伏せる。


「今日のこと、見てたよ。教室での天音さん。……やっぱり始まっちゃったんだね、ルート分岐が」


澪の声はかすかに震えていた。あの冷静で優等生な彼女が、感情を隠しきれていない。


「なあ、ルート分岐って……そんなにヤバいもんなのか?」


「ヤバいよ。だって……どのルートに入っても、ヒロイン以外は傷つくの。嫉妬、誤解、裏切り、時には――敵対までいく」


ゲームなのに、現実みたいな重さだと思った。いや、現実なんだ。俺にとってはもう。


「だからね、悠真くん。お願いがあるの」


「……お願い?」


「天音さんに……あんまり優しくしないでほしい」


不意に、澪の声が小さくなった。どこか子どもみたいに。


「あなたは気づいてないけど、その優しさは、すぐ人を惹きつけるの。だから……私、怖いの。天音さんが“ヒロイン”として覚醒するのが」


覚醒ってなんだ。何がどうなるっていうんだ。


けど澪の言葉は、冗談に聞こえなかった。


そのとき、背後の扉が開いた。


「お兄ちゃん、いたー! また一人でお弁当食べてるー!」


今度は、別の女の子が現れた。


元気いっぱいの声とともに、ポニーテールを揺らして走ってきたのは、俺の妹――久城紬(つむぎ)だった。


「……なんでお前まで来てんだよ、屋上に」


「なんとなく、澪先輩が怪しい動きしてたから、ついてきた♪」


にこにこと笑う紬。その笑顔の奥には、何かを探るような視線があった。


そして俺は気づく。澪だけじゃない。


“修羅場”の火種は、もうひとつ――いや、もっと多く、確実にくすぶり始めている。


午後の授業が終わり、帰り支度をしていると、不意に誰かに呼び止められる。


「久城くん、ちょっといい?」


その声に振り返ると、教室の入口に立っていたのは、神埼天音――今日転校してきたばかりのトップアイドルだった。


あまりにも自然に話しかけられたもんだから、クラス全体が時を止めたように凍りついた。


「……俺、っすか?」


「うん。少しだけ、話したいことがあって」


俺の肩越しにクラスメイトたちの視線が突き刺さる。男子の一部からは無言の殺意すら感じた。なんでだよ。


「いいけど……どこで?」


「中庭、静かだから」


言われるがままに廊下を歩く。


後ろでは、「何あれ?」「デビュー確定じゃん」「逆攻略だろ」といった声がざわめいていた。


中庭にはベンチがあり、天音はそこに座ると、制服の袖をそっと整えながら俺を見上げた。


「……なんか、ゴメンね。急に呼び出して」


「いや、大丈夫……だけど、何の用?」


俺の問いに、天音は少し間を置いて、口を開く。


「初めて会った時から、なんだか……懐かしい感じがしたの。記憶にないのに、知ってるような」


「は……?」


それってどういう――


「それに、あなた……“変わってる”ね。普通、私に話しかけられたら、もっと動揺する人多いのに」


「まあ、昨日まで一般人だったし」


俺の言葉に、天音がクスッと笑う。その笑顔が、テレビの中で見るそれとはまったく違っていた。


どこか、心を許してくれているような――そんな、距離の近い笑顔。


(なんなんだこの流れ……)


たしかに俺はモブだ。地味だし、目立たないし、アイドルと関わるなんて人生に一度も想像したことなかった。


なのに――


「あなた、曲作ってるんでしょ?」


「……え?」


「噂で聞いたよ。自作でボーカロイド使って、動画サイトにアップしてるって」


まさか、そんなとこまで知られてるなんて。


「私ね、自身のソロ曲のプロジェクトを任されてて。新しい曲を探してたの。……あなたの音、すごく気になってる」


天音の目は、本気だった。ただの好奇心じゃない。“表現者”としての目だった。


(これ……マジで“ルート”入ってるんじゃ――)


澪の言葉が、脳裏をよぎった。


そして――その光景を、遠くから見つめるふたつの視線があった。


校舎の窓。屋上。


幼なじみの澪と、妹の紬が、それぞれの場所で、黙ってこちらを見つめていた。


空気は、静かに、でも確実に――ざわつき始めていた。

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