第2話:予告編
◇不可解な空白◇
***
杉野耕一が、吉沢伸の依頼を受けた翌日から、彼の日常は激変した。
警察署での刑事の仕事に加え、池田マリアの行方を追うという、公には決して明かせない「非公式の捜査」が加わったのだ。
正式な失踪人捜索願が出されていれば、管轄署が動く案件なのだが、吉田社長の意向で、それは叶わない。
杉野は友人のため、そして何より、行方の知れないマリアとお腹の中の子どもの命のために、身動きが取りづらい状況に身を置くことになった。
まずは、地道な聞き込みから始めることにした。
吉沢伸に許可を取り、吉沢の自宅、マリアの実家、そして彼女の学生時代からの友人に連絡を取る。
電話口で、彼らの動揺は手に取るように伝わってきた。
「マリアが?まさか……そんなはずは」
「妊娠してから、すごくナーバスになっていた部分はあったけど、でも、まさか」
しかし、誰もが口を揃えて「心当たりがない」と答えるばかり。
明確な不審点や、失踪に繋がるような兆候を把握している者は皆無だった。
「吉沢。マリアさんの友人や、特に親しかった人物で、最近変わった様子があったとか、何か相談を受けていたことはないか?」
杉野の問いに、吉沢伸は憔悴しきった顔で首を横に振った。
「いや、俺には何も。マリアは、俺にはいつも通りだった。だけど……」
彼は言葉を詰まらせる。
「だけど、何だ?」
「いや……でも、もしそうなら、俺が一番先に気づくはずだ。俺には、何も…」
妻を案じるあまり、感情的になりやすい吉沢は、時折、杉野の問いかけにも上の空で、協力的な姿勢が見られないことがあった。
杉野は内心で歯がゆさを感じながらも、彼の心情を慮り、深追いはしなかった。
次に、杉野はバンドメンバーに連絡を取った。
まずは高杉慎司だ。
「高杉、吉沢からマリアさんのこと聞いたか?」
「ああ、聞いた。信じられないな……」
高杉の声は冷静だったが、杉野は電話口の向こうで、彼がどこか不自然に間を置いたことに気づいた。
そして、いくつかの質問を重ねていくと、高杉の返答には微妙な歯切れの悪さが感じられた。
「何か、知っていることがあるんじゃないか?」
杉野が核心に触れようとすると、高杉はすぐに話題を逸らした。
「杉野、俺は弁護士だ。守秘義務ってものがある。それに、捜査は警察に任せるのが筋だろう?」
その言葉は、まるで杉野が秘密裏に動いていることを知っているかのような響きがあった。
杉野は、高杉のそうした態度が、何かを隠しているように感じた。
そして、佐野隆弘。
佐野は心配する姿勢を見せたものの、杉野にはその裏に安堵や苛立ちが混じったような、複雑な感情が見え隠れするように思えた。
これも刑事としての疑り深さゆえかもしれない。
「マリアさんがいなくなったのは心配ですね。何かSNSに投稿がないか、私もチェックしてみますよ。あとは、ケータイの位置情報とか、警察なら調べられるんじゃないですか?」
佐野の言葉は、まるで警察の捜査の手の内を探っているようでもあり、杉野は警戒を強めた。
いくら気の知れたメンバーとはいえ、捜査となれば話は別だ。
杉野の単独での秘密裏の調査ではやはり思ったほどの成果は出ず、明確な手掛かりを掴めずにいた。
ただ彼の刑事としての勘が、この失踪事件が単なる家出などではないことを告げていた。
◇バンドの新たな出発?◇
***
マリアの失踪から一週間が過ぎた頃、事務所から緊急の連絡が入った。
「吉沢みずきを、『Silent Law』の次期ボーカルとして正式に発表する。すぐにレッスンに入ってもらう」
吉田鷹斗社長の決定だった。
吉沢伸の妹であるみずきは、兄の影響で音楽に親しみ、その歌唱力は既にプロレベルと評価されていた。
何より、彼女の明るく前向きな性格は、暗雲立ち込めるバンドに新たな光をもたらすだろうと、以前からみずきを知る杉野は直感した。
「すごい!私、『Silent Law』のボーカルになるんだ!」
みずきは満面の笑みで杉野に報告した。
その目は輝きに満ちていた。
「よかったな、みずき。一緒に頑張ろう」
昔から良くスタジオに遊びに来ていた、あのみずきがそこまで成長したことに、杉野は感慨深いものがあった。
しかし、同時にマリアの不在という暗い影も常に付きまとっていた。
事務所は、早速プロモーションを開始した。
みずきの歌声の一部を公開するティザー広告、そして彼女の顔はまだ見せないものの、そのシルエットを映したカウントダウン動画が配信された。
新曲の発売日時も決まり、世間は新たな『Silent Law』の始まりに期待を寄せた。
だが、問題があった。
新曲の制作だ。
「吉沢、新曲のデモはまだか?発売日が迫ってるんだぞ!」
吉田社長から吉沢伸への催促の電話が鳴りやまない。
「すみません、社長……もう少し時間をください。まだ、歌詞とメロディが……」
吉沢は妻の失踪で精神的に参っており、作曲どころではなかった。
いくら天才的なメロディメーカーであるSHINでも、心の状態が曲に反映される。
彼の中から、前向きな音色が湧いてこないのだ。
その頃、みずきのスマートフォンに、一通のメールが届いた。
差出人は、見慣れないアドレス。
しかし、文面を読み進めるうち、彼女の表情は驚きに変わった。
それは、行方不明のマリアからのメッセージだった。
「みずきちゃんへ。突然こんなことになって、ごめんなさい。もうすぐ、私が歌っていた場所に、みずきちゃんが立つことになるのね。きっと素敵な歌声を届けてくれると信じています。バンドのこと、よろしくね。そして、もし何か困ったことがあったら、KOHを頼るように。彼は、きっと力になってくれるから」
メッセージはそこで途切れていた。
みずきの推理小説好きの血が騒ぎ始めた。
少なくともマリアは無事だと考えて良いのだろう。
兄ではなく、自分に送ってきたということは、そこに何らかの意図があるに違いない。
その日の夜、みずきは兄のSHINや他のメンバーには内緒で、杉野の部屋を訪れた。
「ねえ、耕一さん。実は私宛てにマリアさんからメールが届いたんだけど……」
みずきの言葉に、杉野の顔色が変わった。
それは、失踪事件が新たな局面を迎えたことを意味していた。
(第2話 終)
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