第十五話 冥王、義母を泳がせる

 一月十一日。

 その日は、朝から本格的に行動を開始した。

 と言っても、俺は夜にしか外を出歩くことができない。

 だから、コレーを探しに行くのはデメテルだけだった。

 夜になったら直接案内すると言って聞かせはしたが、彼女はまったく聞く耳を持たなかった。


「本当に一人で大丈夫か?」


 心配する俺に、デメテルは振り返りつつ「もちろんです」とその豊満な胸を張る。

 双丘の谷間に掛かるバッグのストラップが、その大きさを更に強調してみせた。


「あなたがいなくとも、このさえあれば、どんな試練にも負けません!」


 右手を胸元に当て、彼女が高らかに宣言する。

 昔、戦の折に、同じことを彼女がしていた気もするが、今となっては時代錯誤も甚だしい。


「試練って……朝食のときにも言ったと思うが、今と昔では色々と勝手が違う。 昔できたのに、と癇癪を起こしても、悪いのはお前だぞ?」

「あら、そうならないために協力をしてくれるのでしょう? コレーの?」

「それはまあ、そうだが……」


 痛いところを突かれて頬を掻く俺に、彼女はフフンと鼻を鳴らした。


「あなたが貸してくれたこの……スマホ、でしたか? これの操作の仕方はあらかた覚えましたし、足りないところは都度つど質問いたします」


 そう言って、彼女がバッグから俺のスマホを取り出し、俺に見せつけてくる。

 確かに彼女はコレーの母で、娘に似て聡明な女神だ。

 しかしその権能——『豊穣』が及ぶ範囲が広すぎるせいか、娘よりも少し大雑把なところがある。

 そのことは、俺のスマホを持つ手にも見て取れた。


(おい、そんなに軽々しく他人のスマホを持つんじゃない! 落としたりしてバッテリーが傷つけば、最悪火を噴くんだぞ!? データはバックアップを取っているからいいものの、買い直す俺の身にもなってくれ!)


 そんな機械ガジェット好きの血のたぎりを、俺は何とか押し殺す。

 彼女の娘への『愛』が、彼女の行動にどうにか作用してくれると信じて。


「少しでもわからないと思ったら、すぐに連絡しろ。絶対にその場で判断するな。さもないと……」

「はいはい。ご心配痛み入りますわ、


 最後の忠告も空しく、デメテルは後ろ手を振って玄関へと歩いていく。

 俺は楽天的に揺れる彼女の後ろ髪を追いかけて、言い放った。


「イザナミがどう動くとか、お前がどうなるとかの問題じゃない! お前の癇癪で、世界の均衡が崩れるかもしれないと言っているんだ! だから、頼む! 頼むから、慎重に行動してくれ——デメテル!」


 その叫びが癇に障ったのだろう……デメテルの足が土間の手前でピタリと止まる。

 そのまま彼女は振り返ると、俺のシャツの襟を引っつかみ、こう叫び返した。


 ——豊穣の女神たる、この私を舐めるな!


 子供じみた、しかして女神然とした、憤怒の形相。

 コレーがイザナミに向けたのと瓜二つだったそれに、俺は何も言い返せなかった。


 *     *     *


 とはいえ、夜まで彼女の帰りをただ待っている程、俺は馬鹿ではない。

 俺はすぐにパソコンを操作して、スマホのIDアイディーを入力し始めた。

 最新のスマホでなら自動的に使うことができるはずの、あの機能を使うために。


「さて、俺のスマホの位置は……出た!」


 パソコンの画面に、周辺の地図が表示される。

 その地図上に、一際ひときわ目立つ赤い点が一つ現れ、数秒ごとに北へと移動していた。


 ——『スマホを探す』。


 通常なら、失くした自分のスマホを見つけるときに使う機能だが、俺は今回それをデメテルへのに利用することにしたのだ。


「よしよし、予定通り北へ向かっているな。そのまま電車に乗って、まずは『ミズハシカメラ』に行くんだ!」


 モニターの赤い点ことデメテルに、俺は独り言を吐いた。

 ちなみに、その大型家電量販店ミズハシカメラにもコレーはいない。ここには


『私、自分用のパソコンが欲しい。そうすれば春も夏も秋も、ハーたんを手伝える』


 というコレーの希望を叶えるため、一緒に行く予定だった。

 だから詳細な情報収集は既に済んでいるし、かつその内部が迷路のように入り組んでいることも熟知している。

 当然、コレーがパソコンを欲しがっていることを、デメテルには言っていない。

 もし彼女は質問をしてきたら


「さあな? 嫌われている俺よりも、愛するお前の方がわかるんじゃないのか?」


 と煽ってやる。

 そうなれば、彼女が関係ない売り場を右往左往すること請け合いだ。


「ミズハシが終わったら、次は隣の『ダイワ電機』、その次は少し離れた『ドッグカメラ』に行かせよう。デメテル、俺のを舐めるなよ?」


 フフフ……

 おっと、つい悪人のような笑いが出てしまった。

 そう、これは善行だ。

 俺たち夫婦と、かの義母との関係を改善するための、な。


「まあ、この策で騙せるのはせいぜい二、三日くらいだろうな。それ以上は近隣の家電量販店を破壊されかねん。その間に、次の策の準備をしておかなくては……」


 おもむろに俺は『スマホを探す』のすぐ横に、別のアプリを起動する。

 色合いなどは異なるが、そのアプリが表示しているのも同じく近隣の地図だった。

 ただし、このアプリにはスマホを探す以外に別の機能があって……


「戻ってきてくれ、メル!」


 俺はそのアプリ——『子供見守り隊』にある「音で警告」をクリックする。

 その数分後には、玄関のドアをカリカリと引っ掻く音が聞こえてきた。


「ハデス様! メル、ただいまもどりました! ですのではやくあけてくだしゃい!」

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