第二話 冥王、遅れる
「帰ったぞ……」
玄関のドアをそっと開け、帰宅を告げてみる。
決して、返事を期待しているわけじゃない。なぜなら俺は、愛する妻との約束を破ってしまったからだ。
『十時までには帰って来て。 一緒に寝たいから』
『帰ってこれないなら、せめてメールをちょうだい』
『それもなかったら……わかるよね?』
そう出発前に言われていたから、作業を終えた後に一応メールを入れてはいた。
しかし……
(返事は……ないか。 そうだろうな)
当然だ。 俺もそこまで妻が優しいとは思ってはいない。
ドアの鍵が開いて部屋の中に入れただけでも最高だろう。
おもむろに開いたスマホのロック画面は、午後十時十二分を告げている。
案の定、約束の時刻を十二分も過ぎていた。
こんなことなら、結解の形成など適当に終わらせればよかったのだ。
だが、頼まれてしまったからには、どうにも手を抜くことはできない。
その性分が、今は恨めしくてたまらなかった。
おまけにその仕事を頼んだのが、あのイザナミともなれば……。
コレーの怒りの形相が目に浮かび、俺は大きな溜息をついた。
さて、どう言い訳したものか、などと考えながら。
すると……
「おかえり、ハーたん」
「おかえりなさいませ、ハデスさま!」
「コレー!? それに、メルも!?」
突然ダイニングのドアが開き、そこからコレーとメルがパタパタと駆けてくる。
待ってくれていた喜び……よりも、コレーの優し気な声音に驚いた。
絶対に怒っていると思っていたのに。
「はい、コート脱いで。 掛けておいてあげる」
「そのあいだに、ハデス様はダイニングへどうぞ!」
「お、おう……」
俺の足首をメルがその鼻で押してくる。
彼女の誘導に押され、俺はなぜか電気がついているダイニングへと歩を進めた。
ダイニングに通されると、俺はテーブルの上に置かれたあるものに思わず目を見開いてしまった。
ラップで包まれた、少し不格好な白い球の群れ。
それは、俺も一度だけ作った切りだったニッポンの携帯食「おにぎり」だった。
確かに、イザナミとこの料理について話をついさっきまでしてはした。
その話が弾んだせいで、帰りが遅れたまである。
しかし、せめてもの罪滅ぼしにと、早速朝食に作ってみようと思っていたそれが目の前にあるとは思いもしなかったのだ。
「コレー……あれは、お前が作ったのか?」
「そうだよ。 初めてなりに、頑張った」
「なん、だと……」
あのコレーが……ここに来てからずっと、料理なんてしたことがないコレーが、俺のために手料理を作っただと?
信じられない。 俺だって最初は米を炊くことすら苦労したというのに。
「……作った、というのはアレか? 『
「むぅ。 そんなことされても、ハーたん喜ばないでしょ?」
ジト目でこちらを睨むコレーに、「す、すまない!」と反射的に謝った。
夫である俺が、ここでの生活で神の力——『権能』を使わないでいるのに、妻である彼女が使うわけがないのだから。
「で、では、本当にその手で、一から米を握って作ってくれたのか!?」
「うん、そうだよ。 ごはんは冷凍してあったのを使わせてもらった。ハーたん、イザナミにこき使われてお腹が空いてると思って」
ほら、食べてとコレーが皿のおにぎりを指差す。
その光景を見た俺は……
「おぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉっ!!」
膝をフローリングに打ちつけ、天を仰ぎ、吼えた。
多分、目からは涙が出ていただろう。
それは、彼女の愛に、彼女の差す指の可愛さに、そして歪ながらも美味そうなおにぎりたちに、俺の想いが
『あなた……何時だと思ってんの!?』
そうイザナミに後日メールでどやされたのは、また別の話……。
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