第三話 冥王、妻と話をする
「なあ、コレー……いい加減、機嫌を直してくれないか?」
まだ少し痛む顎をさすりながら、対面の位置に座る妻に問いかける。
ちなみにメルは、キッチンに隠れているように言っておいた。
今妻の視界に入れようものなら、問答無用で蹴飛ばされそうだったからだ。
春の日差しのように明るい、栗色の髪。
小柄ながらも丸みを帯び、均整の取れた肢体。
十本全ての指に違うマニキュアを塗ったお洒落さん。
春の女神『デメテル』の娘、ペルセポネ。 幼い頃は『コレー』と呼ばれ、親しい者には今でもそう呼ばせている。
俺が一目惚れし、冥府へと連れ込んだ最愛の妻だ。
しかしその灰色の左目から注がれる視線は冷たく、鋭い。
冥府の女王になったことで得た俺と揃いのその目が、久しぶりに恐ろしく見えた。
「浮気相手を出して。まずはそれから」
「まだ言うか……」
この部屋に来てからというもの、彼女の口からはこの『浮気相手を出せ』だけ。
俺は言葉や表現を変えて弁明を繰り返したが、彼女はそっぽを向いたままだ。
「引っ越したことへの報告が遅れたのは謝る……だが、その原因は俺の兄の横暴のせいであって、誓って浮気じゃない! 部下を通じてそう伝えているはずだ!」
思わず口調が荒くなり、喉がひりつく。
浮気なんてする気も、する相手もいないのだから当然だ。
「聞いてる……でもハーたんは、みんなに慕われてるから」
「……彼らが俺を庇っていると言いたいのか?」
「うん」
額に手をやりながら、小声で呻く。
よもや部下への態度がマイナスに働くとは思わなかった。
自慢じゃないが、俺は部下だけじゃなく他の神々にもそれなりに慕われている。
ひたむきに冥府での職務を果たしてきた結果、少しずつついてきたものだ。
だからこそ、フラフラしているのになぜか慕われる兄が時折許せなくなる。
「カロンが言ってた。ハーたん、最近笑顔が増えたって」
「カロンが、か?」
ペルセポネがコクリと頷いた。
カロン。 冥府へと続く川で渡し守をしている死神の一人だ。
彼は、俺が冥王になるずっと前から冥府を見てきた、所謂お目付け役。
不愛想な職人気質な
そんな彼に認められたと思うと、少し照れ臭くなる。
「……それを聞いて、私は確信した。ハーたんには絶対他の女がいるって」
「な、なぜそうなる!?」
「この家だってそう。 大家は女、それも女神だって聞いてる」
いつの間に、そこまで調べたんだ?
いや、カロンか誰かがそれとなく教えたのかもしれない。
「イ、 イザナミは……そう、ただの先輩だ! それに、彼女は既婚者だぞ!」
そう。イザナミにはイザナギというれっきとした夫がいる。
大昔に仲違いをしたっきり会ってはいないらしいが、それでも話の端々に彼との惚気が出てくることがあった。
関係が切れてもなお、愛している。
愛する者を持つ俺としては、尊敬の念を禁じ得なかった。
しかし、目の前のペルセポネには全く思うところがないようだ。
「でもさっき、スマホ?で話してた。声に熱がこもってた」
「き、聞こえてたのか……」
「私は女神で、あなたの妻。だから当然」
あなたの妻——彼女のその言葉に、心がカッと熱くなる。
その一方で……
「だったら! 夫である俺を信じてくれ!」
椅子から立ち上がって、彼女を見下ろしながら言い放つ。
すると彼女も立ち上がり、オレの方を上目遣いで睨みつけてきた。
「なら、なんで急に冥府からいなくなって、こんな島国に移ったの!?」
「そ、それは……」
意図はしていなかった。ただ時期がかち合ってしまったんだ、としか言えない。
けれどもそれで、彼女が納得するとは思えなかった。
「私だって、ハーたんのこと、昔より好きになったつもりなのに……!」
「……!」
それは初耳だ。
母親であるデメテルが俺たちの結婚を認めていない手前、その娘としては立場上言い出せなかったのかもしれない。
冥府に籠る俺とは約三ヶ月を共に過ごすところ、母親とはその三倍の九ヶ月。
いまだに親馬鹿が抜けない母親だと聞いているから、彼女も苦労しているのだろう。
「冥府に帰るのも、最近は楽しみになったし、冥府のみんなも可愛がってくれる」
「……ハーたん、コレー、って呼び合えるようにもなったしな」
よく考えれば、こうやって愛称で呼び合うまでにも、数百年かかった。
その長い時間に、彼女は耐え、慣れてくれた。
それを、俺は……
「うん、でもハーたんはいなくなった。もし女が理由じゃないなら、証拠を見せてよ!」
「…………」
俺の負けだ。やっぱり、彼女には勝てない。
今も、昔も。
「……わかった。イザナミに会わせてやる。 それでお前が納得するのなら、な」
「……!」
「ただし、明日になってからだ。言いたくはないが、彼女の方がお前より数枚上手だ。戦っても勝ち目はない」
「……」
コレーが期待に見開いた目を元に戻し、しゅんと肩を落とす。
こんな彼女すら愛らしいと思う俺は、ある意味狂っているのだろう。
普段より小さくなった彼女の肩を、彼女の後ろへと回ってそっと触れた。
「冥府からの長旅、お疲れ様。 俺の夕食の残り物でよければあるが、どうだ?」
「……食べる。 でも、その前にシャワーを浴びたい」
「わかった、場所を教える……ニッポンのシャワーの質の高さに驚くな?」
「? わかった」
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