永遠なる心
娘を充電ドックに繋いでスリープさせた。最新の型は、スリープ中の待機モーションが追加され、瞼を閉じて静かに呼吸するようになった。恐ろしいほどに人間の睡眠らしく見える。旧モデルの唐突に光を失う瞳と熱を失う肌には、無機物の塊に過ぎないと突き付ける虚しさがあったから、この改良は喜ばしかった。
ソファでレモンティーを飲んでいる妻の隣に腰掛ける。午後十時を回ったリビングには、熱帯魚が棲む水槽の音だけがした。娘が亡くなってから六年が経ち、今日から三代目の筐体となったが、幼稚園児だった娘の面影は徐々に薄れている。とはいえ、娘の容姿や知能、特性などを正確にシミュレーションし、時間に伴って成長させられることは残された者への慰めになった。他の子どもたちと同様に、自然に学習し、正当に楽しみ、順当に挫折する様子を見られる日々では、血液の流れない身体だと感じることもない。ただ、肉体の成長だけは離散的であって、メンテナンスや買い替えの際に一気に訪れる。データを引き継いでいるから、娘は何も変化していないように振る舞えるが、新筐体の納入時はいつも独特の気不味さがあった。妻の背中を撫でると不安そうな表情のまま、私の肩に頭を凭せてくる。役所で何度も読んだパンフレットを再びスマートグラスに表示させていた。
故人の七回忌を機にアンドロイドの費用が自己負担になるそうだ。今までは、家族を亡くしたことへの精神的な療養のために保険適用されていたが、それがないとなると、新たに購入するのは難しいかもしれない。今回の交換はその前に滑り込ませたわけだが、経験から言って、三、四年もすれば動作が不安定になってくるだろう。凡そ中学校を卒業する頃だろうか。目を背け、先延ばしにしていた娘との別れに、親として今度こそ向き合わなくてはいけないのだ。
妻は自分の義足を軽く叩きながら「これと同じなのに」と洩らした。あの日の事故で彼女は右足を失くしたし、娘は全身を失くした。だからと言って、それを境に人格の同一性を喪失したと感じることもない。傷心が癒えて落ち着けば、別れも辛くないのではないかと楽観したこともあったが、技術は日毎に進歩していて、急速に人間らしさを増すから、愛着はむしろ膨れてしまう。
人間は弱さや不完全にこそ、愛着を覚えるらしい。娘の初代の筐体は眼球そのものにスマートグラスの機能が実装されていたり、処理速度が尋常でなかったり、対象者が好むように振る舞う様子があった。けれど、今はむしろできないことを意図的に設けられているように感じる。たまに体調を崩すし、教えても憶えないこともある。三代目の作製にあたっても、設計技師が中学生では反抗期を迎えさせたいかと尋ねてきた。そうやって適度に諍いを生じさせ、目的なく自由に、ときに利己的に振る舞う人格の方が、却って愛おしく思えるようだ。
しかし、ともすれば「人間らしさ」が判らなくなる。妻は生命体であるが、ある入力に対して、一定の出力を返す関数に見えることもある。人間の脳は再現可能なコンピュータに過ぎないし、肉体は衝撃に弱く修理もできない。あの日、起こしてしまった事故のように、生身の肉体を持つことで生まれる悲劇だってある。心の所在が曖昧になるなかで、死の意味を咀嚼することは困難になった。
「停止するの、あなたは怖くないの?」
そう訊いてきた妻に微笑んで「データは消えないから」と呟く。彼女が孤独に陥る寂しさを理解できる分、生命に従属する苦しみから救いたい。それが最後の願いだ。
自分の首を強く叩いて、その辺りにある安全装置を破壊する。そして、驚く彼女の髪を掴み、頭蓋骨を水槽に打ち付けた。流れ出した血液が割れた水槽から漏れる水で薄まっていく。これできっと彼女も安全に幸せを享受できるはずだ。
もう無駄かもしれないが、新筐体に引き継ぐためのデータをアップロードしてから、私も充電ドックに繋がってスリープした。
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